問48は心理面接における沈黙に関する内容です。
「黙って!あなたの言葉が聞こえるように」はM.Picardの言葉ですね。
問48 心理面接における沈黙について、誤っているものを1つ選べ。
①沈黙の受け取り方は文化によって多様である。
②沈黙はクライエント自身の内的探索を阻害する。
③沈黙はクライエントの不快さを増大させることがある。
④沈黙によってクライエントに共感を伝えることもできる。
確か10年ちょっと前の臨床心理士資格試験の論述問題が「沈黙の種類と対応」だったように記憶しています。
こういった論述問題に限らず臨床実践でもそうですけど、何かしらの種類と対応を述べるときには「種類別に論じる」のではなく「対応別に論じる」のがセオリーです。
一番よろしくないのが「種類はそれなりに挙げているけど、対応がみんな同じ」というタイプです。
沈黙の場合で言えば、どのような種類の沈黙を挙げても対応が「じっと見守ること」では「カウンセラーって沈黙場面ではいつも同じことしかしないのね」と思われても仕方ありません(たとえ「じっと見守る」にも種類があったとしても)。
よって種類別で論じるのではなく、対応別に論じることが大切になります。
沈黙で言えば、以下の通りです。
- クライエントが内的探索をしているときの沈黙:じっと見守り、待つ姿勢が大切
- 精神医学的問題、例えば意識障害などが生じているときの沈黙:面接をすぐに中止し、主治医等と連携を取る
- 精神分析的な「抵抗」が生じているときの沈黙:治療関係の構築、そのテーマに触れるか否か、解釈の必要性などを考慮し対応を決める
- 思春期心性によって生じている沈黙:こちらから話題を振りつつ、クライエントが話しやすい雰囲気を構築する
ちなみに各選択肢で沈黙の主体が違いますので、その辺にも注意しながら解いていきましょう。
解答のポイント
選択肢の解説
①沈黙の受け取り方は文化によって多様である。
こちらについてはインターネットでこのようなデータがありましたので示しましょう。
左の方に行くほど、沈黙を重んじ、会話のペースがゆったりとした文化になります。
このような文化では、質問に答えるのに時間がかかりますし、相手の話に黙って耳を傾け会話中に沈黙することも少なくありません。
また沈黙をいとわないので、長い沈黙も珍しくなく、むしろ沈黙は「よく考えている証」で、良いことだと捉えられがちです。
対照的に、このチャートの右の方に行くほど、沈黙を嫌い、会話のペースが早い文化になります。
そのような文化的背景の人は、質問されると間髪入れずに返答し、相手の発言との間にほとんど「間」がありません。
また、相手がまだ話終えていないのに話し始めたり、人を遮ったりする傾向があります。
沈黙はぎくしゃくした居心地の悪いものと思っているので、会話の中で沈黙が起きると、慌てて発言して沈黙を消そうとします。
このように沈黙の捉え方には文化差があるということがわかりますね。
イギリスの行動療法家I.Marksが来日した際、コンピュータに行動療法をプログラムしクライエントがコンピュータ相手に行動療法をするということがイギリスではすでに行われているとお話がありました。
コンピュータから治療を受けるクライエントの方が、人間の治療者から治療を受けるクライエントよりもドロップ・アウトが少ないということでした。
マークスはその理由を「秘密が守られるからだろう」と帰属していました。
確かにそういう面はあるでしょうけど、他にも「恥」の感覚や、沈黙への気遣いの不要さも考えられるでしょう。
イギリスはチャートの右寄りの文化圏ですから沈黙を比較的しないわけですが、そういうことを気にしなくても良いという利点がコンピュータ相手にはあるでしょうね。
こうした例からも明らかなように、沈黙への捉え方、解釈の仕方などもさまざまあり、それは文化的なものに左右される面もあるとみるのが自然ですね。
よって、選択肢①は正しいと判断できるので、除外することが求められます。
②沈黙はクライエント自身の内的探索を阻害する。
まず選択肢のニュアンスとして「沈黙はクライエント自身の」とあるので、沈黙している主体はクライエントであると見なすのが妥当ですね。
成田善弘先生は、その著作の中で以下のように述べられています。
「他者の質問に対して沈黙を守るということは、とくに病理の重い人たちにとっては自我境界を守るということである。質問に答えることは質問者の文脈で考えるということであり、自分自身の文脈からは離れざるを得ない。そのため自分の真の経験から離れて作り話をしたり嘘を言ったりする可能性がある。そして自分自身でなくなってしまう。だから患者が沈黙するとき、彼は彼自身であろうと努めているのかもしれない。こういう沈黙は尊重しなければならない。沈黙を破って治療者が問いかけることは、患者の内的世界への侵入であり、彼が沈黙の中で想像しつつある彼自身を破壊してしまうかもしれない」
この考え方が基本であり究極かなと思います。
沈黙はその人が「自分であるために」必要な現象です。
それによって自分を創り、保ち、守るのです。
もっと一般的に考えてみましょう。
クライエントが何かを問われて考えているとき、特に自分について考えているときには必ず沈黙が生じます。
内面を探索し、問われたことと自分の内面との照合を行うわけです。
その照合作業での体験をまたカウンセラーに伝えることで、カウンセリング過程が進んでいくわけです。
ある種のクライエントは多弁で、要領を得ず、本質から外れたことばかり述べます。
これは話すことによって自分を隠ぺいしていると言え、Salzmanはこれを「言葉の煙幕」と名付けました。
成田先生は「沈黙と多弁は意外につながっている。両者ともときには自己を隠蔽し、ときには自己をあらわにする」としています。
このような両価的な意味を持つのが「沈黙」ということですね。
以上より、選択肢②が誤りと判断できるので、こちらを選択することが求められます。
③沈黙はクライエントの不快さを増大させることがある。
④沈黙によってクライエントに共感を伝えることもできる。
これらの選択肢は今までの公認心理師試験では見られない類のものです。
選択肢③の「させることがある」や選択肢④の「伝えることもできる」という表現は、かなり幅のある述べ方です。
すなわち「○○なことがある」「○○なこともある」という選択肢表現は、それがあるだけでその選択肢が正しい可能性が高くなります。
この辺は受験のテクニックの一つですが、過去の公認心理師試験ではこういった表現はほぼ見られませんでした。
出題者やその傾向が変わったとみることも可能ですが、むしろ臨床的な内容を問題にしようとするとこういった表現が多くならざるを得ないので、臨床実践的な能力を問おうとした結果かもしれません。
さて各選択肢を見ていきましょう。
選択肢③が生じるであろう状況を考えるのは、それほど難しくないでしょう。
ちなみに、こちらは「カウンセラーが沈黙している状況」と見なすのが自然ですね。
クライエントから何かを問われたとき、怒りをぶつけられたとき、カウンセラーが沈黙をしていることでクライエントの不快感情が増大することは想像に難くありません。
クライエントの中に疑惑や攻撃や悪意が渦巻いているときがありますし、カウンセリングという仕事はそういうものを呼び出してしまうことも往々にあります。
成田先生は先述の著書の中で「沈黙の中でその悪魔が頭をもたげ、ギラリと目を光らせる。…治療者に不安と緊張を、そして後悔と恐怖を起こさせるような、そういう沈黙もある」としています。
選択肢④も「カウンセラーが沈黙している状況」ですね。
冒頭に述べたマックス・ピカートの一文が代表的です。
「恋する男が恋人に語りかけるとき、恋人はその言葉よりも沈黙に聴き入っているのだ。「黙って!」と彼女は囁いているようだ。「黙って!あなたの言葉がきこえるように」」
こうした両者が漫然一体となっているような沈黙もあるわけです。
カウンセリングにおいてカウンセラーの沈黙がクライエントへの肯定であり、受容であり、抱えであるときには、クライエントはその中で発見と創造を行うことができます。
その前提にはクライエントへの共感があり、それがクライエントに通じていることが重要となります。
そうした中で生じる沈黙は、まさに「共に感じ入る」ということになるのでしょう。
沈黙は雄弁です。
どのような意味にも取ることができる。
それはその意味をクライエントに委ねるという面が少なからずあります(そもそもコミュニケーションとはそういうものですね)。
つまり、沈黙がどういう意味を持つかは、その場でのやり取りによって決まるのではなく、それまで積み重ねてきたカウンセラーの振舞い、言動によって方向づけられるのだと考えられます。