公認心理師 2019-125

問125は医師からアセスメント依頼があった際の、報告の留意点に関する問題です。
アセスメント報告書を作成する上での基本的なことが問われている内容になっていますね。

問125 病院において、公認心理師が医師から心理検査を含むアセスメントを依頼された場合、その結果を報告する際の留意点として、不適切なものを1つ選べ。
①依頼された際の目的に応えられるように、情報を整理し報告する。
②心理的側面のみでなく、生物学的側面や社会環境も統合して報告する。
③クライエントの処遇や治療方針を決めるための参考になるよう配慮する。
④心理検査の結果を他の情報と照合することはせず、心理検査からの客観的報告にとどめる。

本問は「病院において」という条件が付されていますが、病院でのアセスメントに係わらず大切な事柄が示されております。
医療領域で実際に医療機関等でアセスメント報告書を作成している人にとっては、かなり解きやすい問題だったと思います。
臨床心理士の資格を持っておらず、福祉領域や教育領域の経験から今回公認心理師の受験資格を与えられた人たち(いわゆるGルート多いのでしょうか)にとっては、あまり経験がない分野かもしれないですね。
公認心理師に「汎用性の高さ」が求められている以上、公認心理師になった場合にはこうした知識や実践も求められることになりますね。

解答のポイント

選択肢の解説

①依頼された際の目的に応えられるように、情報を整理し報告する。

おそらくこの選択肢を「不適切」と判断してしまった人は「依頼された目的に応えられるようにではなく、臨床家としての判断を基盤として、情報を整理し報告するべきである」と考えているのではないかなと思います。
事実、私が大学院で臨床教育を受けていたときには、そういった論調が確かにあったように思います。
医師から検査のオーダーがあった場合でも「臨床家として、その検査が必要であると思うかどうか」ということを確認されることが多かったですし、教育現場からのオーダーの場合でも「先生がやってくれと言ったから、それをそのまま実施するのは臨床家としての判断が無いじゃないか」という指摘も見られました。

こうした考え方は臨床家のアイデンティティをしっかりと持つことの大切さを伝えていたと思いますが、同時にやや排他的な感覚も私は感じていました。
背景には「我々の方が適切な判断ができる」という自負があったようにも感じていました(もちろん、言っている当人たちはそのことを否定するのでしょうけど)。

このテーマに関する私の意見としては「依頼された目的に応える中で専門性を示すことが大切」だと考えています
事例のような医療機関に限らずですが、我々も組織の一員であり、組織の中で専門性を示すということとはそういうことだと思います。
専門性とは明確に示せるようなものもありますが、もっと非特異的で細かいところに反映されるものもあると思いますし、そういう専門性に気づき尊重してくれる人は組織にいるものです(たぶん)。
医師がアセスメントを依頼した理由があるわけで、それに応えられるような報告書であることが大切ですし、その報告書に反映された公認心理師としての専門性がクライエントの治療をよりよいものにしていくよう努力することが大切です

なお本問の解説として、公認心理師法第42条第2項の「医師の指示」の規定を思い浮かべる人もいるかもしれません。
ですが、この条項はあくまでも「主治の医師」がいる場合に、その指示に従うということを示しているに過ぎず、あらゆる事態において医師と公認心理師の上下関係を規定するものではありません

以上より、選択肢①は適切と判断でき、除外することが求められます。

②心理的側面のみでなく、生物学的側面や社会環境も統合して報告する。

こちらはBPSモデルを念頭に置いた選択肢になっていますね。
公認心理師ではBPSモデルが頻繁に取り上げられています。
2019-78の選択肢②でも示した通り、BPSモデルはクライエントを包括的に理解する上で有用なモデルです。

このモデルでは、心理的問題は生物学的要因(脳神経、遺伝子など)、心理学的要因(パーソナリティ、認知、感情、ストレスなど)、社会学的要因(家族、職場、地域のソーシャルネットワークや文化、教育、経済状況など)のそれぞれが複合して生じると考えます
従って、こうした各領域の要因を解きほぐして詳しく分析し、そのうえで心理的問題に対して見立てを行っていくことが大切であり、アセスメントの報告もこうした見地に立って作成されることが望ましいと言えるでしょう。

よって、選択肢②は適切と判断でき、除外することが求められます。

③クライエントの処遇や治療方針を決めるための参考になるよう配慮する。

こちらの選択肢を不適切とする理由はどこにも無いのは、誰が見ても明らかかなと思います。
「検査を何のためにするのか」と問われれば当然、クライエントの処遇や治療方針を決める参考にするためと言えるでしょう。
それ以上でもそれ以下でもないと言って良いかもしれません

もちろん臨床心理学の専門家として、アセスメント場面そのものが「心理療法」になるような工夫も熟練していく中で身につけていくことになるでしょう。
箱庭療法も「心理療法」の側面と「アセスメント」の側面を持っていますし、風景構成法も同様ですね。

基本を言うならば、あらゆるアセスメント場面において検査者は一定の態度を保つことで検査結果の信頼性を高める必要があります。
しかし、人という生ものを相手にしている以上、検査者が人である限り何らかの影響を避けるということはできません(それができるという人は、自分を機械か何かだと勘違いしてしまっていると思います)。
だからこそ「関与しながらの観察」という概念が重視されるわけです。
アセスメント場面では、自分が検査結果に与えている影響を踏まえた報告を提出することが重要になるということですね。

以上より、選択肢③は適切と判断でき、除外することが求められます。

④心理検査の結果を他の情報と照合することはせず、心理検査からの客観的報告にとどめる。

この選択肢の記述は、選択肢②の内容と矛盾するものになりますね。
また選択肢③の解説内で示した、「関与しながらの観察」を踏まえたアセスメントの在り方からも外れた選択肢内容であると言えそうです。

心理検査の結果をどのように解釈するかは、「他の情報と照合すること」を通して規定されることが多いものです
例えば、ロールシャッハ反応として「内臓反応」(片口法ではAn、エクスナー法ではAtとコーディング(だったと思う…))が多ければ身体に対して気遣う傾向の強さ、もっと言えば心気症傾向を疑いますが、被検査者が医療関係者であれば日常的に内臓を見ているということを考慮して、こうした解釈を控えめにすることもあります。

このような被検査者の周辺情報を加味しない検査報告は「客観的」なのではなく、「一般的」と表現するのが正しく、誰にでも当てはまるけどその人のために役立つ報告にはなり得ないと言えるでしょう
その人にしか該当しないようなアセスメント報告が、その人の処遇や治療方針を決める上で優れた報告であると言えるでしょうから、本選択肢の方針で報告書をまとめれば随分味気ないものになってしまうでしょうね。

以上より、選択肢④は不適切と判断でき、こちらを選択することが求められます。

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