心理的支援活動の理論化に関する問題です。
意外なコミュニティ心理学からの出題でした。
問50 心理的支援活動の理論化について、最も適切なものを1つ選べ。
① 参加的理論構成者は、理論化を専門に行う。
② 地域援助においては、参加的理論構成者としての役割が必要になる。
③ 臨床心理面接の事例論文においては、一般化に統計的手法が必須である。
④ 量的データを扱う際には、研究者のリフレクシヴィティ〈reflexivity〉が重要である。
解答のポイント
コミュニティ心理学における重要概念を把握している。
量的データおよび質的データを用いた研究手法の特徴を理解している。
選択肢の解説
① 参加的理論構成者は、理論化を専門に行う。
② 地域援助においては、参加的理論構成者としての役割が必要になる。
ここではまず多くの人にとって耳慣れないであろう「参加的理論構成者」という用語の説明を行っていきましょう(まさかこれが出るとは…)。
この用語は「コミュニティ心理学」という1960年代のアメリカにおける地域精神保健運動の高まりを背景に誕生した比較的新しい心理学分野で用いられている用語です。
「コミュニティ心理学」という用語が正式に用いられたのは、1965年にア行われたボストン会議(地域精神保健のための心理学の教育に関する会議)であり、この会議においては従来の臨床心理学の限界を超え、社会のニーズに応じることができる心理学者の養成に向け、今日のコミュニティ心理学につながるさまざまな鍵概念が議論されました。
日本におけるコミュニティ心理学の草分けと言えば山本和郎先生ですが、先生はコミュニティ心理学を「さまざまな異なる身体的心理的社会的文化的条件をもつ人々が、誰も切り捨てられることなく共に生きることを模索する中で、人と環境の適合性を最大にするための基礎知識と方略に関して、実際に起こるさまざまな心理的社会的問題の解決に具体的に参加しながら研究を進める心理学である」と定義づけています。
私がもっているのはこちらです(昔はもっと沢山持っていたのですが、大学を辞める際に2/3を処分したので、これしかコミュニティ心理学の書籍は残ってない)。
先述のボストン会議ですが、Benettはこの印象に触れながら、コミュニティ心理学という新しい領域でコミュニティ心理学者を、社会変革の機関、社会システムの分析者、コミュニティ問題に対するコンサルタント、環境全体との関係で人をそのまま捉えようとする研究者=参加的理論構成者として特徴づけました。
山本和郎先生によれば、コミュニティ心理学者は人と環境との適合性を高めるための実践的働きかけとそのための研究を進めるべきだとして、コミュニティ心理学者の役割として以下の5つを挙げています。
- 変革の促進者:この役割は、伝統的な個人臨床心理学者が取ってきた立場も同じである。しかし、コミュニティ心理学者にとっては、個人や家族や集団の変化に加えてコミュニティの変革の促進も図るという立場が新たに加わることになる。例えば、悩める個人とその環境に同時に介入することによって、両者の適合性の変革を促進していくことになる。コミュニティのもつ多様なニーズに対応していくためには、近接諸科学との学際的な協力関係やコミュニティ内のキーパーソンとの協力関係を結ぶ技能なども要求されることになってくる。
- コンサルタントの役割:これはコミュニティで問題になっていることを専門家が一人で抱え込んでしまうのではなくて、専門家としての知識と技能を提供しながらも、コミュニティで実際に問題にしている人たちと一緒になって考えていこうとする役割のことである。例えば、障害児をコミュニティ心理学者が抱え込む形で治療教育するのではなく、障害児を担任して困っている教師や家族の相談に乗るような形態をとるのである。すぐ相談に乗り、コミュニティの社会資源を活用できるために、軽快なフットワークの良さと多くの社会資源を活用できる綿密なネットワークがコンサルタントの役割には必要と思われる。
- 評価者の役割:これは従来の臨床心理学において重要な役割の一つであった個人の心理診断の上に更にコミュニティ診断が必要とされる。例えば、コミュニティがどのように変革すれば、当該の個人が適応していけるかといった評価である。また、社会システムが人にどのような影響を与えているのかを評価することによって、病理現象の発生予防にも取り組むことができる。さらに現在行われている社会的サービスはどのような効果をもたらしているのかといった評価も含まれる。このように評価機能を入れることによって次のプログラムも明らかになってくると思われる。
- システム・オーガナイザー:この役割はMurrellの唱える社会システム介入やシステム間介入やネットワーク介入に相当するもので、既存のシステムを活性化したり新たにシステムを作ったりすることで利用者のニーズに合うコミュニティにしていくことである。これまでの臨床心理学では、個人と個人の人間関係を促進することはあったが、コミュニティ心理学ではシステム間の関係をよくするための役割も出てくるところに特徴がある。例えば、障害児のための支援グループや電話相談システムを作ったりすることもここでの役割に入る。システム・オーガナイザーが黒子的存在であるとき、コミュニティは自律的に育っていくことが予想される。
- 参加的理論構成者:この役割はボストン会議で主張された重要な概念の一つである。大学の研究室にこもっていて、コミュニティがいま問題にしていることにフィットしない研究ばかりしているのではなく、コミュニティに飛び出し、住民の立場にたって実践しながら研究しそれを理論化していくという立場をこの役割は示している。こうすることで専門家だけでなくコミュニティの住民にも利用可能な知識と技術が蓄積されていくことになる。
一人の専門家がこれら5つの役割を担えること、そして、こういった5つの能力を持っているそれぞれのキーパーソンと協力関係を作れるような力が重要になります。
これらを踏まえれば、まず選択肢②の「地域援助においては、参加的理論構成者としての役割が必要になる」ということはコミュニティ心理学(すなわち地域援助心理学)においてその立ち上げの時期から示されていることと言えますね。
そして、参加的理論構成者とは、選択肢①にある「理論化を専門に行う」だけではなく、そのコミュニティの人々の立場にたち、その中に入っていって課題を見つけ、その実践を通して理論化していくことが重要になります。
先のBenettの定義を引用すれば、参加的理論構成者とは「社会変革の機関、社会システムの分析者、コミュニティ問題に対するコンサルタント、環境全体との関係で人をそのまま捉えようとする研究者」であると言えますから、単に「理論化を専門に行う」だけに留まらないことがわかりますね。
こうした参加的理論構成者に関しては、研究法としてはエスノグラフィに近いところもあり、サリヴァンの「関与しながらの観察」に通じるものもあり、京都大学のサル学(チンパンジー?を檻に閉じ込めて研究するのではなく、こちらがチンパンジーの住んでいるところまで行って研究する)にも共通点を感じます。
このように、参加的理論構成者とは「地域援助における重要な役割」であり、単に「理論化を専門に行う」だけの存在ではないことがわかります。
よって、選択肢①は不適切、選択肢②が適切と判断できます。
③ 臨床心理面接の事例論文においては、一般化に統計的手法が必須である。
一般に研究を「量的研究」と「質的研究」に分類した場合、事例論文は質的研究に含まれるものになります。
量的研究とは「心理的特徴を数値データに置き換えて測定・収集し、分析結果に基づいて論じるスタイルの研究」であり、質的研究とは「数値以外の様々なものをデータとして扱い、主にはインタビューや自由記述などによって得られる言葉や語りであるが、バウムテストで得られる絵なども含む」ものです。
これらはどちらが優れているという話ではなく、研究の目的に適したものを使用する態度が望ましいです。
一般には、先行研究を集めた上で(文献研究)、いくつかの事例をまとめてモデルを提唱し(質的研究)、それらを実験研究や調査研究で実証していく(量的研究)といった流れで展開していくことが多いです。
さて、このように質的研究に含まれる事例論文では、一般的には統計的手法を用いることはないことがわかると思います(統計的手法を用いるのは量的研究に類するものであるはずだから)。
このくらいで既に本選択肢の解説は済んでいるのですが、事例研究法に関しても概説しておきましょう。
事例研究は、援助的介入の実践モデルや理論を構築したり実証したりするために、実際に起きている事例を分析する研究法です。
典型的な対象としての事例を選択するため、サンプルサイズは通常小さくなります。
研究の手順としては、事例を選択した理由を明確にし、観察、面接、検査などにより多面的なデータを収集し、事例の経過を詳細に記述します。
カウンセラーなど事例の実践者の立場やクライエントとの関係などもデータに含まれてくることになります。
主としてデータの分析は質的なものになりますが、行動主義に基づいた量的分析の手法もあるにはあります(だから「一般化に統計的手法が必須である」という本選択肢の内容は適切にはならないですね)。
質的分析では研究対象者の内的世界を扱える自由度の高さが強みになりますが、科学的根拠の低さが指摘されています(これに対しては臨床的妥当性という概念が提唱されたりしていますね)。
特定の事例を扱い、個人やその関係者と深く関わるため、インフォームド・コンセントやプライバシー保護への配慮、データ管理や保管期限、公表に際しての協力者の同意など、研究倫理の問題に留意する必要もあります。
このように、事例研究で示される論文では、一般に統計的手法を用いることはありません(立場や研究の方向性によってはあり得るから、絶対に使わないというわけではない。だけど、本選択肢のように「一般的に必須」とは言えない)。
よって、選択肢③は不適切と判断できます。
④ 量的データを扱う際には、研究者のリフレクシヴィティ〈reflexivity〉が重要である。
「リフレクシヴィティ」とは、再帰性(もう一度戻ってくる性質。 言語学・社会学で、動作主が自己を含めて何らかの行為・指示・言及の対象とする性質)と訳されます。
「個人の見解から完全に独立した客観的事実や普遍的な真理が存在する」という主張は、すでに多くの批判に晒されてきました。
こういった主張に対してポスト構造主義は、調査者や研究者の価値体系から独立した真理など存在しないことを指摘しています。
社会学者は、上記のような「社会や文化を何にも囚われずに見ることができない」という批判を受けてから、「他を対象化する自身も対象化する」というように再帰的・反省的(=リフレクシヴィティ)であることが求められるようになりました。
つまり、研究においては「研究の前提、価値、偏向を明らかにするために、研究の仕方やプロセスに対する批判的な検証を行い続けること」がリフレクシヴィティであると言えます。
例えば、社会学の研究法であるエスノグラフィでは、あるコミュニティを研究対象とするときに、同時に「そのコミュニティの一員になる」ということになります。
「コミュニティの一員」になれば、その中で何かしら役割を与えられますし、仮に役割がなかったとしてもコミュニティの人々との関わりが生じます。
すなわち、「コミュニティの一員」になった瞬間から、客観的にコミュニティを観察することは不可能であり、「自身を含めたコミュニティ」を「コミュニティの内側から」見ていかざるを得ないことになるわけです。
つまり「研究者としての自分」と「研究対象としてのコミュニティ」の間にリフレクシヴィティ(再帰的・反省的)な関係が生じるということになるわけですね。
研究する自分が、コミュニティに影響を与え、コミュニティに変容をもたらし、それを研究者が認識・記述した時点で、その行為が更にコミュニティの変容を招くという循環的な現象が生じ、こうした現象を指して「リフレクシヴィティ」と呼ぶのです。
さて、このようにリフレクシヴィティを理解してみると、こちらは質的研究のような「やりとり」自体を記述していく研究方法において重要になってくると考えられます。
サリヴァンの「関与しながらの観察」で得たクライエントのデータも、本来はこうした再帰性・反省性を含んだものであると言えそうですね。
対して、量的データを扱う場合には、むしろ研究者は自身の影響を最小になるよう努力することで「客観的な結果」を得ることができると見なします。
このように本選択肢の「量的データを扱う際には、研究者のリフレクシヴィティが重要」というのは、主語を「質的データ」に置き換えることで正しい文章になるのだろうと考えられます。
よって、選択肢④は不適切と判断できます。