公認心理師 2020-141

事例の内容と適合する非行理論を選択する問題になります。

ここで挙げられている非行理論は、すべてかなり古いものになりますし、なかなか一般の辞書には載っていませんね。

原著の翻訳も古く、なかなか手に入れるのが難しいので、解説を書くのに苦労しました。

問141 16歳の男子A、高校1年生。Aは、友達と一緒に原動機付自転車の無免許運転をしていたところを逮捕され、これを契機に、教師に勧められ、スクールカウンセラーBのもとを訪れた。Aには非行前歴はなく、無免許運転についてしきりに「友達に誘われたからやった」「みんなやっている」「誰にも迷惑をかけていない」などと言い訳をした。Bは、Aの非行性は進んでいるものではなく、善悪の区別もついているが、口実を見つけることで非行への抵抗を弱くしていると理解した。
 BがAの非行を理解するのに適合する非行理論として、最も適切なものを1つ選べ。
① A. K. Cohenの非行下位文化理論
② D. Matzaの漂流理論
③ E. H. Sutherlandの分化的接触理論
④ T. Hirschiの社会的絆理論
⑤ T. Sellinの文化葛藤理論

解答のポイント

古典的な非行理論について把握している。

選択肢の解説

① A. K. Cohenの非行下位文化理論

こちらは「社会的緊張理論」という枠組みに含まれる理論です(こうした枠組みに関してはHirschが1969年に示しました)。

この枠組みでは、「社会の内部に心理的な緊張、不満をもたらすような圧力が存在し、これが人々の犯罪・非行に走らせるように動機づけている」と考える理論であり、このような圧力は特定の階層に強く働くので、社会構造との関連で犯罪・非行の発生過程を説明するのに有効な理論です。

すなわち、社会的緊張理論の枠組みに属する理論は「非行が押し出される理論」と言え、日本においては戦後の社会混乱における貧困と家庭の不安定を原因と考え、戦後混乱期の第1の波を説明する理論としては有効と言えました(日本の戦後の非行には3つの波があり、第1の波は戦後の混乱期に見いだされた。他の波は他選択肢の解説で述べます)。

よって、この時期の非行対策は、困窮による不満の除去を目標とする福祉的な対策が強調されていました。

この立場は、Maertonの「アノミー論」が代表的で、Cohenの「サブカルチャー理論」、Cloward&Ohlinの「分化的機会接触理論」がここに含まれます。

コーエンのサブカルチャー理論は、非行の文化が標準的な中流階層の文化と異なるために、非行少年は逸脱者とみなされると考える立場であり、これと同じ流れを汲む本選択肢の「非行下位文化理論」では「労働者地区特有の非行少年の特徴を、非功利性、破壊趣味、否定主義、集団的自律性などに見いだし」、これらの非行は「中産階級本位の競走的社会に対する、欲求不満の裏返しとしての一種の自己主張」であると捉えた理論です。

なお、この理論においては、上位文化では「犯罪をしなくても生きていける」ため、犯罪率は低くなるという見解を示します。

なお、「アノミー論」とは、初期の原始的な社会形態では、その社会の道徳意識を共有しない少数者がいることで、集団の成員は優越感を持ち、集団の結束力を高めたが、社会が発展すると、集団を画一的なルールでは統率できずに、個々人の欲求を個別に調整する必要が生じてきます。

この調整が不十分な時、人々の欲望が無限に拡大し、伝統的な規範が失われた状態になり、これを「アノミー」と名付け、アノミー状態では、個人の欲求と、欲求を実現する手段とが不均衡であるために犯罪が起きるとしました。

ここで挙げたような理論は、おおよそ「非行・犯罪とは個人の統制能力をこえた諸力の産物である」という見解を支持してきました。

そのような見解は、遺伝や器質などに関する生得的なものであるにせよ、家庭や学校や地域などに関する社会環境によるものであるにせよ、個々人の非行の背後に存在する原因解明に重点を置いています。

そして、非行の原因を実証的に同定可能なものと見なすことで、それらの行動を予測することも可能だと考えています。

こうした理論的枠組みに関しては、種々の批判があり、その一つとしてMatzaの漂流理論があります。

Matzaは、少年による非行が先行する諸原因によってあらかじめ決定づけられたものであるならば、彼ら(彼女ら)はまさに、原因の連鎖のなかで翻弄される客体にすぎないことになるが、少年たちが先行原因によって常に非行を行う存在であるとか、必然的に成人犯罪者になると考えることは、およそ現実離れしているとしました。

彼ら(彼女ら)はむしろ、そのときどきの状況において合法的でも非合法的でもあるような「漂流者(drifter)」なのだと捉えたのが、漂流理論になります(こちらについては選択肢②の解説で詳しく述べます)。

さて、こうした批判はさておき、本問で必要なのは「社会的緊張理論」に属する「非行下位文化理論」が、事例の状況にmatchするか否かです。

具体的なポイントは「Aには非行前歴はなく、無免許運転についてしきりに「友達に誘われたからやった」「みんなやっている」「誰にも迷惑をかけていない」などと言い訳をした。Bは、Aの非行性は進んでいるものではなく、善悪の区別もついているが、口実を見つけることで非行への抵抗を弱くしていると理解した」という事例状況が、非行下位文化理論に合致するか否かです。

上記を見る限り、Aがある文化の下位文化に位置することがわかる記述は見られませんし、そうした社会からの圧力の存在も想定できません。

よって、選択肢①の非行下位文化理論は、本事例の非行を理解するのに適合する非行理論として不適切であると判断できます。

③ E. H. Sutherlandの分化的接触理論
⑤ T. Sellinの文化葛藤理論

これらは「文化的逸脱理論」という枠組みに含まれる理論です。

ある下位文化が社会全体の主流をなす文化から逸脱している場合、すなわち、非行下位文化が存在する場合、その下位文化の中で社会化された個人は、下位文化の規範や行動を学習・同調し、それが犯罪や非行になるという考え方です。

代表的な理論がSutherlandの「分化的接触理論」で、この理論では、犯罪行動は、他の人々との相互作用を通じて学習されるものであり、その学習は親密な私的集団の中で行われると考えます。

特に犯罪文化と接触し、非犯罪文化と隔絶したとき、犯罪文化と同化するとしています。

この理論においてサザランドは、犯罪行動は人々が犯罪的文化に接触する中で学習され、通常者と分離することで生じるものであるとし、犯罪を人格の歪み、情動障害の所産とみるそれまでの見方を批判しました。

分化的接触理論では、頻度、持続期間、強度、優先順位という4つのキーワードが重視されており、個人が犯罪や逸脱行動に走るかどうかは、それらに触れる頻度や期間、関り合い (強度・優先順位)の深さが強く関係します。

すなわち、犯罪を肯定する文化と、それを否定する文化がせめぎ合う環境において、犯罪を肯定する文化を、否定する文化よりもより早く、より強く、より長く学んだ者が犯罪者になると考えるわけです。

つまり、犯罪行動とは先天的要因によって決定されるのではなく、後天的に取得されると考える理論になります。

従来の理論(非行下位文化理論など)では犯罪行動は下層階層に多いと思われがちでしたが、サザランドの分化的接触理論に基づけば、上流中流階層の人々の中にもこのような犯罪文化は存在し、さまざまな犯罪行動(たとえば贈収賄や偽りの申告など)が行われているとして、これを「ホワイト・カラー犯罪」とサザランドは呼びました。

ただ、上流中流階層の人々は、自己の犯罪的行動が発見されるのをうまく逃れる術を知っているので「犯罪行動は下層に多い」ように見えるだけであるとサザランドは述べています。

サザランドの「分化的接触理論」と同じく、この枠組みに含まれる理論としてSellinの「文化葛藤理論」があります。

セリンは、文化の葛藤が犯罪を生み出すと考えました。

人は第一次集団(日常的に直接接触しており、相互に一体感や連帯感が共有できているような集団。例えば、家族や近隣集団)や第二次集団(成員間が間接的な繋がりである集団のこと。仕事の関係など)との接触により、各々の行為の規範を形成しますが、さまざまな集団と触れ合い、優先的な規範と他の規範とが相反するとき、そこに葛藤が生じ、犯罪の原因になるとしています。

この理論の背景には、アメリカが移民社会であるという特色があり、この理論によれば葛藤を抱きやすい移民に犯罪が多くみられると考えるわけです。

なお、セリンは、移民の規範が社会の規範と異なったときに発生する「第一次的葛藤」と、社会的差別の過程から文化衝突が生まれる「第二次的葛藤」の二つを区別しています。

こうした文化的逸脱理論は、言わば「非行を引き出す理論」であり、日本においては高度成長期に、その発展から取り残された者の世の中に対する怒りのエネルギーとして、それを犯罪・非行として引き出す非行文化の存在を重視しました。

日本の戦後の非行において第2の波である高度成長期の非行を説明できる理論と見なされており、非行対策としては差別の除去と非行文化の除去が中心課題となります。

さて、大切なのは「Aには非行前歴はなく、無免許運転についてしきりに「友達に誘われたからやった」「みんなやっている」「誰にも迷惑をかけていない」などと言い訳をした。Bは、Aの非行性は進んでいるものではなく、善悪の区別もついているが、口実を見つけることで非行への抵抗を弱くしていると理解した」という事例状況が、分化的接触理論や文化的葛藤理論に合致するか否かです。

「Aには非行前歴はなく」とあるように、Aが犯罪を肯定する文化で過ごしたという形跡は見られませんし、文化間の葛藤を感じた状況も見受けられません。

よって、選択肢③の「分化的接触理論」および選択肢⑤の「文化的葛藤理論」は、本事例の非行を理解するのに適合する非行理論として不適切であると判断できます。

④ T. Hirschiの社会的絆理論

こちらは「社会的統制理論」という枠組みに含まれる理論です。

従来の非行理論が「なぜ彼ら(彼女ら)は非行や犯罪をおこすのか」という原因論から出発したことに対し、この理論枠(その一つとして社会的絆理論がある)では「人はどうして犯罪・非行を犯さないか」という問題設定から出発しています。

あえて単純化して言えば、人間は本来欲望のままに行動する存在であり、人間が犯罪・非行を犯さないのは、心理的な抑制、社会的統制がそれを抑止しているからと考えます。

その抑止が弱まったとき、犯罪・非行が生じると考えるわけです。

この枠組みの代表的な研究者はHirschであり、彼は個人と順法的な社会とを結ぶ社会的絆があり、これが弱められ、断ち切られた場合に非行が生じるとしています。

ハーシによれば、社会的絆には、家族や学校および友人などに対する「愛着」、クラブ活動や勉強などの合法的活動への「コミットメント」、合法的な成功をめざして行う進学などへの「インボルブメント(関与)」、ルールや規範などへの尊敬である「信念」があるとしています。

これらの絆はいずれもインフォーマルなものであり、ハーシはこのようなインフォーマルな社会統制メカニズムの重要性を説きました。

社会的絆理論をはじめとした社会的統制理論は「非行が湧き出る理論」であると考えられ、安定低成長期における少年の行動に許容的な風潮、少年をつなぎ止める社会的な絆の弱体化など、ある意味でアノミー化(伝統的な規範が失われた状態)した社会の中で、少年たちは自己存在確認の非行や人間に内在する悪心が発揮されやすくなったと捉えられています。

日本における安定低成長期(犯罪の第3の波の時期)の非行を説明する理論であるとされ、非行対策としては、社会秩序の再構築と少年を取り巻く絆と統制力の回復、個人の自制力、道徳心の育成が必要とされました。

では、「Aには非行前歴はなく、無免許運転についてしきりに「友達に誘われたからやった」「みんなやっている」「誰にも迷惑をかけていない」などと言い訳をした。Bは、Aの非行性は進んでいるものではなく、善悪の区別もついているが、口実を見つけることで非行への抵抗を弱くしていると理解した」という事例状況が、社会的絆理論に合致するか考えていきましょう。

事例では、Aの社会的絆(愛着、コミットメント、関与、信念)が弱まったという描写は見られず、社会的絆理論で説明するのは困難であると言えます。

よって、選択肢④の「社会的絆理論」は、本事例の非行を理解するのに適合する非行理論として不適切であると判断できます。

② D. Matzaの漂流理論

こちらの理論に関しては、提唱者の著した書籍の翻訳があります。

絶版ですが、私は県内に1館だけ所蔵してある図書館があったのでラッキーでした。

非行理論の古典に位置づけられるMatzaの漂流理論(ドリフト理論とも呼ばれる)は、Sykesとの共著論文である「中和化の技術」論を基礎にして、非行・犯罪に関する実証主義的研究への批判として展開されたものです。

マッツァは、少年たちが先行原因によって常に非行を行う存在であるとか、必然的に成人犯罪者になると考えることに批判的であり、非行少年の多くが朝から晩まで非行行動をしているわけでなく、ほとんどの時間は遵法的な行動をしていること、ある年齢になると特に外部から強制されなくとも非行から引退することなどから「彼ら(彼女ら)が非行を行なっている状態は一種の通過儀礼として遵法と違法の境界を漂流していると捉えるべき」だと考えました。

この理論によると、ほとんどの非行少年は合法的な文化を肯定しておりますが、一方で彼らの自由意思により非行を繰り返したとしても、いずれは更生して自らの意志で合法的・遵法的な文化に帰着するとしています。

漂流理論の基礎となっているのは、マッツァがサイクスとともに1957年に提唱した「中和の技術」であり、これによると非行少年は、①責任の否定、②損害の否定、③被害者の否定、④非難者への非難、⑤より高度な忠誠心への訴え、という5つの技術を用いて、非行へ向かったことを正当化するということを指しています。

漂流理論においては、これらの技術によって非行の事実を中和することで、合法的な文化に戻ることが可能となると捉えられます。

漂流理論では、非行少年の「自由意思において犯罪・非行を行っている」と捉えるので、その点で「社会的緊張理論(非行下位文化理論が含まれる)」や「文化的逸脱理論(分化的接触理論や文化葛藤理論が含まれる)」への反論として受け入れられました。

では、「Aには非行前歴はなく、無免許運転についてしきりに「友達に誘われたからやった」「みんなやっている」「誰にも迷惑をかけていない」などと言い訳をした。Bは、Aの非行性は進んでいるものではなく、善悪の区別もついているが、口実を見つけることで非行への抵抗を弱くしていると理解した」という事例状況が、漂流理論に合致するか考えていきましょう。

漂流理論の観点から言えば、「友達に誘われたからやった」は責任の否定であり、「みんなやっている」は責任の否定であり、「誰にも迷惑をかけていない」は被害者の否定ですね。

また、「Aの非行性は進んでいるものではなく、善悪の区別もついている」という点も、まさに漂流理論の特徴であり、少年が自らの自由意思でその行動を選択したという前提があります。

更に、「口実を見つけることで非行への抵抗を弱くしていると理解した」というのは、上記の「中和の技術」のことを指しており、漂流理論で説明できる内容となっています。

以上より、選択肢②の「漂流理論」はAの非行を理解するのに適合する非行理論として適切と判断できます。

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