公認心理師 2024-145

事例の状況を説明する概念を選択する問題です。

それほど難しい問題ではありませんから、即座に解きたいところです。

問145 17歳の女子A、高校2年生。高校1年生の頃、Aは、勉強に励んでいて、成績も良かった。その甲斐もあって、高校2年生になると、ある教科の能力別クラス編成では、一番成績の良いクラスに入った。しかし、そのクラスでは、テストの問題が難しくなり、Aが一生懸命勉強しても、良い成績が取れなくなってしまった。Aは、良い成績を取るために、テスト勉強の時間を増やすなど、できる限りの努力をしたが、成績は低いままであった。Aは、一般のクラスに移りたいと希望したが、親の反対により移れなかった。その後も、Aの成績は上がらず、勉強に励む様子もみられなくなった。
 Aの現在の状態を説明する概念として、最も適切なものを1つ選べ。
① 原因帰属
② 学習性無力感
③ 自己調整学習
④ 内発的動機づけ
⑤ 防衛的悲観主義

選択肢の解説

① 原因帰属
② 学習性無力感
③ 自己調整学習
④ 内発的動機づけ
⑤ 防衛的悲観主義

本問では、的確に「何が問われているのか?」を理解しておく必要があります。

問題として「Aの現在の状態を説明する概念」が問われているわけですが、この「現在」とは何を意味するのか?

それは「その後も、Aの成績は上がらず、勉強に励む様子もみられなくなった」という状態についての理解が問われているわけです(もっと詳しく言えば、なぜ「勉強に励む様子が無くなったのか?」が問われている)。

それを踏まえて各選択肢を見ていきましょう。

まず選択肢①の原因帰属ですが、これは本来あいまいな因果関係を特定の原因に帰属させることを指し、その過程を理論化したものを原因帰属理論と言います。

本問では特定の原因帰属理論について言及されておらず、単に「原因帰属」とだけ表記されているので、事例の中で「本来あいまいな因果関係を特定の原因に帰属させること」をした結果、「勉強に励む様子が無くなった」ということを結びつけることが可能かを考えていく必要があります。

事例では、Aが、①一番成績の良いクラスに入った、②良い成績が取れなくなった、③良い成績を取るために現実的な努力(勉強時間を増やす等)を行ったが成績は低いまま、④一般クラスに移りたいと希望したが親の反対で叶わなかった、という流れがあります。

上記の④については、Aの中で「自分の成績が上がらないのは、このクラスにいるためだ」という原因帰属が行われていたと思われます。

ですが、それ自体は現実的で適切な原因帰属であり、これ自体が「勉強に励まなくなった」という理由にはなりませんね。

選択肢③の自己調整学習は、1990年代からアメリカの教育心理学者であるZimmerman(ジマーマン)らが中心となって提案している新しい教育心理学の理論体系です。

学習者が、まず自分の目標を決め、その目標を達成するために自らの計画を立て、実行段階で思考、感情、行為をコントロールし、実行後に振り返って自らの学習行動を評価するプロセスを自己調整学習といいます。

つまり、学習を習慣的機械的にこなすのではなく、高い学習動機のもとに、目標達成に必要なことを段取りを決めて実行していくことが、習得や次の動機づけの好循環を生むと考えているわけです。

本事例における、①一番成績の良いクラスに入った、②良い成績が取れなくなった、③良い成績を取るために現実的な努力(勉強時間を増やす等)を行ったが成績は低いまま、④一般クラスに移りたいと希望したが親の反対で叶わなかった、という流れの中で、Aが③でどのような努力をしたのかは「勉強時間を延ばした」以外には不明です。

もしかすると、この中で自己調整学習と呼べるような学習をしていた可能性は大いにあり得るわけですが、そうした自己調整学習を行ったということと「勉強に励まなくなった」ということは論理的に結びつけることは困難と言えますね。

続いて、選択肢④の内発的動機づけですが、興味・関心や知的好奇心など、人間の内側から生じるもので活動そのものが目的となっている場合を内発的動機づけと呼びます。

一方で、賞罰などの外的要因によって行動が動機づけられることを外発的動機づけと呼び、動機づけの要因が人間の外側にあり、賞を求め、罰を避ける手段として活動がなされます。

本事例において、Aはどうも「成績」という外的な評価を基準にクラスを移る・移らないという判断をしているように読み取れます。

この時点で、本事例の様々な行動の背景に「内発的動機づけが存在する」と見なすのは難しいと言えますし、仮に内発的動機づけに基づいて動いていたとしても「勉強に励まなくなった」を説明する概念にはなり得ません。

続いて、選択肢⑤の防衛的悲観主義ですが、物事を悪いほうに考えることで、悪い状況を回避しようと努力し、その結果成功につながるという認知方略の一種です。

防衛的悲観主義は不安を引き起こすような出来事や仕事に備えるための方略として用いられ、防衛的悲観主義者は、彼らの目標追及に対して不利な影響を及ぼすかもしれない特定の好ましからぬ出来事や失敗について徹底的に思案します。

あり得るネガティブな結果を予想しておくことによって、防衛的悲観主義者はそれらを回避するなり、備えるなりするための行動を取ることができるという論理ですね。

例えば、講演を行うのが不安な場合、講演を行うことで起こるさまざまな不安な要素(講演内容を忘れる、パワポデータを紛失する、服が汚れる…など)をあらかじめ予測し、これらの問題を考慮しておいたことで、困難に直面するための適切な準備(メモを手元に持つ、パワポデータをメールで送っておく、着替えを用意するなど)ができるということです。

本事例において、こうした防衛的悲観主義が存在しているかというと、もしかするとAは「自分はこのクラスでやっていけない」という悲観的な認知方略を用いていた可能性はあると思われます。

しかし、その認知方略がうまく活用されている様子はなく(移動は親に止められ、勉強を重ねても成績は伸びていない)、本事例の状況を防衛的悲観主義という概念で説明するのは困難であると言えます。

最後に選択肢②の学習性無力感ですが、セリグマンは、いかなる能動的行動もいっさい嫌悪刺激の回避に役立たないという経験を通して無気力が学習されること(学習性無力感)をイヌを用いた実験から明らかにしたことで有名ですね。

学習性無力感の実験は、1967年にセリグマンとマイヤーが犬を用いて行いました。

予告信号のあとに床から電気ショックを犬に与えるというもので、犬のいる部屋は壁で仕切られており、予告信号の後、壁を飛び越せば電気ショックを回避できるようにしました。

実験では「電気ショックを回避できない状況を経験した犬」と「足でパネルを押すことで電気ショックを終了させられる状況を経験した犬」の二つの集団を用意しました(実験ではその二つの集団に加え、なにもしていない犬の集団で行われた)。

実験の結果、電気ショックを回避できない犬は、その他の集団に比べ回避に失敗しました。

具体的にはその他の集団が平均回避失敗数が実験10回中約2回であるのに対し、「電気ショックを回避できない群の犬」は平均回避失敗数が実験10回中約7回でした。

これは犬が前段階において、電気ショックと自分の行動が無関係であると学習・認知した為に、実験で回避できる状況となった場合でも何もしなくなってしまったと考えられます。

こうした現象を指して、セリグマンらは「学習性無力感」と呼びました。

要するに「やってもやっても無駄なことを学習し、もうやらなくなる」という状況を指しているわけです。

ここで本事例の状況を振り返ってみると、①一番成績の良いクラスに入った、②良い成績が取れなくなった、③良い成績を取るために現実的な努力(勉強時間を増やす等)を行ったが成績は低いまま、④一般クラスに移りたいと希望したが親の反対で叶わなかった、⑤その後も、Aの成績は上がらず、勉強に励む様子もみられなくなった、ということになります。

これはやってもやってもうまくいかないという状況(③の努力しても成績が伸びない、④~⑤のクラスを移りたいと言ったけどダメでその後も成績が伸びない)をそのまま表しており、Aに学習性無力感が生じた結果、「勉強に励む様子もみられなくなった」ということで理解することは可能です。

ポイントなのが、Aがちゃんと現実的に努力を重ねているという事実があること、その上で苦しい現実を「社会的に適切な方法」をもって変えようとしている(一般クラスへの移動)こと、などがあるので、「やってもやってもうまくいかない」という学習性無力感の状況であると同定することが可能なわけです。

Aが仮に、全く現実的な努力を行っていないといった状況であれば、学習性無力感の概念を採用するのは間違っており、A自身が自分の実力に向き合うことのできなさ、その背景にある自我強度なども見立ての一つとして上がるわけです。

いずれにせよ、本事例を学習性無力感によって展開していると見なすのは妥当であると言えます。

よって、選択肢①、選択肢③、選択肢④および選択肢⑤は不適切と判断でき、選択肢②が適切と判断できます。

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