事例の見立てと対応に関する問題です。
クライエントに起こった出来事からどういった問題を見立てるか、そして、その改善に最も有効と思われる研修内容を選択できることが大切ですね。
問144 12歳の女児A、小学6年生。Aに既往歴はなく、対人関係、学業成績、生活態度などに問題はみられなかった。しかし、ある日授業中に救急車のサイレンが聞こえてきたときに、突然頭を抱え震えだした。その後、Aはかかりつけの病院を受診したが、身体的異常はみられなかった。Aはそれ以降、登校しぶりが目立っている。保護者によると、1年前に、家族旅行先で交通死亡事故を目撃したとのことであった。AやAの家族は事故に巻き込まれてはいない。スクールカウンセラーであるBは、教師の校内研修会でAへの対応に役立つような話をすることになった。
Bが提示する内容として、最も適切なものを1つ選べ。
① 発達障害への対応
② 曖昧な喪失へのケア
③ 心理的リアクタンスの理解
④ トラウマ・インフォームド・ケア
⑤ 反応性アタッチメント障害の理解
解答のポイント
事例の状態を見立て、必要な対応を選択することができる。
選択肢の解説
① 発達障害への対応
Aに起こっている問題は何なのかについては他の選択肢での解説に回すとして、ここではAに「発達障害への対応」が必要か否かを考えていきましょう。
「Aに既往歴はなく、対人関係、学業成績、生活態度などに問題はみられなかった」という点からは、発達障害の可能性はかなり低いと考えるのが妥当です。
発達的な問題があるのであれば、もっと小さいころから何かしらの傾向がみられるのが一般的であり、小学校6年生になって急に発達の問題が出るということは考えにくいと言えます。
もちろん、それまで見過ごされてきた発達上の課題が、この時期になって指摘されるという可能性がゼロとは言えません。
そこで、Aの示している問題を抜き出すと「ある日授業中に救急車のサイレンが聞こえてきたときに、突然頭を抱え震えだした。その後、Aはかかりつけの病院を受診したが、身体的異常はみられなかった。Aはそれ以降、登校しぶりが目立っている」とあります。
もしも発達的な問題、例えば、音をきっかけになっていることから聴覚過敏の可能性を考えてみても、「救急車のサイレンで問題が生じる説明が困難」ですし(今までの人生でサイレン聞いたこと無いなんてあり得ない)、それ以外に聴覚過敏の情報がないというのも不自然です。
すなわち、状況的にも、現病歴的にも、Aを発達障害だと見なすには無理があるということですね。
なお、小学校3年生あたりになって、急に心理的な問題を示すような事例に対して、発達障害の可能性を軽々に持ち出すのは良くないと感じることが多いです。
小学校3年生になると、学習が難しくなってくること(つまり、自分がうまく機能できない状況を忌避する傾向の子どもにとっては危機的状況になる)、前思春期に差し掛かること(子ども自身の個が立ち現われてくるので、それまで抑圧していたものが出やすくなる、もしくは、確立した価値観が学校環境と合わなくなる等)、などが出てきます。
こういうことも踏まえて「なぜか急に出てきた、発達障害と捉えることができなくもない事例」に対して、軽々に発達障害の見立てで支援を進めていくのではなく、もっと子どもの成長や環境も加味して見立てを行っていくことが大切です。
いずれにせよ、Aに対して発達障害であると考えて対応するのは、いろいろと矛盾があると言えますね。
よって、選択肢①は不適切と判断できます。
② 曖昧な喪失へのケア
こちらは「曖昧な喪失」という考え方に関する理解が問われています。
「曖昧な喪失」とは、Boss(米国の社会心理学者。米ミネソタ大学名誉教授。70年代に「曖昧な喪失」理論を提唱し、喪失が不確実であるために高いストレスを抱える家族らを支援してきた)が提起した概念であり、喪失した確証のない不確実な状態をいい、以下の2つのタイプがあります。
- 身体的には不在であるが、心理的に存在していると認知されることにより経験される喪失
「さよならのない別れ」
自然災害における行方不明者,行方不明兵士と誘拐された子供、人質 ・ 拘禁、移民、養子縁組、離婚、転勤など - 身体的に存在しているが、心理的に不在であると認知されることにより経験される喪失
「別れのないさよなら」
アルツハイマー病やその他の認知症、慢性精神病、脳挫傷、脳梗塞、アディクションなど
※コロナ禍によって、他者と会うことが困難な状況が続くことも、人によっては該当することになるのかもしれないですね。
曖昧な喪失では、喪失が「最終的」か「一時的」かが不明確であるため、悲嘆の過程をはじめることができず、人々を困惑させ身動きできなくさせてしまいます。
そして、家族は、その状況に意味をあたえ理解することができないため、問題解決(意志決定)を行うことができなくなります。
喪失の不確実性は、愛する人との関係における役割と規則を再編成し、あいまい性を終結する
こと(=けりをつけること)を阻むため、カップルあるいは家族関係を従前の役割と規則の元にとどめ続けてしまうわけです。
このように曖昧な喪失は、長期にわたり、かつ執拗に家族の意味付けや対処、悲嘆のプロセス
を凍結する恐れがあります。
そして曖昧な喪失を経験している人々は凍結された悲嘆に囚われてしまっており、彼らと親密な関係にある他者からすれば、心理的に不在であると認識されやすいために、他の親密な関係に及び、新たな曖昧な喪失を生み出しやすいとされています。
本問では、Aが体験した「1年前に、家族旅行先で交通死亡事故を目撃したとのことであった。AやAの家族は事故に巻き込まれてはいない」ということが「曖昧な喪失」に該当するか否かの判断になりますね。
そもそも「喪失」とは、かけがえのない人や物を失うことを指します(この辺の概念については「公認心理師 2021-73」でしっかりと解説済みです)。
「曖昧な喪失」でも、その前提は重要であり、本問で言えば喪失したのがAにとってかけがえのない人(例えば、家族)であることが重要になります。
しかし、あくまでもAが体験したのは「1年前に、家族旅行先で交通死亡事故を目撃したとのことであった。AやAの家族は事故に巻き込まれてはいない」であり、死亡した人がAにとって重要な人物でないと見なすのが自然ですね(そして、Aの家族も無事ですね)。
このことから、Aの状態を招いているのが「曖昧な喪失」によってであると見なすには無理があると言えますね。
よって、選択肢②は不適切と判断できます。
③ 心理的リアクタンスの理解
心理的リアクタンスとは、人が自由を侵害されそうになることで生じる、自由を回復するように動機づけられた状態のことを指します。
ある行動に対して「自分は自由にその行動を取ることができる」という信念を持っており、その自由が重要であるほど、また自由への脅威が大きいほど、喚起されるリアクタンスは大きくなります。
特に説得的コミュニケーションでは相手の態度や行動に影響を与えようとしますが、このことで却って説得される個人は、制限される行動の魅力をより感じ、説得に抵抗することもあります。
難しく書いていますが、要は「やれ」と言われれば「やりたくない」となる、あの心理状態のことを指しているわけで、多くの児童・生徒は経験しているやつですね(宿題しなさい→今やろうと思ってたのに、やる気なくなった!みたいな)。
さて、ではAがこの心理的リアクタンスの状態にあるかと言われれば、そんなことはありませんね。
「ある日授業中に救急車のサイレンが聞こえてきたときに、突然頭を抱え震えだした。その後、Aはかかりつけの病院を受診したが、身体的異常はみられなかった。Aはそれ以降、登校しぶりが目立っている」という状態について、心理的リアクタンス状態にあると見なせるポイントは見つかりません。
例えば、学校に行けと言われて「登校しぶりが目立っている」ということであれば、一考しないでもないのですが、そういう描写もありませんし、万が一あったとしても他の可能性を優先した方が良いと思いますね。
以上より、選択肢③は不適切と判断できます。
④ トラウマ・インフォームド・ケア
ここでは、トラウマ・インフォームド・ケアとは何かを概説していきましょう(厚生労働省のこちらのページが役立ちました)。
トラウマの影響を受けた子どもや家族は、その影響による行動化や症状を周囲に理解されず、しばしば叱責や非難、誤解といった不適切な対応を受けています。
こうした行動に対する理解を促し、その行動への対応を適切にするためにトラウマ・インフォームド・ケア(trauma informed care:TIC)は有効であるとされています。
インフォームドとは「理解している」「前提にする」という意味であり、TICは「トラウマを理解した関わり」という意味を持っています。
TICは、公衆衛生的な基本的な知識に基づく関わりを指し、トラウマケア全体の位置づけは以下の通りです。
- 一般的なトラウマの理解と基本的対応(informed):すべての人が対象。トラウマ・逆境の理解と生活環境に及ぼす影響について一般的知識をもって関わる。
- トラウマに対応したケア(Responsive):リスクを抱える人が対象。被害の影響を最小限に抑え、健全な成長と発達の機会を最大化するための支援。
- トラウマに特化したケア(Specific):トラウマの影響を受けている人が対象。特定の介入により、人生を統合していく支援。
思った人はいるでしょうけど、第1次予防~第3次予防のような考え方ですね。
上記の通り、Informedすなわち基本的理解のレベルは、トラウマの有無に関わらず、すべての人を対象にします。
身体的なけがを負った人が、生活を送りやすくすることを目指す「バリアフリー」と同様に、トラウマは「こころのけが」であり、それによる生きづらさを抱えた人が生活しやすくするために障壁をなくしていくアプローチと、インフォームド・トラウマ・ケアを捉えるのが正しい理解です。
こうしたTICをベースにしながら、トラウマの影響を受けた人に対しては「Responsive(適切な対応)」な個別ケアを提供することができます。
多くの場合、この段階でさらなるトラウマ症状の予防が見込めますが、必要な人には「Specific(特化したケア)」を提供していくことになります。
一般に「トラウマのケア」と聞くと、この最後の「Specific(特化したケア)」を思い浮かべる場合が多いが、それにつなぐ基盤となるTICもまた重要なものであると言えます。
TICを促進するSAMHSA(米国保健福祉省 薬物乱用・精神衛生サービス局)は、TICを以下の「4つのR」で説明しています。
- Realize:トラウマについての知識を持ち、
- Recognize:どんな影響を受けているか確認して、
- Respond:適切な対応をすることで、
- Resist re-traumatization:再トラウマを予防する
トラウマの影響を持つことで、トラウマの影響を見過ごすことなく認識することが可能になります。
その認識に基づいて適切な対応をすれば、支援対象者を傷つけて更なるこころのけがを負わせることなく再トラウマを防ぐことができるという取り組みです。
トラウマを体験した人は、自分の身に起きた変化や影響に気づいていないことが多いので、トラウマに関する心理教育を受けることなく、叱責や制限だけで対応されてきた場合「自分のせいで(自分が悪い子だから、おかしいから、弱いから)具合が悪いのだ」と思い込んでいます。
こうした自責感や自己否定感は、トラウマからの回復を妨げます。
そのため、TICでは、支援者がトラウマを理解するのではなく、本人やその身近な人にもトラウマの性質や影響、適切な対処法を伝える「心理教育」が欠かせません。
ここでAの状態を見ていきましょう。
Aは「ある日授業中に救急車のサイレンが聞こえてきたときに、突然頭を抱え震えだした。その後、Aはかかりつけの病院を受診したが、身体的異常はみられなかった。Aはそれ以降、登校しぶりが目立っている。保護者によると、1年前に、家族旅行先で交通死亡事故を目撃したとのことであった。AやAの家族は事故に巻き込まれてはいない」という状態ですから、交通死亡事故を目撃したことによるトラウマティックな反応がAに起こっていると見るのが妥当ですね。
一応、DSM-5のPTSDの出来事基準は以下の通りです。
A.実際にまたは危うく死ぬ、重傷を負う、性的暴力を受ける出来事への、以下のいずれか1つ(またはそれ以上)の形による曝露:
- 心的外傷的出来事を直接経験する。
- 他人に起こった出来事を直に目撃する。
- 近親者または親しい友人に起こった出来事を耳にする。 注:家族または友人が実際に死んだ出来事または危うく死にそうになった出来事の場合、それは暴力的なものまたは偶発的なものでなくてはならない。
- 心的外傷的出来事の強い不快感をいだく細部に、繰り返しまたは極端に曝露される体験をする。 (例:遺体を収集する緊急対応要員、児童虐待の詳細に繰り返し曝露される警官)。 注:仕事に関連するものでない限り、電子媒体、テレビ、映像、または写真による曝露には適用されない。
Aの場合、上記の2に該当しますね。
ちなみに出来事から6か月以上空いているので、遅延顕症型になりますね。
となると「救急車のサイレンが聞こえてきたときに、突然頭を抱え震えだした」という反応もPTSDの反応の一つと見なすことが可能ですし(侵入症状:心的外傷的出来事の側面を象徴するまたはそれに類似する、内的または外的なきっかけに反応して起こる、強烈または遷延する心理的苦痛または顕著な生理的反応)、その後の登校しぶりもPTSDの発症によって安全感が失われた結果と見なすこともできます。
なお、こうした登校しぶりに関しては、母親が事故に遭った、母親と同乗していて事故に遭った、などの出来事の後に起こることが度々見られます。
母親という安心感の基盤となる人が「いなくなる可能性」に触れたことで、根っこの安心感が揺らいで母親から離れられなくなる(=登校できなくなる)という状態が生じるという理解で良いだろうと思います。
一時的な分離不安に近い状態と言えますが、母親の密着した関わりでも安心感が増大していかない場合は他の可能性も考えていく必要がありますから、決めつけすぎないことも大切です。
さて、Aの状態については、「1年前の事故の影響が今頃出る」「Aや家族は事故に遭ってない」「事情を知らない人からすれば、登校を渋っているだけに見える」という捉え方ができます。
この認識だけでAと関わってしまうと、単なる登校しぶりの対応を受けてしまい、トラウマへの対応がおざなりになってしまう恐れがあります(この点が上記の厚生労働省の資料でも懸念されている事柄でしたね)。
ですから、「教師の校内研修会でAへの対応に役立つような話をすることになった」のを機会に、TICの視点を通してトラウマ反応に関する基本的な理解を伝えていくのは、Aの支援に有益になるだろうと考えられます。
こういう理解を伝えることで「既往歴はなく、対人関係、学業成績、生活態度などに問題はみられなかった」Aに何が起こっているのか、そのストーリーを示すことができ、それを踏まえた対応を周囲が取りやすくなると考えられます。
なお、こういう研修で「〇〇という関わりをしてください」みたいに、あまりに限定的な指示を出すのは良くないと思います。
重要なのは、クライエントに起こっている「問題のストーリー」を理解してもらうことで、「そういう問題なのだ」という認識を持ちつつ関わってもらうことにあります。
そして、多数の教員は「問題に対する正しい理解」があれば、それぞれのコミュニケーションパターンを用いて、うまく関わってくれることが多いです。
そんな中で、あまりに具体的な関わりの指示を入れてしまうと、上記の「それぞれのコミュニケーションパターンを用いて関わる」ということまで抑制しがちです。
支援に携わる人の持ち味を殺さないような研修になるよう尽力することも、スクールカウンセラーの役割の一つですね。
以上のように、Aの支援にあたって、Bが校内研修でトラウマ・インフォームド・ケアについて述べることは有益であると考えられますね。
よって、選択肢④が適切と判断できます。
⑤ 反応性アタッチメント障害の理解
Aを反応性アタッチメント障害であるか否かを考えてみましょう。
まずはDSM-5の基準を示しますね。
A.以下の両方によって明らかにされる、大人の養育者に対する抑制され情動的に引きこもった行動の一貫した様式:
- 苦痛なときでも、その子どもはめったにまたは最小限にしか安楽を求めない。
- 苦痛なときでも、その子どもはめったにまたは最小限にしか安楽に反応しない。
B.以下のうち少なくとも2つによって特徴づけられる持続的な対人交流と情動の障害
- 他者に対する最小限の対人交流と情動の反応
- 制限された陽性の感情
- 大人の養育者との威嚇的でない交流の間でも、説明できない明らかないらだたしさ、悲しみ、または恐怖のエピソードがある。
C.その子どもは以下のうち少なくとも1つによって示される不十分な養育の極端な様式を経験している。
- 安楽、刺激、および愛情に対する基本的な情動欲求が養育する大人によって満たされることが持続的に欠落するという形の社会的ネグレクトまたは剥奪
- 安定したアタッチメント形成の機会を制限することになる、主たる養育者の頻回な変更(例:里親による養育の頻繁な交代)
- 選択的アタッチメントを形成する機会を極端に制限することになる、普通でない状況における養育(例:養育者に対して子どもの比率が高い施設)
D.基準Cにあげた養育が基準Aにあげた行動障害の原因であるとみなされる(例:基準Aにあげた障害が基準Cにあげた適切な養育の欠落に続いて始まった)。
E.自閉スペクトラム症の診断基準を満たさない。
F.その障害は5歳以前に明らかである。
G.その子どもは少なくとも9カ月の発達年齢である。
これらが反応性アタッチメント障害の基準ですが、まずはわかりやすいところとして、基準F「その障害は5歳以前に明らかである」に関しては明確に矛盾があると言えますね(「12歳の女児A、小学6年生。Aに既往歴はなく、対人関係、学業成績、生活態度などに問題はみられなかった」とあるので)。
その他に、Aに反応性アタッチメント障害である可能性が示唆されるポイントを探してみても見つかりませんね。
登校しぶりという状態を指して「大人の養育者に対する抑制され情動的に引きこもった行動の一貫した様式」と見なすのは、明らかに無理がありますしね。
以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。