15歳の女子Aの事例です。
事例の内容は以下の通りです。
- 最近、成績が下がっているため中学校の相談室の公認心理師に初めて相談に来た。
- Aは成績低下の理由として、「集中力が落ちて勉強が手につかず、塾に行ってもほとんど頭に入ってこない」と話した。
- 次第に口数が少なくなり、「両親が離婚を話し合っているため、自分の将来が不安で仕方ない」と絞り出すように言って涙をこぼした。
解答のポイント
選択肢一つひとつの是非について、自分なりに説明できること。
選択肢の解説
『①勉強が手につかないことは、辛く苦しいですね』
- 入場券としての症状
- 危険信号としての症状
- 迷惑事としての症状
- 問題解決の企図としての症状
『②両親のことをここで話すことは勇気がいることでしたね』
『③成績は落ちても努力すれば、またすぐに上がってきますよ』
成績の下降はその結果であって、あくまでも悩みの中核は別のところにあることはわかるでしょう。
もちろん中核的な悩みに触れることが適切でないクライエントやタイミングもあります。
しかし、Aは「絞り出すように言って涙をこぼした」と悲壮に訴えているように読み取れます。
こうした場合に、成績に関するやり取りに終始するのはAの思いに報いる対応とは言えないでしょう。
本選択肢の対応は、Aが成績が落ちて苦しんでいる時にする検討する助言になるかもしれません。
ただし、たとえAが成績の下降で落ち込んでいたとしても、本選択肢のような安易な慰めはしないと思います。
そもそも「すぐに上がってきますよ」という根拠はどこにもないわけですから、専門家はそんな無責任なことを言ってはいけませんね。
ちなみに「慰め」「励まし」という行為は、心理的支援においてはそれほど力を発揮するものではありません。
健康な人であれば慰められることで元気が出ることもありますが、多くの心理的問題を抱えている人は慰めによって改善することはありません。
そもそも「慰め」「励まし」には、心を鎮めようとする、なだめて落ち着かせる、元気をつけようとする、という意味がありますが、いずれも「現在の状態から別の状態へ移行させようとしている」というアプローチです。
それは突き詰めれば「現在のあなたではない状態のあなたを望んでいる」ということです。
それよりも、いま現在のその人の姿を受け容れること、認めることの方が困難ではありますが大切なことだと思われます。
以上より、選択肢③は不適切と判断できます。
『④自分もまったく同じことを経験して苦しみましたが克服できました』
出来事が類似したように見えても、その前後関係や実際に話し合われている内容、そしてその場にいるA本人の感じ方は「まったく同じ」というわけがありません。
こういうことを伝えるマイナスとしては、参っている状態の人を過度に依存させる可能性があること、そして関わっていくうちに「同じ体験なんてしていないじゃないか」ということがやり取りの齟齬で見えてきてクライエントが傷つくこと、それによって心理的支援に全般に対する拒否感が生まれかねないこと、などでしょうか。
ただし、クライエントとの同型的体験の重要性は、成田善弘先生が「精神療法家の仕事」の中で示されています。
「患者の経験と同型の経験を自分の中に見出した時に、はじめて患者の気持ちがわかったと感じられる」としており、更にこうした「同型的な経験」については「治療者が自分の心をよく耕していれば、患者の話をきくうちに同型的な経験がおのずと連想されるようになる」としています。
クライエントの体験と同型的な体験を自分の内から探し出そうとすること、クライエントとそれこそ同じように感じることやそれを目指すことは大切ですが、同時に「まったく同じ体験ではあり得ない」という思いを持っているからこそ安易な当てはめに走らずに済むのだと思います。
また、自分がクライエントと同じ経験をしていることを明示するだけならともかく、それを「克服できた」と言うことに何の意味があるのか疑問です。
その言葉を口にした瞬間、「現在苦しんでいるクライエント」と「その苦しみを克服したカウンセラー」という平等とは程遠い関係性を生じさせるように思います。
端的に言えば「克服できた私と、できていないあなた」という上下関係を連想させるような言い方であると考えられます。
以前、後輩に資格試験の勉強を教えているとき、しかもこれから半年間ほどの勉強をしていくという4月の段階で、とある先生が「私は試験前1週間の勉強で受かりましたよ」と話されました。
「あなたたちがこれから半年かけて勉強するようなことを、私は1週間で何とかできるんですよ」というメッセージですよね。
言う側は「励ますため」「自分もできたからあなたもできる」という意味を込めていると主張するでしょうが、どのように受け取るかは相手次第なわけです。
内田樹先生はハラスメント的発言をする人たちについて「彼らは問題が起こると必ず「そんなつもりで言ったんじゃない」という言い訳をします。なんでそんなひねくれた解釈をするのだ、と驚いてみせる。でも、そういう解釈可能性があるということを勘定に入れずに、あるいはそうと知りながら、人を傷つけかねない剣呑な言葉を口にしたわけですから、そういう人は明らかにコミュニケーション能力に欠けている」(内田樹講演集 日本の覚醒のために)と述べておられます。
このことは別にハラスメント加害者だけでなく、人とのやり取り全般に言えることだと思います。
相手がネガティブに解釈する可能性がある言葉を言ったわけですから、それは言った側に責任がある。
人とのやり取りを通して支援を行う専門家には、こうしたコミュニケーション能力がきちんと担保されていないといけないですね。
話を事例に戻すと、「あなたが今感じている苦難を、私は既に克服してますよ」ということを言う必要は全くないと言えますね。
以上より、選択肢④は不適切と言えます。