9歳の男児A、小学3年生の事例です。
面接の内容は以下の通りです。
- Aは、担任教師Bに注意されるにもかかわらず、他の児童の持ち物をとることを繰り返している。
- すでに自分が持っている物でも繰り返しとる。
- とった物を別の児童にあげることもある。
- BはAがクラスに適応するように対応しているが、繰り返し他の児童のものをとることを放置しておけず、Aを呼び出して注意する。
- 注意するとAはニコニコしながら、理解した様子で、あれこれ的を射た応答をしてくる。
- Aが理解した様子のため、もう繰り返さないだろうとBは期待するが、すぐに同じことが繰り返される。
Aの行動の説明として、最も適切なものを1つ選ぶ問題です。
本問では、各選択肢にAに対する見立てが記述されています。
問題の内容とその見立てに齟齬がないか否かを判断できることが重要です。
解答のポイント
事例内容と選択肢の見立てとの整合性について見極めることができる。
選択肢の解説
『①収集癖を有している』
収集癖を有していると捉えた場合、いくつか矛盾した情報があります。
まずは「すでに自分が持っている物でも繰り返しとる」という点です。
ただし、収集癖の中には自分が持っている物であるということがそれほど関係がない人も多くいます。
とにかく集める、という人もいますからね。
一方で、「とった物を別の児童にあげることもある」という点については、収集癖という見立てと明らかに矛盾します。
例えが適切かわかりませんが、ゴミ屋敷に住んでいる人は「これはゴミじゃない」と言い張り、それに触れたり動かそうとすると強い怒りを示します。
個人的な印象ですが、収集に固執する人にとって、集めた物は自分の自我に取り込まれた一部のような感じを持っている気がしています。
DSM-5には「ためこみ症」が以下のように規定されています。
- 実際の価値とは関係なく、所有物を捨てること、または手放すことが持続的に困難である。
- 品物を捨てることについての困難さは、品物を保存したいと思われる要求やそれらを捨てることに関連した苦痛によるものである。
- 所有物を捨てることの困難さによって、活動できる生活空間が物で一杯になり、取り散らかり、実質的に本来意図された部屋の使用が危険にさらされることになる。もし生活空間が取り散らかっていなければ、それはただ単に第三者による介入があったためである(例:家族や清掃業者、公的機関)。
- ためこみは、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害(自己や他者にとって安全な環境を維持するということも含めて)を引き起こしている。
- ためこみは他の医学的疾患に起因する物ではない(例:脳の損傷、脳血管疾患プラダー・ウィリ症候群)。
- ためこみは、他の精神疾患の症状によってうまく説明されない(例:強迫症の脅迫観念、うつ病によるエネルギー低下、統合失調症や他の精神病性障害による妄想、認知症における認知機能障害、自閉スペクトラム症における限定的興味)。
いわゆる「収集癖」と一概に同じにしてはいけないのかもしれませんが、上記の通り「手放すこと」の困難はさ共通していると思われます。
以上より、収集癖の人が、集めた物を他者に譲るということは考えにくいので、本児を収集癖と見るのは無理があるように考えられます。
以上より、選択肢①は不適切と判断できます。
『②注目欲求を満たそうとしている』
まず「すでに自分が持っている物でも繰り返しとる」「とった物を別の児童にあげることもある」という点から、Aが欲しくてとっているという見立ては棄却できます。
もちろんA本人は「欲しかったから」というかもしれませんが、上記の行動との矛盾があるのでやはりそのように捉えることはできないというのが最初の理解として必要です。
Bは教員という立場ですから「繰り返し他の児童のものをとることを放置しておけず、Aを呼び出して注意する」のが当然です。
そうやって注意されているにも関わらず、やはりAは繰り返すわけですね。
そういう時には、この「Aを呼び出して注意する」という対応によって、Aの物をとるという行動を強化させてはいないかを考えてみることが重要です。
そういう視点で見てみると「とった物を別の児童にあげることもある」というのも、Aが周囲から注目を浴びたり、周囲を自分の思い通りに動かそうとする行動と見なすこともできるかもしれません。
マザーテレサが「愛の反対は無関心」と述べていますが、その通りだと思います。
人は、特に子どもの場合、自分に関心を向けられないくらいなら、ネガティブな事柄でもよいので自分に関心が向くような行動を取ります。
身近な例であれば、好きな娘をいじめる男の子の心境がそれです。
呼び出して注意するというネガティブな体験をしているにも関わらず、行動が生じているのは、その注意するという関わり自体がAにとってリワードになっていると見なせるわけです。
だからこそ、注意されたときに「ニコニコしながら、理解した様子で、あれこれ的を射た応答をしてくる」わけです。
注意されて嬉しいと言えますし、意見を言えば先生とやり取りが続けられますから。
すなわち、選択肢にあるように「注目欲求」をAが有していると見て矛盾はありません。
時折、こうした注目欲求の対処への助言で「問題行動については無視しましょう」と述べる人がいますが、それは誤りです。
なぜなら、問題文にもあるように、学校という場において「繰り返し他の児童のものをとることを放置しておけ」ないからです。
学校での対応は、問題行動をとっているA本人だけでなく、それ以外の児童及び学校全体のことも考えた対応になっていることが重要です。
問題行動に速やかに教員が反応するということは、学校全体の秩序を保つ上でも重要なことです。
ではどうすれば良いのか?
私だったら教員に問題の見立てを伝えた上で「問題行動への注意はあっさり目にすること」と「問題行動を起こしていない時に関わりを増やすこと」を勧めます。
前者は問題行動を強化しない+学校としての秩序を守るため、後者は問題行動を取らなくても関わってもらえるという体験をしてもらうためです。
これは担任だけでなく、学年の先生方や管理職の先生方にも共有し、実践する方が効果が高いでしょう。
またここまで強い注目欲求を有しているのであれば、保護者面接を通して家庭での関わりにアプローチするのもあり得る対応でしょう。
こうした対応が良いと思われるのは、例えば問題行動の要因が「注目欲求」でなかったとしても、子どもや学校自体に大きなダメージがないということが挙げられます。
一旦動き出すと引き返せないようなアプローチは、それ以外のアプローチを採った上で検討すべきことですから。
いずれにせよ、本事例の様子だと「注目欲求」を有していると見立ててアプローチすることに矛盾はありません。
よって、選択肢②が適切と判断できます。
『③自分のものをとられたという妄想による行動である』
本選択肢にあるような妄想を背景とした行動であれば、「注意するとAはニコニコしながら、理解した様子で、あれこれ的を射た応答をしてくる」ということは生じません。
これは論理的説明によって本人が納得したことを表していますが、妄想を背景にしている場合はそうした事態は生じ難いと思われます。
精神医学における妄想は、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であるということや、経験、検証、説得によって訂正不能であるということ、内容が非現実的であるということが特徴とされています。
妄想による行動であれば、ものをとったということに関する論理的な言説は通らない、通りにくいのが自然ですが、Aはすんなりと理解している節があるので妄想による行動であると見立てるのは適切ではありません。
以上より、選択肢③は不適切と判断できます。
『④知的に低く、教師の言うことが十分に理解できない』
知的に低い、十分に理解できていないのであれば、「注意するとAはニコニコしながら、理解した様子」という表現と矛盾があります。
もちろん知的に低くても多少相手に合わせることはできるので、「理解した様子」を見せることはできるかもしれません。
しかし「あれこれ的を射た応答をしてくる」という点は、ある程度の理解を背景にしていなければ生じない現象と言えます。
Aの応答によって教員も「もう繰り返さないだろうと期待する」わけですから、理解力はしっかりと有している(当然、その背景にある知的能力もある程度の水準が認められる)と捉えるのが自然です。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。
『⑤問題児扱いされて転校させられることをねらっている』
まずは9歳の児童に「問題児扱いされて転校させられることをねらっている」といった長期的な見通しが必要な行為が可能か怪しいところです。
このくらいの年齢であれば具体的・現実的な事柄に左右されやすいと言えます。
また問題児扱いされることが狙いであれば、「注意するとAはニコニコしながら、理解した様子」を見せることへの整合性が取れません。
もちろん、理解した様子を見せた後に、注意されたことを行うというのは奇異な印象を与えるかもしれませんが、それを本選択肢のように「計算してやっている」という捉え方は年齢を踏まえても不自然な見立てと言えます。
また「転校させられることをねらっている」ということであれば、学校に行きたがらないなどの学校への拒否感が見受けられるのが自然です。
そうした記述は見られず、学校に来て教員や他児童とやり取りしていることが認められます。
そうした点からも本選択肢のような見立てには違和感を覚えます。
以上より、選択肢⑤は適切とは言えないと判断できます。