問144は虐待を受けていた児童の反応を見立てる問題です。
事例の経緯に加え、児童の示している反応を記述し、それらを総合して適切な見立てを選択させるという、非常にオーソドックスなタイプの問題です。
問144 9歳の男児A、小学2年生。Aは実母と継父との三人暮らしであったが、ネグレクトと継父からの身体的虐待のため、児童相談所に一時保護された。入所当初は、いつもきょろきょろと周囲をうかがっていて落ち着かず、夜は悪夢でうなされることが多かった。入所1週間後の就寝時、男性指導員がAを居室に連れて行こうとして手を取ったところ、急に大声で叫び、周辺にあるものを放り投げ、頭を壁に打ち付け始めた。男性指導員はAに落ち着くよう促したが、なかなか行動が鎮まらなかった。しばらくして行動は止んだが、無表情となって、立ちすくんだままであった。声をかけるとようやく頷いた。
Aの行動の解釈として、最も適切なものを1つ選べ。
①男性指導員への試し行動
②フラッシュバックによる混乱
③慣れない生活の場での情緒の混乱
④抑圧されていた攻撃的感情の表出
⑤反抗挑戦性障害にみられる権威者に対する反発
事例と判断とは直接関係ないんですけど、9歳だったら小学3年生もしくは小学4年生のはずですよね。
事例の小学2年生というのは明らかに間違いだと思うのですが、原級留置(学校に在籍している児童・生徒・学生が、何らかの理由で進級しないで同じ学年を繰り返して履修すること)という措置もありますからね。
学校教育法施行規則では小中学校の各学年の修了や卒業は児童生徒の「平素の成績」を評価して認定するよう定めており、児童生徒の成績不良を理由に校長の判断で原級留置させることも可能なわけです。
ちなみに、虐待があったために原級留置したと考えるのは誤りで、それならばもっと早く一時保護されていたはずです。
恐らくは作成者のミスだと思うのですが、問題とは直接関係ないと判断されたために除外問題とはならなかったのでしょう。
しかし、心理的な反応は年齢によって変化し得るものです。
10歳前後になると反応は複雑になってきてさまざまな要素を踏まえて見立てていく必要があるのに対して、小学校2年生くらいだとまだ刺激-反応の枠組みで捉えることがしやすい段階と言えます。
とは言え、今あるもので解いていくしかないので、とりあえずは9歳でも小学2年生でも大丈夫なように解説を書いていきましょう。
解答のポイント
フラッシュバック症状だけでなく、それ以外にそれを補完するような反応の存在を検証できること。
選択肢の解説
①男性指導員への試し行動
こちらの選択肢の判断のためには「試し行動」の意味について、しっかりと考えておく必要があります。
何を「試し」ているのかというと、大きく言えば、この世界が安定したものか否かを試しているのです。
子どもの心理的発達の流れを追えば、「重要な他者」との安定した関係を通して、世界に対する「なんとなくの信頼」を高めていくことがわかりますよね(この辺はウィニコットなどの理論が詳しいと思います)。
しかし、重要な他者という「安定していてほしい人が安定していなかった」という事態は、子どもの世界への信頼感を損ないます。
その結果、子どもは自分にとって大切と感じるような人(他にも言いようはあるのでしょうけど)と出会った瞬間、安定していてほしいという思いと同時に「安定していないだろう」という言葉にならない不安が湧いてくるようになります。
そのため、その対象が本当に安定しているか、揺さぶり、確かめようとします。
それが「試し行動」と認識される種々の行動の背景にある動因です。
この辺は境界例の「対象恒常性」の理論を知っておけば理解しやすいはずです。
なお、こうした対象恒常性を強めるために、子どもたちは「同じことを繰り返させる」という遊びを行います(当然、無自覚ですけど)。
幼児がおもちゃを投げて、それを取ってきてもらうということを繰り返すことがあります。
これはまさに「対象(その人の何となくのイメージ)」が「恒常的(いつも同じ)」であるかどうかを確かめ、馴染ませようとしている遊びと言えるでしょう。
愛着を確かめる遊びと言い換えることもできますね。
試し行動は上述のように「大切と感じるような人」に対して生じるので、例えば、職場等の社会的場面では非常に安定した人物であることもあり得ます。
こうした行動はあくまでも「二者関係」の世界で生じることが多く、職場等の「三者関係」が主な場面では出現しにくい特徴だからです。
よって、職場や学校で安定した関係が作れていても、恋人関係などのように関係の深まりが生じると、その関係の安定感に不安を覚えるようになり、種々の問題行動が出現することが多いわけです。
表面的には目の前の人を疑うという形で現れますが、根本としては、その人の中にある重要な他者のイメージの不安定さが影響していると理論的には言えるわけですね。
さて、事例の状況は、男児の対象恒常性に不安定感を招くものであると見なして問題はないでしょう。
しかしながら、生じている問題は試し行動のニュアンスとは異なるものと思われます。
「入所1週間後」の出来事ですから場に慣れてきて試し行動が出ても不思議ではありませんが、男性指導員を試しているというよりも不穏な体験感情の吹き出しという感じが強いです。
試し行動であれば、男性指導員の側に何らかの情緒的な反応が生じるのが自然ですが、「声をかけるとようやく頷いた」というように関係性の中で生じている問題ではないと見なせる面が少なからずあります。
「無表情となって、立ちすくんだままであった」などからも解離現象が生じている可能性が考えられ、それと関連がある行動として「試し行動」は合致しないと考えられます。
以上より、選択肢①は不適切と判断できます。
②フラッシュバックによる混乱
フラッシュバックはPTSDの文脈で言えば「侵入(再体験)症状」ということになります。
継父からの身体的虐待があったことを踏まえると、「男性指導員がAを居室に連れて行こうとして手を取ったところ、急に大声で叫び、周辺にあるものを放り投げ、頭を壁に打ち付け始めた」という反応はフラッシュバックが起こったために混乱したと見なすことは十分に可能です。
性別が同じという点から、フラッシュバックが生じやすいとも言えるでしょうね。
また大切なのは、他にもPTSDの徴候がないかを見ていくことです。
事例で示されている反応はフラッシュバックと捉えても文脈としては問題ないわけですが、他の可能性も当然考えることができるため、フラッシュバックであることを補完するためにPTSDの別症候がないかをチェックしていくわけです。
それらが見つかれば、男児の反応がフラッシュバックによるものであるという仮説がより確かになりますからね。
まず「入所当初は、いつもきょろきょろと周囲をうかがっていて落ち着かず、夜は悪夢でうなされることが多かった」に関しては、覚醒度と反応性の著しい変化および侵入症状と見なすことができますね。
更に「しばらくして行動は止んだが、無表情となって、立ちすくんだままであった」という点も虐待事例によく見られる解離症状もしくは離人感と無関係ではないと考えられます。
このように、男児の反応はPTSDの侵入症状すなわちフラッシュバックによる混乱と捉えて関わるのが自然であると考えられます。
よって、選択肢②が適切と判断できます。
③慣れない生活の場での情緒の混乱
こちらの選択肢は「入所当初は、いつもきょろきょろと周囲をうかがっていて落ち着かず」という箇所から引っ張ってきたものだろうと考えられます。
しかし、「夜は悪夢でうなされる」「男性指導員がAを居室に連れて行こうとして手を取ったところ、急に大声で叫び、周辺にあるものを放り投げ、頭を壁に打ち付け始めた」「無表情となって、立ちすくんだままであった」などの行動に関しては、単に「生活の場に慣れてない」という状況に対する反応と見なすのは不自然ですね。
慣れない生活の場での情緒の混乱であれば、もっと日常場面での反応として出てきても不思議ではなく、「男性指導員がAを居室に連れて行こうとして手を取ったところ」という状況が限定して生じるのは不自然です。
以上より、選択肢③は不適切と判断できます。
④抑圧されていた攻撃的感情の表出
虐待事例では、ほぼ100%の児童が「自分が悪い」と感じています。
それは合理的な判断によって生じるものではないが故に、根深く、ずっと続く認知として在り続けることが多いです。
ただし、こうした自責感とともに、被虐待児には「自分が大切にされていない」「周囲に支配され続けてきた」という言葉以前の怒りも強く澱のように積み重なっています。
世界から拒否され続けてきた怒りとも言えるかもしれません。
事例の男児にも攻撃的感情が存していることに関しては、状況から見て不思議ではありません。
事例の「急に大声で叫び、周辺にあるものを放り投げ、頭を壁に打ち付け始めた」という行動(特に頭を壁に打ち付け始めた)に関しては、こうした自責感と攻撃的感情が混在した結果生じたと見なすこともできなくはありません(怒りが自分に向かった、ということ)。
しかし、こうした攻撃的感情の発露である場合は、状況が「男性指導員がAを居室に連れて行こうとして手を取ったところ」に限定されることはなく、例えば他の児童との関わりやおもちゃの人形への攻撃的な扱いなどの表われることも考えられますが、そういった描写はありませんね。
解離らしい現象についても「攻撃的感情を切り離している」という事態は考えられても、その場合は攻撃行動中にもっと「人が変わったような」という描写が入ってくるはずです。
悪夢も攻撃的感情では説明が難しいですね。
以上より、選択肢④は不適切と判断できます。
⑤反抗挑戦性障害にみられる権威者に対する反発
こちらは「男性指導員はAに落ち着くよう促したが、なかなか行動が鎮まらなかった」などを基とした選択肢と考えられます。
反抗挑戦性障害の特徴は以下の通りです。
- 怒りにもとづいた不服従、反抗、挑戦的行動の持続的様式と表現される児童期の精神障害。
- これらの行動は通常の児童の行動の範囲を越えたもので、権威的人物に向けられる。
- 診断には、6か月以上の持続を必要とする
- 他者の人権を蹂躙するようなことはしない。
- 素行障害(以前までは行為障害と訳されていた)を示す児童には、反抗挑戦性障害の診断は下されない。
- アイデンティティ確立のための成長に必要な反抗的な行動とは異なる。
- 注意欠陥・多動性障害の衝動性や、双極性障害の易刺激性などと鑑別が必要。
- その人が18歳以上の場合、反社会性パーソナリティ障害の基準を満たさない。
まずは本事例の反応が「怒りにもとづいた不服従、反抗、挑戦的行動の持続的様式」と見なすことができるか否かですね。
「男性指導員がAを居室に連れて行こうとして手を取ったところ、急に大声で叫び、周辺にあるものを放り投げ、頭を壁に打ち付け始めた」という行動を「怒りにもとづいた不服従、反抗、挑戦的行動」と捉えることも不可能ではないかもしれません。
ただし、これらを「持続的様式」と捉えることは難しいように感じます。
例えば、最終的に「声をかけるとようやく頷いた」とありますが、こうした場面にこそ「不服従・反抗・挑戦的行動」が出そうな気がしますが、それはありません。
また「無表情となって、立ちすくんだままであった」を「不服従・反抗・挑戦的行動」と解釈するのは困難であり、むしろ解離の文脈で捉えるのが自然です。
更に「入所当初は、いつもきょろきょろと周囲をうかがっていて落ち着かず、夜は悪夢でうなされることが多かった」という点も反抗挑戦性障害の文脈で捉えることが困難な記述と言えますね。
以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。