デブリーフィングに関して

2018年度に行われた2度の試験問題を見てみると、デブリーフィングがPTSD支援において否定的な影響があるという知見について繰り返し出題されています。
ただ全く効果がないものが一時的にとは言え、治療法として広まることはあり得ません。
デブリーフィングの価値もしっかりと押さえておくべきだと思います。

実際の出題形式では、デブリーフィングそのものについて出るというよりも、サイコロジカル・ファーストエイドの問題選択肢としてデブリーフィングが出てくることが多いようです。
2度の試験だけでもかなり出題されていますね。

もちろん、現在理解されているようにデブリーフィングを行うにあたっては注意が必要でしょう。
しかし、何も背景を知らないのに「デブリーフィングはダメだからやらない」「価値が無い」としてしまうのは浅薄な判断と言わざるを得ません。
しっかりとデブリーフィングが示された流れを理解することで、PTSD支援につながるアイディアが各人に生まれやすくなることと思います。

そもそもデブリーフィングとは被災地で支援にあたったアメリカの消防士が、(おそらくは)自分たちに対する支援の必要性を感じて作り上げたものです。
その消防士がわざわざ心理の大学院に入ってデブリーフィングを作ったという経緯から、元々は消防士、警察官、軍人等に対するPTSD予防の早期介入技法でした。
その後、一般の被災者にも適用できるものとして広く知られるようになり、阪神・淡路大震災を契機に日本にも紹介されました。

しかし21世紀に入った頃から、心理的デブリーフィングがPTSDの予防に有効ではない、あるいはかえって悪化させることがあるという研究が相次いで発表されるようになりました。

デブリーフィングの問題点の一つはタイミングです。
被災直後の安全が確保されていない時期に言語化すること、あるいは他の人の語りを耳にすることにより、トラウマ反応がかえって強化されてしまう可能性が指摘されています。

もう一つの問題点は回数についてです。
PTSDの発症には個人の歴史、その人をとりまく現在の環境が多大な影響を与えます。
だとすれば、1、2回の介入でそれらにアプローチするのは、まず不可能であろうということです。

ですが、ここで元々のデブリーフィングが、先述した特定の任務に従事する職能集団に対するものであるということを理解しておきたいところです。
こうした集団に対してのものが一般の被害者や被災者に対して援用されたため、多くの研究で示されたような問題点が出てきたと思われます。

中井久夫先生はデブリーフィングの価値として、区切りや締めくくりといった「終結(入門)儀式」として有効であるとしています。
アメリカの被災地では暴動が生じやすく、警察官等は暴動がおこったときは2日間は暴徒に略奪を自由にさせておき、3日目になって眠れなくなってクタクタになったところを一網打尽にするということです。
しかし、やはりそこでは残虐なことも起こり、そのまま暴徒の鎮圧に従事した人たちを家に帰したら、たとえばDVのもとになったりして家庭に害が及ぶ可能性があるということです。
そのため、デブリーフィングを行って帰すということになります。

詳しくはこちらをご参照ください。

これらを理解しておくことで、どういった人たち、どういったタイミングならばデブリーフィングが有効になる可能性が出てくるかを考えることができると思います。
支援は山登りと同じで、色んなルートがあります。
デブリーフィングはあまり登られないルートになるかもしれませんけど、やはり活用できる瞬間はあるのと思うのです。

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