神経性やせ症/神経性無食欲症と思われる事例に対する「公認心理師の支援」を見分ける問題です。
こうした問題を解いていて思うのは、症状をどのように見なして関わるのかは資格試験であっても大切だろうということです。
クライエントの症状も心理療法の技法もグラデーションで自分の内に落とし込んでおくことが大切ですね。
問69 16歳の女子A、高校1年生。Aは、食欲不振、るい痩のため1週間前から入院中である。高校に入学し、陸上部に入部した後から食事摂取量を減らすようになった。さらに、毎朝6時から走り込みを始めたところ、4か月前から月経がなくなり、1か月前から倦怠感を強く自覚するようになった。入院後も食事摂取量は少なく、「太ると良い記録が出せない」と食事を摂ることへの不安を訴える。中学校までは適応上の問題は特になく、学業成績も良好であった。自己誘発嘔吐や下剤の乱用はない。身長は159cm、体重は30kg、BMIは11.9である。
公認心理師のAへの支援として、不適切なものを1つ選べ。
① 食事へのこだわりを外在化する。
② Aの家族に治療への参加を促す。
③ 部活動への葛藤について傾聴する。
④ 栄養士の助力を得て食事日記を付けることを勧める。
⑤ 点滴を受けて、栄養状態を速やかに改善するよう勧める。
解答のポイント
置かれている状況を理解しつつ、公認心理師の責任の範囲を把握していること。
必要な見立て・選択肢の解説
まずはクライエントと公認心理師の置かれている状況を理解しておくことが大切です。
クライエントは「1週間前から入院中」であり、それを踏まえれば公認心理師はクライエントが入院している病院で勤務していると想定できます。
入院中のクライエントにわざわざ外部の公認心理師が支援にあたるという状況は考えにくいですからね。
その医療機関に公認心理師を置いていないということはあり得ますが、そういう病院であれば尚更、公認心理師を「外注」することは考えられません(身体的支援を中心とした医療機関である可能性もありますし、心理支援を軽視しているならば外注しませんね)。
まずは状況の理解として「クライエントは入院中、公認心理師はクライエントが入院している医療機関で働いている」ということです。
医療機関を舞台とした支援になるわけですから、多くの専門家(医師、看護師、OT、PT、栄養士などなど)が同時に支援にあたっているのが本事例の前提です。
続いて、クライエントの病態について考えてみましょう。
まずは、有意に低い体重であるにもかかわらず、体重増加または肥満になることに対する強い恐怖(良い記録が出せない、と食事を摂ることへの不安を有する)、体重増加を妨げる持続した行動(入院後も食事摂取量は少ない)が見られます(DSM-5の神経性やせ症/神経性無食欲症の診断基準B)。
クライエントが体重や体型の体験の仕方における障害や、自己評価に対する体重や体型の不相応な影響、現在の低体重の深刻さに対する認識の持続的欠如を有しているか(DSM-5の神経性やせ症/神経性無食欲症の診断基準C)は明確ではありませんが、入院後も食事摂取量が少ないことや「太ると良い記録が出せない」という訴えは深刻さに対する認識の欠如と言えるかもしれませんね。
そして、これらに加えて身長、体重、BMIからクライエントは「神経性やせ症/神経性無食欲症」の最重度(BMI<15kg/㎡)であると判断できることが大切です(DSM-5の神経性やせ症/神経性無食欲症の診断基準Aと重症度判定)。
また、自己誘発嘔吐や下剤の乱用が無いことから、摂食制限型であると考えられます(「乱用が無いだけで、軽く使用はあるかも」などと細かいことを言いだしたらキリがないので、それは置いておきましょう)。
以上より、クライエントの病態理解として「神経性やせ症/神経性無食欲症の摂食制限型、最重度である」と認識しておくことが大切です。
まとめると「神経性やせ症/神経性無食欲症の摂食制限型、最重度」のクライエントが、「医療機関に入院していて、その医療機関に所属している公認心理師が支援にあたっている」ということです。
そして、最後のポイントとして「公認心理師の支援として適切か否か」を判断していくことになります。
つまり「公認心理師の責任の範囲を超えたことをしてはいけませんよ」というのが、本問の問題文から読み取れる「解く上での前提」ですね。
この他の情報をどう捉えるかは、各選択肢の解説で述べていくことにしましょう。
① 食事へのこだわりを外在化する。
③ 部活動への葛藤について傾聴する。
Aは「入院後も食事摂取量は少なく、「太ると良い記録が出せない」と食事を摂ることへの不安を訴える」とあります。
恐らくこの部分が、本選択肢の「部活動への葛藤」および「食事へのこだわり」を指すのでしょう。
まず、部活動への葛藤を傾聴することの意味を考えてみましょう。
Aは部活動と食べないことを結び付けて認知していますが、それはあくまでもAが自覚している範囲の話です。
つまり、「太ると良い記録が出せない」というのはAの自覚として間違いはないのですが、無自覚な領域(学派によっては無意識というのかもしれません)には、それ以外の欲求を有していることが少なからずあります。
他選択肢でも述べることですが、例えば、「これまでずっと良い子できていた。でも、痩せることで初めて親から注目してもらえた」などと語る摂食障害者は少なくありません。
これに限らず、彼女らにとって「痩せること」には、何かしら歴史のある理由を有していることが多く、決して「太ると良い記録が出せない」といった現実的・外界的な理由だけに帰することはできません。
とは言え、Aの年齢等を踏まえると、こうした心の奥底にある「無自覚の欲求」について、まだ自覚できているわけではない段階と言えます。
このとき、クライエントの現在出している訴えに耳を傾けることが重要になります。
「太ると良い記録が出せない」ということは「治ると良い記録が出せない」ということになり、それがAにとってどのような意味を持つのか、成績が落ちることで自分の価値が失われたように感じるのか、成績が良いから自分を見てくれたという思いがあるのか、などを共有していくことになります。
心理療法全般に言えることですが、「いま目の前にあるもの」から手をつけていき、それが納まっていくと、より本質的な問題が目の前に現れてくるものです。
本事例の状況では、まずはAと共有できる「部活動の葛藤」についてやり取りを行い、その中で家族内葛藤の存在などが出現してくる可能性も予見しておくことが専門家として大切になります。
このような視点で見ていけば、「部活動への葛藤」と「親への葛藤」や「病気を手放したくないという葛藤」は相似形を成しているのが気がつくはずです。
つまり、「部活動への葛藤」についてやり取りすることは、Aも自覚できていない葛藤をやり取りするための予行練習になるのです。
こうした関わりは、多くの事例において重要な現象であり基本となりますが、もっと積極的にクライエントに働きかける手法もあります。
その一つが、選択肢①で示された「外在化」です。
外在化はどういう目的で使われるかを知っておきましょう。
今回の事例で言えば、Aの健康な部分と病的な部分があるわけですが、これらが一体化していると、病的な部分を変えようとするほどAが自らを否定的に見ることが考えられます。
そこで、Aの健康な部分(例えば、今の状態では疲れやすく感じて良くないと思う等)から病的な部分(食べるのが怖い、太ると良い結果が出ない等)を離すという手法として「外在化」が使われます。
ただし、摂食障害事例においては外在化するにしても、その問題の部分との関わり方が重要になります。
なぜなら、他の選択肢でも示しますが摂食障害事例において、客観的には病的に見える部分であっても、その人を長きにわたって支えてきたという側面が必ずあるからです。
それを「病的な部分だから消褪させていく」という考えで実践すると、必ず抵抗を招きます。
ですから、クライエントの摂食障害的な部分については、外在化したとしても「この症状によってあなたは支えられてきた面がある」というような感じで、症状に敬意を払いつつ関わることが大切です。
これをしないと、クライエントの内にある症状を手放したくないという思いとカウンセラーの方針がバッティングし、カウンセリング関係の破綻に至ることもあります。
「外在化」の実践ですが、これはあまり堅苦しく考えない方が良いように思います。
紙に書いたり、わざわざ外在化したクライエントの一部に名前を付けるということをしなくても、対話の中での意識的な工夫で十分可能です(もちろん、こういうやり方が合うクライエントもいるから、各々の特徴に合わせて使い分けるのは言うまでもありませんね)。
例えば、「Aさんの中には、「食べたくない」「太りたくない」という部分と、「でもこのままじゃ疲れやすくて困る」という部分の両方があるということかな?」などと伝えれば、自然と外在化になっています。
この際、手ぶりなどを使って、Aとカウンセラーの間に置くような仕草をすればより外在化の効果が高まりますが、クライエントの中にそうした分断を好まない雰囲気があれば控える必要があります(置くような仕草をした時に、それを見るのを嫌がらないならしても大丈夫そうですが、目も向けないのであればどういう意味があるのかを考える…などなど)。
こちらが行ったことに対してクライエントがどのような反応を見せるのかを刻々と受け取り、その情報を以ってこちらが次に行う発言や仕草も調整する…その繰り返しを身体がきちんと行ってくれれば、そのクライエントの状態に合う関わりになっていきます。
つまり、「外在化」に限らずですが、あらゆるアプローチは「する・しない」の二分法ではなくグラデーションです。
本事例は痩せが強度で身体的なケアが優先される状況かもしれませんが、そのような状況下であってもアプローチの味付けをきちんと調整して行えば「その状態に合った支援」になります。
なお、心理療法の技法全てに言えることですが「薄い→濃い」は可能ですが、「濃い→薄い」とすることはできません(料理と一緒ですね)。
外在化でも、いきなり紙面に書いてAの内にある複数の部分を分割するような「濃い」関わりをしてしまうと、侵襲度が高すぎる可能性もあります。
まずは上記で述べたような「薄い」やり方から入り、クライエントの状態に合わせて徐々に「濃く」していくことを目標にするのがこの事例に限らず定石と言えるでしょう。
このように、Aに対して「部活動への葛藤について傾聴する」ことも、「食事へのこだわりを外在化する」ことも、公認心理師のアプローチとして適切と言えます。
以上より、選択肢①および選択肢③は適切と判断でき、除外することになります。
② Aの家族に治療への参加を促す。
摂食障害の支援において家族の協力はとても大切になります。
かつて、摂食障害に至る家族要因として、母親との愛着のズレが指摘されていました。
これは「母親の愛情不足だ」という意味ではなく、需要と供給のズレというイメージに近いですね。
例えば、兄や姉がちゃらんぽらんで母親がそこにかかりっきりになり、それを見ていた妹が内心で「お母さんが大変そう」ということで良い子になり、本来ならば表現されるのが自然な甘え等が出てこず、知らず知らずに空虚感を高めていく…という感じです。
他にも家族内不和が強いなどのような状況があると、子どもは「大人しく」なります(決して良い意味ではない)。
その子どもは「自分の内にある甘え」を抑え込むことになるため、そこに起因する自身の感情体験を把握するのが苦手になります。
これらはもしかしたら親や子どものどちらかに問題があるのではなく(もちろん、問題がある事例もありますよ)、そこにあるのは「すれ違い」であることも大いに考えられるわけです。
ここに述べたのはあくまでも一例ですが、どのような事例にも少なからずこうした「愛着のズレ」は有しているように見受けられます。
下坂幸三先生が繰り返し述べておられることですが、摂食障害事例の改善の流れで、ほぼ確実に母親への強度の甘えが出現します。
これは上記の「愛着のズレ」に起因しているように思われ、それまで抑え込んでいたものが強く表出されるというイメージで私は見ています。
もちろん、「愛着のズレ」が母親の人格に起因しているほど、真っ直ぐに甘えを表現できず(出しても受け取ってくれない等)、周囲との関わりで混乱が出ることもあります。
また、母親を試すような言動も少なからずあり、例えば、母親の財布からお金を盗ったり、万引きをするなども生じることがあります。
摂食障害は境界例心性との近いところもあるので(他にも演技性、強迫性とも重なり得る)、自己破壊的な問題行動も起こり得ます(個人的な印象としては、摂食制限型はそこまで「もがく」感じがしません。もちろん、それが良いのではなく、むしろ深い空虚感を背景にしていて生命の危険という意味では大きい)。
多くの人にとって、摂食障害者の言動は不可解に映ります。
食べないことも去ることながら、上記のような問題行動が出ることも多いため、親であってもどのように対処すればよいかわからず、困り果てるという場面が見られます。
また、摂食障害では本事例のように「中学校までは適応上の問題は特になく、学業成績も良好であった」ということも多く、家族がクライエントの生の感情や不穏感情に触れてきたという経験が少ないということもあります。
よって、家族に対して、クライエントの示している言動にどのような意味があるのか、その意味を踏まえた関わりはどのようなものか、などについて共に考え、時には助言をしていくことが強い支えになります。
例えば、回復することへの恐怖(本事例では太りたくない、太ると良い記録が出せない)については、クライエントが母親に直接語れると「良い傾向」です。
回復への恐怖の背景には「親の関心が薄れて、一人前と見なされてしまう」ということが少なからずあるので、身体的に回復したとしても、それ以前と変わらぬ関わりを続けると宣言することも効果的です。
また、摂食障害者は「他者から触れられる」ことで、初めて自分の痩せを認識できることがあります(かつてフランスの医療機関ではマッサージ師を置いていたほど)。
この触れる役割は母親に委ねられることが多いのですが、母親からすれば強度の痩せがある娘に「触れるのが怖い」と感じることも少なくないようです。
これは「触れたくない」のではなく、「触れると壊れそうな気がする」というニュアンスであることが多いですね。
その恐れを持ちつつ、慈しむように触れることを勧めることが私は多いです。
このような心理や対応については説明されないと理解できないことも多いので、その辺を細やかに伝えていくのが公認心理師の仕事であろうと思います。
家族を支援に引き入れるのは「親と本人との関わりで良くしていく」という面と、「親を支えていく」という面があり、いずれも車の両輪のように支援の良否を占うものです。
このように家族に治療への参加を促すことは重要と言えますし、公認心理師が行うアプローチとしても妥当なものですね。
なお、家族に治療への参加を促すのは、最初期から考えてよいですから、本事例の状況でも行うことは問題ないと言えます。
以上より、選択肢②は適切と判断でき、除外することになります。
④ 栄養士の助力を得て食事日記を付けることを勧める。
恐らく、多くの人にとって食事日記を付けることは、食事管理という意味合いが強いでしょう。
だからこそ、本選択肢のように「栄養士の助力」を得ることが重要とも言えます。
しかし、単なる食事管理だけであれば、公認心理師である必要はありません。
食事管理という名目も持ちつつ、その中でどう心理的な面にアプローチしていくかを考えるのが公認心理師の仕事ですね。
食事に関する日記を付けることで、なにが起こるかを理解しておくことが大切です。
これは単に「これだけ食べることができた」というために行うものではありません。
支援者として「食べることができたら回復してきた」「クライエントも食べることができたら(回復なんだから)嬉しいだろう」と考えるのは、短見であり、摂食障害に対する理解不足と言わざるを得ません。
摂食障害者にとって、日々痩せていくことは自己の拠り所であり、自身の挫折体験を希薄化させると同時に、自己をコントロールすることができるという力感をもたらしてくれるものです。
そして、この症状を有していることによって、かろうじて自分を支えてきたという面も、細やかにクライエントの言葉に耳を傾けていれば自明なはずです。
つまり、摂食障害者の症状とは、当人にとって宝物であり、それが重荷になってきたとしても価値があるものなのは変わりありません(だからこそ、稀に命と引き換えにする人もいる)。
即ち、摂食障害者にとって治療のレールに乗るということは、自らを支えてきた宝物を手放すようなイメージに近く、そのためか治療になかなか乗ってこないことも多いです。
本選択肢のように「栄養士の助力を得て食事日記を付けること」に了解したとしても、必ずAの内には葛藤があります。
食事日記を付けることによって、例えば順調に食べる量が増えているときにこそ、こうした葛藤は強くなっていると考えるべきであり、公認心理師としてこの葛藤の存在を前提にしておくこと、時には話題に出すことが求められます。
つまり、食事日記を付けることで、こうしたクライエントの葛藤を面接の場で扱うことがしやすくなるということであり、そのやり取りが「心理療法」と言えます。
経験上、太ることへの怖さ、回復することへの恐れは、信頼関係ができてくると語られるようになります。
そして、このクライエントからの信頼は、「太ることへの恐怖」を自明のものとして認めること、クライエントの症状に対する敬意を持ち続けることで徐々に生じてくる面があります。
また、体重増加に伴って顕在化してくる心理的葛藤や、その時々に表れてくる行動化に対して、看護師・栄養士などによるチームアプローチによって丁寧に対応し、退院後の外来治療に生かすという視点が大切です。
この場合は、コンサルテーションによって、そうした心理について理解し、支えていく姿勢を持つことの重要性を共有することになりますが、それも職場によっては公認心理師の仕事になるでしょうね。
これら以外にも、食事日記を付けることで選択肢①にも挙げた「外在化」の効果もあります。
自分の在り様を客観的に「ノート」に書いて眺めることで、食べるということ、そのことへの不安などを「クライエントとカウンセラーの間に置いてやり取りする」ということがしやすくなります。
このように、摂食障害者に対しては、身体的対応そのもののなかに心理療法的意味を込める必要があると思います(ただ機械的に管理するようなイメージでやるのはもっての外ですね)。
以上より、選択肢④は適切と判断でき、除外することになります。
⑤ 点滴を受けて、栄養状態を速やかに改善するよう勧める。
まず本事例の状況は、「神経性やせ症/神経性無食欲症の摂食制限型、最重度」のクライエントが、「医療機関に入院していて、その医療機関に所属している公認心理師が支援にあたっている」のでしたね。
そして、「公認心理師の支援として適切か否か」が重要になります。
本事例の状態は確かに痩せが著しく、栄養状態の改善が最優先になる状態かもしれません。
しかし、本事例の状況では間違いなく主治医がいますから「栄養状態の改善が必要」「点滴を受ける」という判断は医師の独占業務に該当するので、その判断を公認心理師が行うというのは適切と言えません。
本選択肢では「勧める」という言葉を使って若干柔らかい雰囲気を作って惑わせようとしていますが、その前に「点滴を受けて、栄養状態を速やかに改善する必要がある」と「公認心理師が判断している」という事実は変わりませんし、それがいただけないポイントです。
ただし、「これは医師の仕事だから、我々公認心理師が考えることではない」というのは間違いで、本選択肢のような視点も持っておくことが重要です。
他の選択肢でも述べましたが、摂食障害者は医療機関での治療を拒む場合が少なからずあります。
カウンセリングならば受けるという場合も考えられますが、その場合はクライエントの生命の安否を把握することが求められます。
明らかに「点滴を受けて、栄養状態を速やかに改善する」必要があると見なせる場合、信頼できる内科医を紹介するなどの対応もできる状態を作っておくことが大切です。
内科医との連携を持っておくなどは、非医療機関で摂食障害支援を行う上で欠かせないことの一つだろうと思います。
ですから、もしも本事例が「クライエントが医療機関に入院していて、その医療機関に所属している公認心理師が支援にあたっている」という状況でない場合、例えば、開業の公認心理師が医療機関を受診していない摂食障害の支援にあたる場合は、多少なりとも身体的な面についての把握も重要になってきます。
もちろん、その場合であっても「点滴を受けて、栄養状態を速やかに改善した方が良い」と伝えることはしません。
内科医への受診の必要性を情理を尽くして語るということになるでしょう。
以上より、選択肢⑤が不適切と判断でき、こちらを選択することになります。