公認心理師 2020-2

 統合失調症の症状が増悪したときの対応に関する問題です。

こちらは過去問をやっておくことで解くことができるものですね。

緊張病に関する問題が昨年度出ていますが、今回再度出題されたということになります。

問2 統合失調症の症状が増悪したクライエントへの公認心理師の介入について、適切なものを1つ選べ。

① 症状増悪時は、心理的支援を行わない。

② 幻聴に関して、幻覚であることを自覚させる。

③ 緊張病性昏迷では、身体管理が必要となる可能性があることを家族に伝える。

④ 作為体験によるリストカットは、ためらい傷程度であれば特に緊急性はない。

⑤ 服薬を拒否するクライエントに対して、薬は無理に服薬しなくてよいと伝える。

解答のポイント

統合失調症によく出現する症状とその対処に関する理解があること。

選択肢の解説

① 症状増悪時は、心理的支援を行わない。

本選択肢を適切と考える人は、心理的支援を狭く考えているのかもしれません。

統合失調症の支援には薬物療法のように医師しかできないこともありますが、その薬物療法であっても服薬の意思や飲み心地を尋ねるという支援は可能ですし、意外とそちらが大切だったりもします。

また、公認心理師が実践可能な、認知行動モデルに従った介入技法も考案されています。

例えば、症状対処ストラテジー増強法では、統合失調症の陽性症状への対処ストラテジーが示されており、これらはアメリカ精神医学会の治療ガイドラインにも引用され、有効性が明らかにされています。

その他にも家族への介入も治療効果は実証されていますし、統合失調症の発病・再発に先立つさまざまな心理的変化を把握することも重要な支援になるでしょう。

このように、症状増悪時でも可能な心理的支援はありますし、症状が増悪したからといって必ずしもカウンセリングが難しい事例ばかりではありません。

それに、生活臨床などのように生活の場を治療の主たるフィールドにしている支援法を学ぶことで、カウンセリング場面以外での支援も可能になるでしょう。

支援の裾野を広く取っておくこと、広く取れることも支援者の資質として大切なことですね。

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

② 幻聴に関して、幻覚であることを自覚させる。

幻覚とは、実際にはそのような事実や物理的対象がないにも関わらず、何かが実在するように知覚されることを指します。

「無いはずのものが有る」ということですね。

幻覚は、幻視・幻聴・幻嗅・幻触など、その感覚器官ごとに生じ得ます。

幻聴に関してはさまざまなものがあります。

幻聴を面白がって笑っている人もいますし、耐えて仕事をしている人も結構いるものです。

しかし、一般に発症直後や増悪時に多いのは「殺す」とかの被害的なものになりがちですし、本問の状況はこうした増悪時の幻聴という設定になっていますね。

こうした幻聴に対して本選択肢のように、その不合理性を示すというのは奏功しません。

ある精神状態が、その前の経験によって条件づけられており、現状の精神状態の悪化が支援者に「了解」されるものであれば、それは反応性の障害と見なされます。

ヤスパースは、統合失調症的な体験は追体験できず「了解不可能」であると考えました。

そもそも、こうした「了解不可能」な現象に対して、そして多くの人が体験していないだろう事柄に対して、「幻覚である」と断言することは本質的に不可能なはずです。

体験している人は、それを現在進行形で生に感じているわけですし、実感は論理よりも強いものです。

UFOを実際に見た人に対して「そんなもんあるはずない」と言ったとしても、「だって間違いなく見たんだもん」「お前は見てないだけで、ちゃんと存在する」と反論されるだろうと思います。

実際に、幻聴に対する治療法はいくつか示されていますが、多くは幻聴そのものへのアプローチというよりも幻聴による苦痛の軽減が目的となっています。

幻聴に関しては古くから様々な知見が示されていますが、個人的には「かさぶたが自然と取れるように」「自然とその必要性が薄れるように」消失していくことが良かろうと思っています。

幻聴が語られたときには、それを否定せず、しかし肯定するわけでもなく、あくまでも「それは有るのかもしれないが、自分は体験していないから何とも言いようがない」というスタンスで、「そうかぁ」「なるほどなぁ」「ふしぎだね」などのような応答というよりも合いの手に近い返しが大切だろうと思います。

当然のこととして、精神科の用語(幻聴というワードとか)を使わずに幻聴についてやり取りすることはあり得ます。

ただし、言い合いや押し問答は意味が薄いので控えるのが賢明ですね。

臨床実践全般に言えることかもしれませんが、クライエントが示すさまざまな症状には守りという意味が含まれています(Kannerの症状の意義が有名ですね)。

妄想とか幻聴は「いっぺんに一つのことしか頭の中に浮かばないようにする」という価値があると思われ、その人を守る機能が備わっています。

よって、症状の不合理性を示すという対応は、そうした守りをひっぺがすということになりかねませんので控えるのが大切です。

以上より、選択肢②は不適切と判断できます。

③ 緊張病性昏迷では、身体管理が必要となる可能性があることを家族に伝える。

統合失調症は、DSM-Ⅳ-TRまでは「緊張型」「妄想型」「解体型」という分類がなされていました。

しかし、DSM-5からは「緊張病」として別に診断されるようになっています。こうした変更がなされた背景には、うつ病や双極性障害などのさまざまな精神疾患で緊張病が合併し得ることが認められたということが挙げられます。

※昨年度に続き今年度も緊張病というワードが出題されたのは、統合失調症以外の疾患でも緊張病が出現し得るということを覚えておくように、というメッセージなのかもしれないですね。

本選択肢の解説のためには、緊張病の診断基準を把握しておくとわかりやすいです。

  • 昏迷:精神運動性の活動がない、周囲と活動的なつながりがない
  • カタレプシー:受動的にとらされた姿勢を重力に抗したまま保持する
  • 蠟屈症:検査者が姿勢を取らせようとすると、ごく軽度で一様な抵抗がある
  • 無言症:言語反応がない、またはごくわずかしかない
  • 拒絶症:指示や外的刺激に対して反対する、または反応がない
  • 姿勢保持:重力に抗して姿勢を自発的・能動的に維持する
  • わざとらしさ:普通の所作を奇妙、迂遠に演じる
  • 常同性:反復的で異常な頻度の、目的指向のない運動
  • 外的刺激の影響によらない興奮
  • しかめ面
  • 反響言語:他人の言葉を真似する
  • 反響動作:他人の動作を真似する

緊張病の診断にはこれら12の特徴のうち、3つ以上の症状の存在が要件となっています。

かつて、統合失調症の一カテゴリーとして「緊張型」が挙げられていたころは、精神が原因の興奮運動(精神運動興奮)が激しい場合と、逆に外からの一切の刺激に対して意識が正常だが全く反応を示さない「精神運動性昏迷」の両方が、その診断基準に列挙されていました(昏迷が突然解けたときに自傷他害の恐れが大きいことがあるとサリヴァンが指摘していますね)。

現在の診断基準では、精神運動性興奮の方は後景に退き、むしろ昏迷をはじめとした動きの少ない病態を中心にしている印象です(外的刺激によらない興奮、という基準は残っていますが)。

緊張病の診断基準で挙げられた症状からもわかるとおり、日常生活や身体面の安全を確保することが困難、食事が摂れないなどの事情が生じやすく、入院治療を要することがあります。

よって対応では、まずは全身の身体管理、原疾患の鑑別診断(多くの疾患で併発するから)、各種治療ということになります。

しばしば経口摂取が困難になることもあるので、一般的な輸液などの身体管理が重要になります。

このように、緊張病では身体管理が必要になる可能性があり、そのことを家族にきちんと説明しておくことが重要です。

この疾患において「そういうことが起こるものだ」という理解を前もって伝えておくことで、身体管理された患者を見て陰性感情が生じるという事態を避けることができます。

どんな疾患でも共通していますが、家族の支援はとても重要なので、その意欲を落とさないような配慮が支援者側には求められますね。

以上より、選択肢③が適切と判断できます。

④ 作為体験によるリストカットは、ためらい傷程度であれば特に緊急性はない。

作為体験とは、自分の内にあって、内から外へ出ていくものと考えられている感情・欲動・意思が、他人や外部の力によって動かされ、操られて「相手の思うようにされてしまっている」という体験を指します。

シュナイダーの一級症状の一つに挙げられており、簡単に言えば「させられ体験」ですね。

こうした思考や行動における能動感・自己所属感の喪失は、自我障害に分類されています。

本問のように「統合失調症の増悪」が生じると、例えば、幻聴が悪化することでさまざまな言動や行動の変化が見られます。

音に敏感になることから始まり、様々な音が気になり出して全て自分に関係があるように感じるなどの反応があり得ます。

特に状態が悪くなると、長期間しつこい幻聴に責め続けられた結果、幻聴に命令され、それに従った行動、例えば、最も深刻なのは他害行為や自傷行為をしてしまうこともあります。

ここまでの状態になるということは、陽性症状がかなり悪化していると想定されますから、緊急性が高いと見なすことが求められます。

本選択肢で迷う人は、おそらく一般的なリストカットのイメージがあるのだろうと思います。

現在のポピュラー化したリストカットに関しては、それ自体が完結した行為であり生死の面で短期的には危険が少ないと言えなくもありません。

ただし、その認識で本問のクライエントのリストカットを捉えていくのは誤りとなります。

「統合失調症の増悪に伴う、作為体験によるリストカット」ですから、緊急性の高い状況であると捉えることが大切です。

ちなみに、若者が行うリストカット自体も短期的には緊急性は無くても、長期的には自殺率を高める危険な徴候です。

こうしたリストカットに振り回された結果、「どうせ死ぬ気もないくせに」などのような白けた目を周囲が向けることで、本人たちの孤独は深まっていきます。

支援者は自傷行為の背景にある心理を理解し、それに基づいた対応を取っていくことが求められますね。

以上より、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ 服薬を拒否するクライエントに対して、薬は無理に服薬しなくてよいと伝える。

本選択肢の対応については2つほど問題があると言えます。

一つは、本問で問われているのは「公認心理師の介入」ですから、本選択肢のように「薬は無理に服薬しなくてよいと伝える」のは可能な業務の範囲を超えています。

服薬の是非を決めるのは公認心理師ではなく医師ですから、本選択肢の対応は公認心理師の枠を超えた対応になっているという点で問題です。

もう一つは、本問は「統合失調症の症状が増悪したクライエント」が支援の対象になっています。

症状が増悪した状態のクライエントに対して、服薬が不要であると見なすのはかなり無理があると言ってよいでしょう(そもそもその判断は医師がするものですしね)。

公認心理師としてできるのは、クライエントがどういう理由で服薬を拒否しているのか、その内情を細やかに把握することになるでしょう。

ここでは服薬拒否の理由としてよくあるものを考えておきましょう。

その薬が合っていないときや、合っていても不快な副作用を強く感じるときには服薬を拒否する場合があります。

これは処方自体を考え直すことも視野に入れておくことが大切になります。

「薬を飲んでいる」という状況自体を嫌がる場合もあります。

薬を飲む=病人であるという認識がある場合に多いです。

薬は松葉づえのようなものであり、必要がなくなれば自然に要らなくなるという説明をするなどの対応が考えられます。

余談ですが、統合失調症者の薬は松葉づえで、てんかん患者の薬はメガネというイメージ(ずっと付け続けるから)ですね。

他にも薬一般に対する恐怖を有している場合もあり得ます。

こうした曖昧な恐怖は、発達障害児の保護者にも時々見られます。

その恐怖についてきいた上で、それが事実でないことを告げ、どうしてそう思うようになったのかを尋ねるなどの対応を取ります。

薬の働きに賛成できない時も拒否されることがあります。

例えば、眠たくなるとかやる気が出にくくなった、などの訴えがある場合ですね。

こういうことを訴えるクライエントの場合、その訴え自体にクライエントの問題があるので、よく話し合うチャンスということになります。

その話し合いの中で、薬の効果に「賛成」するようになれば、少量の処方でよく効くようになっていきます。

さて、これらの服薬拒否に多い状況と対応を合わせて読めばわかるとおり、クライエントの服薬拒否には必ず何かしらの理由があるものです。

その理由をやり取りしていく過程が心理療法とも言えるでしょうね。

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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