問132は知的障害のある子どもへの基本的な対応方針を問う内容になっています。
知的障害に限らず大切な方針であることも多いので、しっかりと理解しておきたいところです。
問132 知的障害のある子どもへの対応方針について、適切なものを2つ選べ。
①失敗体験を積み重ねて失敗に慣れさせる。
②スモールステップでできることを増やす。
③得意な面よりも苦手な面を優先して指導する。
④社会生活に必要な技能や習慣を身に付けさせる。
⑤具体的な活動よりも抽象的な内容の理解を重視する。
学習理論や発達理論に関する理解があると、より解きやすい問題であったと言えそうです。
また、理論に拠らなくても、素朴に考えて解ける面も少なからず見受けられる問題だったと言えますね。
解答のポイント
知的障害児への対応に関する基本的な理解があること。
各発達理論より知的能力の構成等を理解していると解きやすい。
選択肢の解説
①失敗体験を積み重ねて失敗に慣れさせる。
③得意な面よりも苦手な面を優先して指導する。
知的障害児の対応で重要なことの一つは、その子どもの発達段階、能力に合った日常生活訓練、教育的支援を行うことです。
その子どもの発達段階、能力を大きく超えた課題や訓練では能力を伸ばすことができないだけでなく、課題・訓練を行うことの苦痛から不適応を起こし、逃避行動やパニック、自傷行為、攻撃的な行動といった二次障害につながる可能性があります。
もちろん、障害があるからといって、周囲の人が日常生活の多くを手伝ってしまうような環境も本来持っている能力を伸ばすことができなくなりますから、その子どもの特徴に合わせた訓練を設定することが重要とされています。
一般に「失敗体験に慣れさせる」という表現を耳にすることはありますが、この考え方は適切ではありません。
失敗体験は「慣れさせる」ものではなく、「訪れる」ものです。
訪れた失敗体験を前にして生じる様々な不穏感情を、共に受けとめ、抱え、支えていくということが我々心理支援者の本来の役割です。
失敗体験の際に支えてもらったという体験によって、次の失敗体験のときの不穏感情を「一人ではなく二人で」抱えていくという心的状態を構築していくことになります(同行二人の世界ですね)。
選択肢にあるような「慣れさせる」という考え方には、その人(本問の場合は知的障害の子ども)の体験する世界をコントロールできるという誤った認識が潜んでいる場合がありますから、支援者としては気をつけねばならないと思います。
「慣れさせる」というニュアンスが用いられるのは、むしろ「不安」と関連する問題であろうと考えられます。
曝露反応妨害法をはじめとした不安関連障害の第一選択となる技法では「慣れさせる」という意味合いも含まれています(もちろんそれだけではないけど)。
さて、知的障害のある子どもの困難は、健常児であれば苦手なものがあったとしても「伸びる力」がそれほど阻害されていないのに対し、彼らはその「伸びる力」もそれほど備わっていないことが少なくないことです。
つまりは、苦手な能力は訓練を重ねても伸びにくいことも多く、またそれ故にそればかりに固執すると失敗体験を不要に積み重ねることにもなりかねません(もちろん、訓練をすること自体が無意味とは思っていません)。
大切なのは、その子どもに備わっている得意な能力を十全に伸ばし、それを中心としながら、その子どもが世界を生きられるように支援していくことです。
私は何らかの発達上の課題がある子どもの保護者に対し「私立大学の受験は3科目くらいでいいことも多いですけど、普通は5教科の中から成績が良い科目を選びますよね。苦手なものを伸ばして、それで生きていこうとすることって、苦手な科目、点数が低い科目を選んで受験するようなものですよ」などと伝えています。
また、得意な面を伸ばすことの価値は他にもあります。
それは自分ができるという感覚を積み重ねていくことで、苦手な面の訓練にも取り掛かる意欲が出やすくなるということです。
もちろん、そんなにうまくいかないことも多いのですが、できないことばかり訓練するという状況では意欲が出にくいのは障害の有無に関わらないことだろうと思います(苦手な科目が多い時間割を見てため息をつくのは障害児に限らないでしょう)。
以上より、選択肢①および選択肢③は不適切と判断できます。
②スモールステップでできることを増やす。
④社会生活に必要な技能や習慣を身に付けさせる。
基本的な生活習慣や社会生活に必要な技能・習慣の確立・習得は障害児を育てる上で不可欠な事項です。
これらの確立・習得によって、障害児の発達が促進されることもあります。
もちろん子どもの状態像によっては完全な自立は困難であることもありますが、身の回りのことを自分で処理することは、社会参加に欠かせない適応行動であり、基本的生活習慣が身に付くほどに社会参加の程度が大きくなっていきます。
「教育の目標とは何か?」については様々な意見があるでしょうが、教育を受けた人が社会のフルメンバーとして参与できるようにしていくことが挙げられるでしょう。
障害児教育でSST(ソーシャルスキルトレーニング)が盛んなのも、人との関わり方を学び、不足している社会的相互作用のための知識を補い、不適切な対応を改善し、社会的に望ましい行動を獲得していくことで、社会に参与することができるようにしていくのに有効であるからです。
基本的な生活習慣や社会生活に必要な技能・習慣の確立・習得していくためには、子どもが「自分でできた」という達成感を味わい、子どもの自尊心を育んでいくことが大切です。
そのために「できる・できない」という2分法で評価するのではなく、一つの習慣が完成するためにはどんな小さな行動があるかを考えていく必要があります。
健常児であれば一気に身につけられるような習慣でも、知的障害児にとっては小さな階段を少しずつ登っていかなければならない場合が多いです。
このように小さな段階に分けて指導していく考え方をスモールステップの原理と呼びます。
行動分析学に基づく具体的な支援では…
- 目標行動の決定を行い
- 課題分析、すなわち目標行動に到達するまでのステップを細かく分析し
- スモールステップで
- 成功したときには強化子を与え
- できない時には「手がかり(プロンプト)」を与え
- 最終的には一人でできるように
…という手順で行っていきます。
スモールステップはスキナーが提唱しました。
「3回まわってワン」を身につけさせるために、1回まわって餌を与え…と細かく設定していくのが例として使われることが多いですね。
障害児教育にスモールステップは日常的に使われることが多く、それによって目標行動が身に付くだけでなく、達成感を積み重ねることができ、意欲を保ちやすくさせるという効果もあります。
プログラム学習の原理(2019-145で出題がありましたね)でも使われていますから、教育全般に浸透している考え方とも言えますね。
以上より、選択肢②および選択肢④が適切と判断できます。
⑤具体的な活動よりも抽象的な内容の理解を重視する。
軽度知的障害の基本的な障害特性に応じた支援としては以下のように整理することが可能です(通常学級での特別支援教育PDCAより)。
認知的側面では、「具体的で生活に密着した実用的な教材の活用」「記憶に負荷をかけないこと」「意味的なつながりからの理解」など、本人が理解でき興味がもてる学習指導が重要です。
言語面では、「具体物の提示」「簡潔であり具体的なコミュニケーション」など、本人が理解可能な手がかりの使用が重要となります。
また、心理・行動面では「自分の力で成功する体験の積み重ね」「社会的スキルの指導の重要性」などが挙げられます。
2019-128のピアジェの発達段階論でも示したように、前操作期では論理的な思考の枠組みができあがりつつも現前の知覚の束縛から抜け切れておらず、具体的操作期では知覚に惑わされることなく自己の頭のなかで筋道を立てて物事を体系立てて考えることが可能になります。
ただし、具体的操作期で可能な論理的操作は具体的事物に限られており、目の前の現実の束縛から離れることはできていないと見なすことができます。
目の前の現実から離れて仮説演繹的に論理的思考(つまり抽象的に物事を考えられるようになること)を発動できるようになるのは、最後の形式的操作期になってからであるとされています。
知的障害があっても形式的操作期に至ることはあるでしょうが、本問は「知的障害のある子ども」とされております。
本来11歳以降に訪れる形式的操作期に知的障害の「子ども」が至ることは困難である場合が多いと推測でき、抽象的な内容を重視することは子どもを置いてけぼりにする可能性が高いと考えられます。
むしろ、目の前に実際の物を置くなどの具体的な活動を通して理解を促す方が、知的障害の子どもの特徴を踏まえた支援であると言えるでしょう。
以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。