社会心理学における集団での行動にまつわる理論を紹介します。
沢山ありますが、とりあえず流れで覚えておいた方が良さそうなことをまとめて述べていきます。
単独で覚えるよりも、一つの流れとして把握しておいた方が理解しやすいのかなと思います。
集団とは、複数の人々から成る社会的なまとまりのことを指します。
さまざまな集団が、成員同士の相互作用と相互依存関係を要素として、共通の目標に向かって役割を果たしていきます。
ここでは、集団の構造と、それに伴う成員の振舞いについて説明していきましょう。
集団凝集性
成員を集団に引き付けて留まらせるよう働く力を「集団凝集性」と呼びます。
単に、集団としてのまとまりの良さ、と説明される場合もありますね。
集団凝集性の高い集団の特徴としては、成員が目標に向かって互いに協力し、結果として集団の課題遂行にプラスに働くとされています。
一方で、過度に凝集性が高くなることによって、成員は結束を乱すまいと発言を控えるようになり、それが有効な問題解決を妨げることがわかっています。
例えば、全員一致のルールを採用し決定に費やした努力が大きいほど、その決定の誤りを正そうとしないことが示されております(いわゆる「コストを要した決定への固執」)。
また、集団で意思決定すると単独の場合に比べ、決定内容がよりリスクが高いものになったり(リスキーシフト)、逆により安全志向に傾く(コーシャスシフト)ことが知られています。
この傾向は集団討議を経ると、当初の意見が一層強められることを表しており、「集団極性化」と呼ばれています。
集団極性化については以下の3通りの説明がなされています。
- 集団討議では多数派の意見がより多く聞かれることになり、結局、当初の立場を互いに支持・補強しあう。
- 他の成因に好ましい自己像(力強く自信があるイメージとか)を提示したいがために、各人が他者と比較してあえて人よりも極端でつよい意見を表明する。
- 集団討議を通じて集団への同一視が生じ、各人が自らの社会的アイデンティティを維持するために、そこでの代表的意見に同調する。
集団規範
同じ集団では服装や言葉遣い、考え方や行動パターンが似通ってくるとされています。
これは、集団内に成員の行動や思考の準拠枠となる「集団規範」が形成され、集団秩序を維持するためにこれに従わせるような圧力がかかるためと説明されています。
集団規範には明文化されているもの(校則、社内規定とか)、されていないもの(暗黙のルールとか)があります。
集団凝集性が高い集団ほど、規範が成員の行動に及ぼす影響は大きいとされています。
規範に反する行動を取る者に対して、明示的に罰等を与える場合、無視されるなど暗示的に罰を与えられる場合などがありますね。
この集団規範を計量的に測定、表示する方法としてJacksonの「リターン・ポテンシャル・モデル」があります。
まずは以下の図を見てみましょう。
例えば、有給を取る日数についての集団規範を測った場合、上記の最大リターン点(つまりその集団から最も承認されやすい日数)が6日だとします。
そして許容範囲の最小が4日、最大が7日だとすると、その範囲がその集団で規範に沿った行動と見なされます。
また、この曲線の尖度(とんがり具合)によって、集団規範の強度を見ることができます(当然、とんがっているほど集団規範が強い)。
課題の遂行
先述したように集団だからといって、その成績が良いとは限らないことが示されています。
集団が個人の遂行に与える影響や、集団としての課題の達成については様々な概念が示されています。
社会的促進
Triplett(1898)は、自転車のレースや釣竿のリール巻きの作業を、1人でするよりも他者と一緒に課題遂行する方が成績が良くなることを示しました(これは社会心理学の中の最古の実験的研究とされています)。
これが「社会的促進」と呼ばれる現象です。
しかし、その後の研究で、他者存在が成績を下げることもあるとわかってきました(後述する「社会的抑制(手抜き)」ですね)。
特に、容易な課題の遂行は他者の存在によって促進されるが、難しい課題では成績が低下することが示されています。
Zajonc(1965)は、こうした矛盾した現象を「動因」という原理で説明できるとしました。
高い水準の動因は反応を活発にします。
単純な課題では正しい反応ができる可能性が高いのでより活発になりますが、難しい課題では誤る可能性が高まるので抑制が生じるということです。
また別の説明として「注意」の要因が挙げられています。
要は、他者の存在が気を散らせる、ということです。
社会的促進は単純で少ししかない手がかりに集中すればよいので「促進」され、社会的抑制は複雑で広範囲な手がかりに注意を巡らさねばならないので「抑制」されるということです。
この2つの説ですが、ストループ課題(認知的葛藤、とかがキーワードですね。高次脳機能の検査としても使われています)を通して検証した結果、後者の注意の要因の方が支持されています。
社会的抑制(手抜き)
集団状況のため、本来なら発揮できるはずの個人の能力が生かされなくなることもあります。
綱引きで綱を引っ張る1人当たりの力の強さは、人数が増えるにつれて反比例して減少していくとされています。
その他にも、一緒に叫ぶ、拍手する際の大きさも同様とされていますね。
こういう1人の時よりも集団状況の方が課題遂行が低下することを「社会的手抜き」もしくは「社会的抑制」と呼びます。
傍観者効果
社会的手抜きは他者存在によって課題遂行や行動が抑制されることでしたが、これが援助行動においても生じることが示されています。
1964年、キティ・ジェノヴィーズという若い女性が自身のアパートの外で襲われ、30分以上の抵抗虚しくついに殺害されました。
少なくとも38人の隣人が助けを求める彼女の叫びを聞いたが、誰も助けることはありませんでした。
アメリカ国民はこの事件に震え上がり、社会心理学者たちは、後に「傍観者効果」と呼ばれる原因を調べ始めました。
ラタネは、困っている人の周囲に多くの人が存在しているのに、誰も助けようとしない現象を「傍観者効果」と名付け、多くの人が存在しているから援助行動が抑制されることを明らかにしました。
ラタネとダーレーは、実験(人数が違う集団による援助行動の違いを調べた)によって、援助すべき緊急事態に出くわしている人が多数いるにも関わらず介入が起こらない原因を追究して、この傍観者効果の存在を明らかにしました。
一般には、傍観者の数が増えるほど、また、自分より有能と思われる他者が存在するほど、介入は抑制されます。
この現象が生起する理由として、
- 責任の分散:自分がしなくても誰かが行動するだろう
- 多数の無知(多元的無知):周囲の人が何もしていないのだから、援助や介入に緊急性を要しないだろうという誤った判断をする
- 評価懸念:行動を起こして失敗した際の、他者のネガティブな評価に対する不安から、援助行動が抑制される
などで説明がなされています。
緊急事態での介入に関するモデル
ラタネとダーリーは傍観者効果の研究を通して、緊急事態での介入までの意思決定過程と、介入を抑制する要因について検討し、人が援助行動に至るまでの過程を意思決定モデルとして提示しました。
これによれば、以下のような5つの段階に分けられます。
- 異常な事態が発生しているという認識
- それが緊急事態であるという認識
- 援助するのは自分の責任であるという認識
- 援助方法を自分は知っているという認識
- 援助を行うことの決断
上記を細かく説明していくと以下の通りとなります。
まず第1項の「異常な事態が発生しているという認識」ですが、その緊急事態が起きていることが認識されなければ援助しようと思わないので、これが最初に来ることになります。
第2項の「それが緊急事態であるという認識」については、緊急事態というのはそれほど頻繁に起こるものではないので、多くの場合、普通の人が緊急事態であることをはっきりと認識するのは難しいものです。
上記の事件では、そこで状況を判断する情報を周囲に求めた結果、誰も行動しておらず落ち着きを払っているように見えたために、緊急事態ではないと判断したと考えられます(多数の無知)。
第3項の「援助するのは自分の責任であるという認識」については、責任の分散(自分がしなくても誰かが行動するだろう)によって援助行動への義務感が薄れるということが示されており、援助行動を起こすには援助する責任があると感じる必要があるということになります。
ちなみにラタネとダーレーの実験によると、緊急事態に気づいたのが自分だけだと思った被験者は85%が援助行動を起こしましたが、自分以外にもうひとり気づいた人がいることを知っていたときには62%に減少したとされています。
「他の誰でもない自分が行うのだ」と思うのって難しいわけです(家事も家族がいると相手任せになってしまいがちですしね)。
第4項は「援助方法を自分は知っているという認識」ですが、人は緊急事態に遭遇するとパニックに陥ることがあるため、何をすればよいのかわからず結果的に何もしないということが起こりやすいです。
緊急時には救急の電話番号なども、正確に思い出せなくなるというのはよくある話ですね。
最後の第5項は「援助を行うことの決断」ですが、例えば「自分が介入することによって騒ぎを大きくしてしまうのではないか」「自分も巻き込まれて怪我を負わされるのではないか」などの不安が決断を妨げることもあるとされています。
自分が他者を援助するときの思考・感情の流れを細やかに追っていくと、少し理解しやすいかもしれないですね。
【2018追加-85】