公認心理師 2024-14

示されている説明に該当する用語を選択する問題です。

過去問をやっておけば解けますが、そろそろ過去問全部を把握するのが大変な問題数になりつつありますね。

問14 ある地域や国などにおいて、歴史的に作り出され暗黙のうちに共有されている、自他の関係性についての通念を表す用語として、最も適切なものを1つ選べ。
① 自己物語
② 集団規範
③ 暗黙の人格観
④ 文化的自己観
⑤ 内集団バイアス

選択肢の解説

① 自己物語

自己のアイデンティティは、一般には質問紙検査の尺度を用いて特性論的に捉えられることが多い一方で、自己のアイデンティティは物語形式によって保たれると見なす立場があります。

自己のアイデンティティの基盤を物語に求めるMcAdams(1988)は、人はストーリーを書きながらそのストーリーを生きるようになるとし、アイデンティティはライフストーリーであり、それは個人の人生に統一性と目的を提供する個人的神話であると見なしました。

自己は物語形式を取り、自己のアイデンティティは物語として保持され、個々の出来事に意味づけを行ない、その有意味性によってそれらを取捨選択しつつ納得のいく流れのもとに配列していく「自己物語」として抽出できるとされています。

自己物語とは、自分の行動や自分の身に降りかかった出来事に首尾一貫した意味づけをし、諸経験の間に因果の連鎖を作ることで、現在の自己の成り立ちを説明する自分を主人公とした物語であり、自分がどのような人物であるかを指し示す自己定義的な物語になります。

個人が生きている自己物語の文脈を抽出する方法として自己物語法があります。

自己物語法では、①今の自分自身、②今の自分にとって大事だと思うエピソード、③懐かしく思い出される人・物・出来事・場所、④最初の記憶など、⑤人生の各時期の想起される主なエピソード、そして最初の記憶から現在に至る各時期のエピソード、⑥転機となったエピソード、⑦自分の人生史の中で、やり直したい、書き換えてしまいたいところについて語ってもらってからい、再び、⑧今の自分自身について思うところを語ってもらい、さらに、⑨将来の展望、⑩語り(記述の場合もある)の前後での自分自身に関する見方に生じた変化について語ってもらいます。

得られた語りデータから自己物語の文脈を抽出する際には、想起されるエピソードを事実と意味づけの産物として理解し、出来事とそれに対する気持ちや意味づけを区別して整理する必要があります。

この中で、繰り返し現われる構図や基調として流れているテーマを読み取り、特に、転機となったエピソードの現在における意味づけに注目することが大切とされています。

昔、「探偵!ナイトスクープ」を観ていたときに、「レイテ島からのハガキ」という依頼がありました。

依頼内容は60歳代の男性からで、フィリピン・レイテ島に出征し、戦死した父は「自分が母のおなかにいること」を知っていたのかという内容です。

ヒントは、父が戦地から送ったハガキに書かれた文字で「身重」とも読めそうな箇所もあるのですが、消えかかっていてはっきりとわかりません(依頼者の母親が何度も読み返したため、薄くなってしまったようです)。

最終的には奈良文化財研究所に持ち込み、赤外線を用いた技術により、「身重」「妊娠の妻」という言葉がはっきりと書かれていることがわかり、依頼者の父親は「依頼者が母親のおなかにいることを知っていた」ことが明確になりました。

このことを知った瞬間、依頼者の人生に明確な物語が通ったような、そんな雰囲気があったことを覚えています。

私は「自己物語」があることが、その人の人生の一貫性・安定感を増すと考えていて、そして、それは明確な「事実」でなくても、その人のイメージの世界でつながっていればよいのだと思います(上の例でも、別に父親が知っていようがいまいが人生は変わらない。だけど、人生の一貫性・安定感は格段に違う)。

もっと言えば、「自己物語」とは、「自分が生まれる前から(生まれてから、ではない)、今の自分が一貫して連続体として存在している」であると捉えているわけです。

ここからの連想で言えば、解離という現象はこの一貫性を阻害するものなので、やはり早めに改善に向かわせていくことが大事だと思いますし、養子が「実の親のことを知りたい、会いたい」と願うのは養父母に対する不満によるのではなく、こうした「生まれる前から今までの一貫性」を得たいという欲求から来るのだと思います。

こうした養子に起こってくる現象を、私は養父母に積極的に事前に伝えるようにしていますし、その意義や対応についても助言することがあります。

ちなみに大切なのは「事実」ではなく「イメージ」ですから、追えるところまで過去を追えばそれで良いわけで、例えば、「自分が生まれた産婦人科」を知るだけでも良いのです。

さて、以上のような自己物語に関する説明は、本問の「ある地域や国などにおいて、歴史的に作り出され暗黙のうちに共有されている、自他の関係性についての通念を表す用語」と合致しないことがわかりますね。

よって、選択肢①は不適切と判断できます。

② 集団規範

同じ集団では服装や言葉遣い、考え方や行動パターンが似通ってくるとされています。

これは、集団内に成員の行動や思考の準拠枠となる「集団規範」が形成され、集団秩序を維持するためにこれに従わせるような圧力がかかるためと説明されています。

集団規範には明文化されているもの(校則、社内規定とか)、されていないもの(暗黙のルールとか)があります。

集団凝集性が高い集団ほど、規範が成員の行動に及ぼす影響は大きいとされており、規範に反する行動を取る者に対して、明示的に罰等を与える場合、無視されるなど暗示的に罰を与えられる場合などがありますね。

この集団規範を計量的に測定、表示する方法としてJacksonの「リターン・ポテンシャル・モデル」があります。

まずは以下の図を見てみましょう。

例えば、有給を取る日数についての集団規範を測った場合、上記の最大リターン点(つまりその集団から最も承認されやすい日数)が6日だとします。

そして許容範囲の最小が4日、最大が7日だとすると、その範囲がその集団で規範に沿った行動と見なされます。

また、この曲線の尖度(とんがり具合)によって、集団規範の強度を見ることができます(当然、とんがっているほど集団規範が強い)。

このように、集団規範とは集団内の大多数の成員が共有する判断の枠組みや思考様式のことであり、集団成員として期待される行動の標準を示すもので、集団内での自己の適切な行動を選択する際の基準となるものとされています。

他の成員に対する暗黙の役割期待を形成する基盤になり、普段は意識されませんが、規範から逸脱した者が現れると周囲の成員たちは規範の存在と内容を意識するようになり直接的・間接的に集団圧力を加えるようになります。

このような集団規範の説明は、本問の「ある地域や国などにおいて、歴史的に作り出され暗黙のうちに共有されている、自他の関係性についての通念を表す用語」と合致しないことがわかりますね。

よって、選択肢②は不適切と判断できます。

③ 暗黙の人格観

暗黙の人格観(性格観)とは、Brunerらによって提唱された、性格特性同士の結びつきに関する素朴理論(科学的根拠のない判断の枠組み)のことを指します。

この枠組みが、対人認知において、特定の性格特性を示す情報から、ターゲット人物に関わる他の性格特性についての効率的な推測を可能にしていると考えられています。

日常経験を通じて暗黙裡に獲得されるため、個人固有の対人認知構造として機能するが、共通した一般構造も想定されています。

多次元尺度構成法を用いた研究からは、社会的善悪にかかわる社会的望ましさの次元と、知的能力にかかわる知的望ましさの二次元が検出されています。

例えば、血液型、容貌と性格の関係についての俗信、ステレオタイプ、性格特定間相互の間に仮定された関連性等です。

明確な科学的根拠がないにもかかわらず、人々が自分の中で暗黙に持っているイメージ、のようなもののことですね。

人は自分の持つ信念体系(暗黙の人格観)を用いて他者を判断しますが、それは人にとって異なり、例えば、「真面目=誠実」となる人は信頼できる人物と判断するかもしれませんが、「真面目=固い」となる人は融通が利かないという判断になるでしょう。

このように暗黙のうちに自動的に処理される人格観があり、それを他者認知に利用しているという理論が「暗黙の人格観」になります。

こうした暗黙の人格観に関する説明は、本問の「ある地域や国などにおいて、歴史的に作り出され暗黙のうちに共有されている、自他の関係性についての通念を表す用語」と合致しないことがわかりますね。

よって、選択肢③は不適切と判断できます。

④ 文化的自己観

こちらについては「公認心理師 2020-128」で出題がありましたね。

Markus&Kitayama(1991)は、数多くの日米比較実験の成果を踏まえて「文化的自己観」の理論を提唱しました。

文化的自己観は、ある文化において歴史的に作りだされ、暗黙のうちに共有されている人の主体の性質についての通念のことです。

彼らは、自己についての心理的過程の背後には少なくとも二通りの「自己観」が潜在していると仮定し、その一方を「相互独立的自己観(independent construl of self)」と名付け、もう一方を「相互協調的自己観(interdependent construl of self)」と名付けました。

相互協調的自己観は「人間はまわりの人たちから期待されるように行動するのが自然である」という前提をもち、人は周りの人や社会からその人に求められている役割や期待といったものに突き動かされている存在であるという自己観です。

そして、相互独立的自己感は「人とは他の人やまわりの物事とは区別されて独立に存在するものである」という前提のもとに成る自己観であり、人間のとる行動はその人に備わった性格や能力、才能、動機といった内的要因に帰属するのであるという考え方です。

そして、相互協調的自己観が東アジア文化的な自己観であり、相互独立的自己観が西洋文化的な自己観とされています。

相互協調的自己観を持つ文化では人間関係の調和や集団内での責任や義務が重んじられ、相互独立的自己観を持つ文化では個人の目標を達成することが集団における責任などよりも重視されます。

西洋文化圏の相互独立的自己観(independent self)についてですが、西洋文化圏に生きる人たちは、個人の気質・性格においても社会の制度・規範においても、相互に「独立した個人」が判断と選択をしながら行動するという文化的自己観を持っています。

自己とは他人や周囲のものごととは区別される独立した存在であるとし、自身の特性を持ってアピールし、原因帰属では「自分の努力で」という感覚ですね。

対して、東洋文化圏の相互協調的自己観(interdependent self)ですが、東洋文化圏に生きる人たちは、集団社会における自己の位置づけ(役割規範)や他者からどう見られているかという自意識(世間体)に影響されやすく、相互に「協調・依存する個人」によって社会生活が営まれるべきという文化的自己観を持っているとされています。

自己は他人や周囲のものごととの結びつき、その関係を重視する存在です。

周囲との関係を持ってアピールし、原因帰属では「周囲のサポートで」という感覚であり、H.R.マーカス&北山は文化的要因と心的プロセス(性格傾向)の相互作用について「文化的自己観」という概念を用いて説明しています。

図の通り、相互独立的自己観による人間関係は「個人」と「個人」の関係です。

すなわち、人は一人の個人として、他の自分のような個人と付き合っていく人間関係のモデルになります。

一方、相互協調的自己観は、人が他人と何らかのつながりで共通の組織に属し、その中での協調的関係を維持することを大切にする人間関係の形になります。

ここでの組織、集団とは「世間」であると考えられています。

上記の内容を踏まえると、本問の「ある地域や国などにおいて、歴史的に作り出され暗黙のうちに共有されている、自他の関係性についての通念を表す用語」として文化的自己観は妥当なものであると言えますね。

よって、選択肢④が適切と判断できます。

⑤ 内集団バイアス

まずバイアスに関する基本的理解として、これを単なる思い込みと見なしてはいけません。

脳で多くの情報を処理すると負担がかかるので、認知的バイアスを複数持つことでその処理を簡便にし、脳への負担を減らしているというのが本質だと思われます。

このように「脳の負担を減らすための処理」というのは、実は他の領域でも見られる現象です。

例えば、統合失調症の幻聴ですが、脳には「無意味な音を無意味なものとして処理するよりも、有意味なものとして処理した方が負担が少ない」という特徴があるので、無意味な音を自分の内にある認識をもとに処理することで有意味な音が聞こえる、という側面があると考えられます。

もちろん、これで幻聴のすべてを説明できるわけではありませんが、強い恐怖状態にあると何気ない音が足音や人の声に聞こえることは経験している人も多いのではないでしょうか(小さい子どもが、初めて自分の部屋で一人で寝るときに、こういう現象が生じることもある)。

また、外界の出来事について「理由がないままでいるよりも、どんな理由でもあった方が処理が楽」という特徴もあり、これは被虐待児が殴られる理由を「自分が悪いから」と帰納している現象を説明するものです。

こうした現象のため、被虐待児の根っこには「自分が悪い」という強い信念がはびこるようになり、それだけでなく他者が受けている暴力(例えば、自分の弟が同じく身体的虐待を受けるという状況)についても「殴られる方が悪い」と無自覚に処理する等の状態がありますね(なお、これは「殴られている方を批判する」という形ではなく、「攻撃者への無批判」という形で顕在化することの方が多い)。

さて、本選択肢の内容に関してですが、自分が所属する集団(内集団)のメンバーの方が、それ以外の集団(外集団)のメンバーに比べて人格や能力が優れていると認知し、優遇する現象を「内集団バイアス」あるいは「内集団びいき」と言います。

一般に人には自己評価高揚の動機づけがあり、自己と強く同一視する内集団が存在する状況では、集団間社会的比較に基づく内集団評価の高揚が起こるためとされています。

こうした正の社会的アイデンティティの希求という過程によって、集団間社会的比較過程が集団間の差別や内集団バイアスを引き起こし、集団間の偏見・葛藤へと至ると説明されています。

これらの内容は、本問の「ある地域や国などにおいて、歴史的に作り出され暗黙のうちに共有されている、自他の関係性についての通念を表す用語」と合致しないことがわかりますね。

よって、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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