公認心理師 2021-87

A. H. Maslowの欲求階層説に関する問題です。

かなり基本的な問題ですから、これは「絶対に」落とさないようにしなければならないと思っておきましょう(間違った人には厳しく聞こえるかもしれませんが、やはりこういう問題を間違えるのは基本的知識に不足があると自覚し、勉強に取り組む必要があります)。

問87 A. H. Maslowの欲求階層説において、最も下位の欲求として位置付けられるものはどれか、適切なものを1つ選べ。
① 安全の欲求
② 自尊の欲求
③ 生理的欲求
④ 自己実現の欲求
⑤ 所属と愛の欲求

解答のポイント

A. H. Maslowの欲求階層説の基本的内容を把握している。

選択肢の解説

① 安全の欲求
② 自尊の欲求
③ 生理的欲求
④ 自己実現の欲求
⑤ 所属と愛の欲求

まず、マズローの欲求階層説は「公認心理師 2018追加-56」や「公認心理師 2018-100」で簡単な解説がありますし、この解説内容で本問の正誤判断は十分に可能ですね。

ウィスコンシン大学に進んだマズローの関心は、もっぱら行動主義で、Harlowのもとでのサルの研究で学位論文を書いていますが、その後行動主義からは離れていきました(マズロー自身に子どもが生まれたことが大きかった。彼は自身の赤ん坊を観察したら「行動主義者にはなれない」と言いながら、次第に行動主義からは離れていった)。

その後、S.Freudにも触れましたが、ニューヨークでのA.Adlerをはじめ、E.Fromm、K.Horney、R.Benedictらとの出会いが彼の学問的立場を決定づけました。

マズローは自らの学問的立場を「第三勢力」と名付けましたが、これは、従来の心理学の二大勢力(行動主義と精神分析)は人間の行動の病的側面や動物的・環境的側面の究明には寄与したが、人間の心理学的に健康で成長へと向かう側面は注目されていないとして、両者を統合した全体的な人間理解が必要だと主張しました。

そこでマズローは、例外的に健康で成熟した人々を対象として、精神的健康についての調査を始めました。

これはいわゆる「自己実現」の研究ですが、彼が独自の基準で選んだ数十人について、その習慣、特徴、人格、能力などを調査しました。

さらにこの結果をもとに、「欠乏動機」と「成長動機」を区分し、人間の生来的欲求には「優先性の階層」があり、生理的欲求や安全、所属と愛情の欲求などが満たされて初めて、自己実現へと向かう成長動機が作動すると考えました。

また、自己実現した人には「至上の幸福と達成の瞬間」がみられるとして、これを「頂上(至高)体験」と名付けましたが、これはのちに超個人心理学(トランスパーソナル心理学)にも受け継がれています。

上記の通り、マズローは欲求階層説において欲求は以下のように階層化されています。

  1. 生理的欲求:飢えや渇きなど
  2. 安全・安定の欲求:安心、安定、危険からの自由を感じること
  3. 愛情・所属の欲求:他者と親しくすること、受け容れられること、所属すること
  4. 承認・自尊の欲求:達成すること、有能であること、評価と認証を得ること
    (この間に、「認知の欲求:知ること、理解すること、探求すること」や「審美的欲求:調和、秩序、美しさ」があるとされる)
  5. 自己実現の欲求:自分に最も適する達成すべき活動を見つけ、自己の可能性を実現すること

こちらのサイトから画像は拝借しました(わかりやすかったので)。

1~4の欲求を「欠乏欲求(動機)」とし、満たされる度合いが少ないほど強くなり、満たされることによって欲求が減じるとされています。

5の自己実現の欲求は「成長欲求(動機)」という高次の欲求とされ、より個人的で、欲求の強さも個人差があります。

この理論でよく言われるのが「階層の下方にある欲求が、少なくとも部分的に満足されてはじめて、より高次の欲求が動機として意義を持つことになる」ということですね。

食料や安全の確保が困難な場合、それらの欲求を満たそうとする努力が、人の行動を支配して、より高次の動機は必要なくなります。

基本的欲求を容易に満足できる場合にのみ、より高次の欲求を満たすために時間と労力を費やすことができるのです。

従って、食料や家屋や安全を確保することに人々が苦労している社会では、芸術や科学は盛んにはなりません。

先述の通り、最も高次の自己実現欲求は、他のすべての欲求が満たされて、はじめて満足できる状態になります。

自己実現とは、もともとGoldsteinが導入した概念であり、その人の持っている潜在的な可能性を現実化することを指します(その後、Maslowが自身の理論に転用しました)。

マズローは、自己実現者、つまり自分の能力を素晴らしく発揮できた人々を研究しようと考え、スピノザ、リンカーン、トーマス・ジェファソン、ジェーン・アダムス、アインシュタイン、ルーズベルト等、有名な歴史上の人物の人生を研究することから始めました。

その結果を用いて、自己実現者の総合的な輪郭を作成しました。

【自己実現者の特徴】【自己実現へと導く行動】
現実を的確に捉え、不確かさを受容できる。
自分や他者を、あるがままに受容できる。
思考や行動が自発的である。
自己中心的でなく、むしろ問題中心的である。
ユーモアのセンスがある。
非常に創造性豊かである。
無理に型を破ろうとしているわけではないが、文化に順応させようとする力に抵抗する。
人類の幸福に関心がある。
人生の基本的な経験に対して、深い理解を持つことができる。
多くの人とよりは、むしろ少数の人と深く充実した対人関係を築いている。
人生を客観的な見地からみることができる。
子どものように、吸収と集中をしながら、人生を経験する。
安定的で安全な方法に固執するのではなく、新しいことに挑戦する。
伝統、権威や、過半数の声を聞くよりは、自分の感情に耳を傾け、自己経験を評価する。
正直でいる。見栄や駆け引きを避ける。
大半の人と見解が一致しない場合は、不人気になることを覚悟している。
責任感がある。
何をするにしても、一生懸命努力する。
自分が用いている防衛的な態度や行動を見出し、それらを取り払う勇気を持つ。

これはマズローが見出した、自己実現者の特徴と自己実現につながるような行動例になります。

マズローはこの後、大学生の集団に研究対象を広げ、彼の自己実現者の定義に当てはまる学生を選出したところ、彼らは最も健康な1%の学生群に入っていることがわかりました(つまり、マズローの定義する自己実現というのは、ごくわずかの人しか達成できないほど難しいものである)。

こうした自己実現者は、先述の「至高体験」を経験しますが、これは、自己実現を達成する一瞬であり、幸福感と達成感を伴います。

これは一種の目標達成状況であるが、一時的で、意図的な努力とは関係せず、更には個人を超越したものとされています。

至高体験は、例えば、創作活動、自然体験、親密な人間関係、美の知覚、運動参加など、さまざまな程度や状況に起こり得ます。

マズローは多くの大学生に至高体験に近いと思われる体験の説明を求め、その回答に見られたのは、全体性、完全性、独自性、自己充足性、生きている実感、努力を要さないことや、美・善・真実の価値などについての言及でした。

以上のように、マズローの欲求階層説について最も低次なのは「生理的欲求」であることがわかりますね。

よって、選択肢①、選択肢②、選択肢④および選択肢⑤はマズローの欲求階層説において、最も下位の欲求として位置付けられるものとして不適切と判断できます。

また、選択肢③がマズローの欲求階層説において、最も下位の欲求として位置付けられるものとして適切と判断できます。

さて、非常に簡単な問題でしたし、ちょっとしたオマケとして臨床で役立ちそうな、ちょっとだけ本問に絡む話をしておきましょう。

不登校児の安全感について、よく無知・無理解な人から「家の中の居心地を良くすると、学校に来なくなる」という意見が出ます。

当然、これは誤りですが、その理由を説明しておきましょう。

不登校児、というよりも高校生ぐらいまでの子どもたちの安全感は「家の安全感が基準である」と考えておくことが大切です。

つまり、家の安全感が10なら、外の安全感は7とか8くらいになりますが、もしも家の安全感が5程度なら、外の安全感は2とか3くらいになってしまうのです。

ですから、不登校児が家にいて安心できないということ、具体的には「自室から出てこない」「リビングでやり取りできない」「服を着替えたがらない」「髪や爪は伸ばしっぱなし」という状態が維持されている場合は、「外に出る」「学校に行く」ということは支援の方針にはならず、まず「家の中でリビングで過ごすこと」「家族と話をできること」を目標にする必要があります。

この「家の安全感が基準となって、外の安全感が決まる」というのは、あくまで私の臨床実践における仮説ですが、高校生くらいまでの事例で大体は矛盾が無いように思います。

ちなみに、なぜ「高校生くらいまで」なのかを説明しておきましょう。

岡山大学や九州大学などが発見したことの一つですが、ふらりと訪ねていけて、雑談したり、楽器をいじったりできる「たまり場」は、病院でも、学生相談室でも、リハビリテーション施設でも欠かせません。

これはのちに「居場所論」として示されてきましたが、どうやら大学生くらいからは、家以外の「居場所」を持つことができるようになることが大きいように思います。

実際の精神的成熟から言えば、高校生くらいでも「居場所」を持つことはできると思うのですが、親元で養育されているという感覚が強いほどに「居場所」が作りにくい感じもあり、だから大学生くらいの年齢のような「親の養育の力が薄れる時期」が重要になるのかもしれません。

居場所論としては、この書籍が有名でしょうかね。

いずれにせよ、このように外に「居場所」を持てるようになると、家を基準として定まってきた安全感が、そうでもなくなるような気がします。

ちなみに、統合失調症者の「居場所」は、「どうやって見つけたんや、この店」という感じの店であることがありますね。

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