認知的不協和が関わる現象に関する問題です。
各選択肢の内容は認知的不協和理論の説明で見かけるものですが、重要なのは「理論を正しく理解」していることであり、それがあれば各選択肢の状況から認知的不協和が生じるか否かの判断ができるはずです。
問111 認知的不協和が関わる現象として、不適切なものを1つ選べ。
① 顕示的消費
② 禁煙の困難さ
③ 説得や依頼における段階的要請
④ 入会におけるイニシエーション
⑤ 既に購入した製品のパンフレットや広告の閲読
解答のポイント
認知的不協和理論の理解と具体的状況が説明できる。
選択肢の解説
② 禁煙の困難さ
③ 説得や依頼における段階的要請
④ 入会におけるイニシエーション
⑤ 既に購入した製品のパンフレットや広告の閲読
人間の持つ複雑な信念体系や行動のバリエーションを考えると、条件づけのような単純なメカニズム以外にも、行動に影響を与える心理的な過程が働いていると考えるのが自然です。
社会心理学では、認知システムには生体のホメオスタシスのように均衡を保つ仕組みを持っているはずだという視点から、人間の行動に影響を与えるメカニズムの一つとして「人間は考えのつじつまの合うことを求める」という原理を見出しており、ここから「認知的斉合性理論」と呼ばれる理論群が生まれました。
この認知的斉合性理論の中には、有名なハイダーのバランス理論(「公認心理師 2020-87」で出題済み)が含まれておりますが、本問では同じく認知的斉合性理論の一つであるフェスティンガーの認知的不協和理論が出題されました。
人は一般に、客観的事実に反する信念や態度を自分がもっていることを意識すると、まるで不協和音を聴くかのような不快感を覚えるとされ、この不快感を低減しようとする動機づけが、さまざまな行動パターンを予測させます。
特に、本心としての態度とは食い違った行動を、何らかの理由でとってしまった場合に、興味深い効果をもたらしますが、これを例証したのが以下のフェスティンガーらの実験になります。
- 実験に参加した大学生は、非常に退屈な課題を長時間にわたって続けることを求められる。
- 実験の都合上、大学生らは、他の参加者に対して「とてもおもしろくてためになる実験だった」と、心にもない嘘をつく役割を与えられる。
- ここで役割演技の謝礼として1ドルを受け取る条件と、20ドルを受け取る条件が設けられる。
- 後になって、自分自身が実験をどのくらい楽しんだかを評定してもらったところ、1ドルしかもらわなかった条件の方が、20ドルもらった条件や、統制群(嘘をつくよう求められず、報酬も与えられない群)よりも、「楽しかった」と評価した。
認知的不協和理論によると、この結果を説明するのは「行動の正当化」という過程にあるとされます。
つまり、20ドルという報酬をもらった参加者たちは、本心とは異なる発言をしたことを「お金のため」という理由で正当化できるが、1ドル条件ではそれが困難なため、「そんなに退屈でもなかった」と実験に対する態度を変化させることで、自分の行動との折り合いをつけようとしたと見なされます。
フェスティンガーは不協和が発生しやすい状況として以下を挙げています。
- 決定後
- 強制的承諾
- 情報への偶発的・無意識的接触
- 社会的不一致
- 現実と信念・感情との食い違い
そして、こうした状況において不協和の低減法については、理論的には以下のように述べています。
- 不協和な関係にある認知要素の一方を変化し相互に協和的関係にすること
- 不協和な認知要素の過小評価と協和的な認知要素の過大評価
- 新しい協和的認知要素の追加
- 新たな不協和の発生や既存の不協和の増加をもたらす状況や情報を積極的に回避。
これらが理論的に言った不協和の低減法になりますが、具体的な低減法に関しては以下が指摘されています。
- 認知の再体制化・態度変化
- 行動の変化
- 環境の変化
- 知覚と認知の歪曲
- 人物・状況・情報への選択的接触
さて、以下では上記を踏まえて各選択肢の解説に入っていきましょう。
まず、選択肢②「禁煙の困難さ」については、「現在、タバコを吸っている」という状況と「禁煙する」という態度に不協和が生じていると見なされます。
そして「禁煙って難しいよね」と感じるのは、その不協和の解消のために「禁煙に対する困難度の評定」を過剰に高く評価している(つまり、実際によりも禁煙の困難さを高く評価した)と見なすことができます。
タバコの例は、認知的不協和理論において定番の一つで、喫煙をどうしてもやめられない人が「がんの原因は喫煙だけではない」と主張することがあるのも、不協和を低減するために態度を後付けしていると見なされます。
選択肢③「説得や依頼における段階的要請」は、説得の領域では「foot in the door technique」と呼ばれているものです。
ドアに足を挟んで、そこから体を入れるようなイメージです(小さい面積から入って、大きい面積を入れ込む)。
こちらは、交渉や依頼の場面で、本命の要求を通すために、まず簡単な要求からスタートし、段階的に要求レベルを上げる方法になります。
この技法を認知的不協和理論で説明すると「一度、了承しているのに、その後の要求を断るというのは、一貫性がなく不協和をもたらす」ということになります。
ですから、その不協和を生じさせないような方向(協和的な認知や態度)で対応することになるということですね。
野卑な例で申し訳ないけど、男性が女性をホテルに連れ込むときに「何もしないから」と言いながらホテルに入れて、より大きな要求をホテル内でするという、昔よく聞いたような話も「ホテルに入るだけ」という小さな(?)要求を聞いたので、その後のより大きな要求についても承諾しないと、態度の一貫性が保てず、不協和を生じさせるということです。
選択肢④「入会におけるイニシエーション」は、その集団に入るためもしくは入会者から受け入れられるための「儀礼・儀式」を経験することで、高いハードルを越えたと実感させ、ハードルを越えるのに要した苦労とつじつまを合わせるように、成員たちが自ら集団の価値を見出して忠誠心を示すことがあります。
すなわち、行動が容易ではなく苦労を伴う場合ほど、これを正当化する態度が強固になりやすいということですね。
せっかく手に入れた選択肢なのだから、良いものに違いないと思い込むことで、苦労の「つけ」を自分に対して払うような心理過程が働くわけです。
つまり、選択肢④の状況では、その集団に対する過大評価が起こるわけですね。
カルト集団などは、こうした苦労が「ありがたみ」に変わる仕組みを経験的に知っていて、うまく利用していると考えられます(イニシエーションの内容は、集団本来の活動と無関係なものですら効き目があるから厄介です)。
これを「うまく使っている」ダイエットに関する研究があります。
3週間のダイエット期間を設けた際、より多くの努力を要する課題を与えた条件では、その3週間後以降も他の条件に比べて顕著な体重減少が見られました(課題の内容は暗記のようなダイエットとは無縁のものでも効果があった)。
要は、何であれ労力を要するような課題を与えさえすれば、これに見合った成果を得ようと自らに努力を課すので、ダイエットが成功したということですね。
選択肢⑤「既に購入した製品のパンフレットや広告の閲読」は、認知的不協和理論においては「良い買い物をしたのだと、情報への選択的接触を行っている」と見なされます。
自己の行動を正当化してくれる情報への選択的接触は、実は直感的に予測されるほど頻繁には起こらないのだとする議論はありますが、公然性のある行動(要は、多くの人の目に触れるような行動)や、自分にとって重要度の高い事柄に対する選択の後では、こうした情報への選択的接触が生じやすいとされています。
以上のように、ここで挙げた選択肢は認知的不協和理論で説明が可能な例ばかりになります。
よって、選択肢②、選択肢③、選択肢④および選択肢⑤は、認知的不協和理論が関わる現象として適切と判断でき、除外することになります。
① 顕示的消費
顕示的消費とは、ソースティン・ヴェブレンという、19世紀・20世紀初頭期のアメリカの経済学者が提唱した概念で、有閑階級の人々が自分の社会的な地位を誇示するために行う消費のことを指します。
誇示的消費、衒示的消費、ブランド消費とも呼ばれ、必要性や実用的な価値だけでなく、それによって得られる周囲からの羨望のまなざしを意識して行う消費行動を指します(だから、ハイブリッド車を買うことで「環境に配慮している私」を誇示している場合も、顕示的消費となる)。
宝飾品や高級自動車などは実質的な性能以上に「高価であることそのもの」が重視される場合があり(ヴェブレン効果:高価な商品ほど、顕示的消費が増加すること)、こうしたときにはこれらの品物が顕示的消費の対象になっている言えます。
企業が高級感のある広告宣伝を積極的に行うのも、販路を直営店などの限定しているのも値崩れを防いだり、ブランドイメージを高めるための戦略です。
顕示的消費では、人が他人を羨ましいと思うのは裕福かどうかが最優先事項であり、その裕福さを見せつけるために、高価な贈り物や贅を尽くした祝祭や宴会を提供したり、たえず支払い能力を見せつけたり、浪費的に消費をしたりすることが重要となります。
さて、こうした顕示的消費は、認知的不協和が生じないことがわかりますね。
なぜなら、「お値段以下のものを購入する」ということの埋め合わせとして「自身の裕福さを誇示できる」ということが明確に存在しており、そこに不協和が入り込む余地はありません。
この問題が上手いと思うのは、わざわざ「顕示的消費」という概念を持ってきているところです。
普通の買い物であれば、認知的不協和理論での説明が可能になってしまいます。
例えば、「お値段以下のもの」を購入すると、ふつうは「物の価値」と「値段」がつり合わないという不協和が生じるはずですね(顕示的消費では、自らを顕示できるという埋め合わせがあるので不協和は生じない)。
この不協和を解消するために、「お値段以下のもの」を「お値段相応のもの」と認識する、良いインプレッションだけを見る、などの行動が生起されていれば、認知的不協和を解消しようとしたとして、認知的不協和理論での説明が可能になります。
今年やむを得ず、一度ルイヴィトンで買い物しましたが(手帳のリフィルで、自分がずっと使っている様式がもうここにしかなかった)、とてもわかりやすく、迅速で、買い手として心地よかったです。
それに、「他では買えなかったし」「ここで買ったら高級感があったし」などの考えも浮かびました。
これも「お値段以下のもの」を購入する(手帳のリフィルごときに、本来なら出す値段ではなかった)にあたり不協和が生じたので、品物以外のサービスに価値を見出したり、いろいろ自分に言い訳をして不協和を解消しているわけです。
いずれにせよ、顕示的消費は認知的不協和理論が関わる現象ではないことがわかりますね。
よって、選択肢①が認知的不協和理論が関わる現象として不適切と判断でき、こちらを選択することになります。