本問では「社会的排斥」を含む理論について選択を求められています。
実際に必要なのは、社会心理学における代表的な理論に関する理解です。
試験としては初出の理論もいくつかありますが、古くから示されている代表的な理論ばかりですから覚えておきたいところです。
問87 社会的排斥の原因を説明する理論として、最も適切なものを1つ選べ。
① 衡平理論
② バランス理論
③ 社会的交換理論
④ 社会的インパクト理論
⑤ 社会的アイデンティティ理論
解答のポイント
社会心理学の代表的な理論について把握している。
選択肢の解説
まず本問の前提となる「社会的排斥」についてです。
意味はそのままですが、他者や集団から受容されないことであり、さまざまな形をとって現れます。
受容の要求の拒絶や受容されていた関係性からの追放、無視や無関心、非難やいじめなども排斥の一形態です。
また、孤独は客観的な排斥の有無にかかわらず、心理的に排斥感を覚えることであり、これも排斥の一形態として取り上げられることもあります。
人は所属への欲求をもっており、排斥はこの欲求を脅かします。
そのため、排斥は行動、情動、思考において即時的な反応をもたらし、長期的には健康や適応にネガティブな影響を及ぼします。
その即時的な反応のうち、最も優勢なものが痛みの感覚であり、この感覚と関連する生理的システムは、身体的痛みの生理的システムと多くの点で類似することが指摘されています。
本問では、こうした「社会的排斥」の発生機序を含んでいる理論を選択することが求められています。
もちろん、どのような理論であっても、見ようによっては「社会的排斥」につながるような動機が生じると見なすことができますが、本問では明確にその理論に「社会的排斥」が生じるメカニズムを含んでいるものを選択すべきであると捉えて解いていきます。
以下では、各選択肢に挙げられている理論について詳しく解説していきましょう。
① 衡平理論
Adamsが提唱した、人が協同する活動において、衡平な利益配分をどのように考え、行動するかに関する理論で、公平理論とも表記することがあります(公認心理師試験では一貫して「衡平理論」と表記していますから、こちらで覚えておけば良いでしょうが、調べるときに混乱しないようにしましょう)。
衡平理論では、人は自己の投入に見合う結果を得ることを前提とし、自己と比較他者の投入と結果の比率を比較して比率が等しい場合を衡平、等しくない場合を不衡平とします。
不衡平の程度が大きいほど、不衡平の解消が動機づけられると仮定します。
平たく言えば、人は自分の仕事量に見合うだけの報酬が欲しいと願っており、自身の仕事量と結果の比率が合わないと不快になるので、それを解消しようとするということになりますね。
不衡平には「不足(報酬が少ない)」と「もらいすぎ(過大報酬)」があるとされ、その解消には以下の方略が示されています。
- 自己の投入を変える:努力量の増大や低下
- 自己の結果を変える:報酬のカットや返却、昇給の要請
- 自己の投入や結果を認知的に歪曲する
- 不快な比較を避け、その場を去る
- 比較他者の投入と結果の比を変える:他者に対して、より多くor少ない努力を要請
- 自己の投入と結果の比と等しい他者を比較の相手に選ぶ
衡平理論は、報酬の分配にとどまらず、投入と結果にさまざまな要因をあてはめることによって、援助行動、親密な他者との魅力関係など多様な人間行動を説明できます。
批判される点としては、投入と結果について何を数値化するのか明確になっていないことや、交換関係における相互作用的視点が欠けていることなどです。
余談ですが、カウンセラーの報酬に関して、衡平理論を実感する時があります。
例えば、まだ未熟なカウンセラーがスクールカウンセラーに応募する場合は、時給の高さにしり込みしたり、自分の無価値観を強く認識してしまうこと(こんなにお金をもらっているのに、何もしていない等)も多く、結局は辞めてしまうこと(上記で言う4に該当する結果ですね)も多いです。
一方、自己愛が強い人などは、常に他者評価に不満をもっていますから、必ず不衡平を感じることになりそうです(その結果、周囲に対して恨みを向けるという事例も見ますね)。
上記の通り、衡平理論は社会的排斥をその理論の中に含んでいるわけではありません。
よって、選択肢①は不適切と判断できます。
② バランス理論
認知的斉合性理論(人間の身体には不均衡状態が発生すると、自発的に均衡状態を回復しようとする機能(恒常性)が備わっている。人間の認知システムにもこのような恒常性が備わっていると考える理論のこと)の1つで、Heiderが提唱したのがバランス理論です(フェスティンガーの認知的不協和理論も認知的斉合性理論の一つです)。
臨床心理士資格試験に何度も出ていますし、公認心理師試験でも出るだろうと思っていましたが、ようやく出題されましたね。
バランス理論はX-O-P理論とも呼ばれ「対象人物もしくは知覚者(P)‐特定他者(O)‐態度対象(X)」の三者関係の斉一性を考えており、他者存在が態度形成に関与する可能性を指摘しています。
上記で言う「三者関係」とは、P‐O、P‐X、O‐Xの関係を指し、肯定評価(+)と否定評価(-)を表す情緒関係と、所有(所属)を表すユニット関係を想定しています。
図で示すと以下のようになります。
この理論は、人は単純で一貫した意味ある社会関係に動機づけられており、三者関係がゲシュタルト心理学的に斉合した均衡状態を志向すると考えます。
情緒関係での均衡は、特定人物が肯定的関係にある他者と態度対象に対し合意する場合、もしくは否定的関係にある他者と態度対象に対し、合意しない場合に達成され、否定的関係が0か2になります。
不均衡状態は、否定的関係が1または3になることで生じます。
不均衡状態になれば不快感が生じるため、人はこの不快を解消するように動機づけられ、最小努力で均衡が実現するように行動するわけです。
上記は理論的に書いてありますが(試験ではこういう出方をするので、こうした表現にも慣れ、覚えておかねばならない)、単純に言えば以下のようになります。
上記の図にある通り、自分と恋人と煙草の関係で考えていきましょう。
自分と恋人の関係が肯定的(+)であり、その両者が煙草に対して肯定的(+)もしくは否定的(-)であれば、その関係は均衡(バランス)状態であるため、不快感は生じないため、この三者関係を変えようとする力は働きません(上記の「否定的関係が0か2」というのは、-の数の話です)。
逆に、自分と恋人の関係が否定的(-)の時に、互いが煙草に対して肯定的(+)もしくは否定的(-)であると、「嫌いな人と煙草に対する情緒態度が同じ」という気持ちが悪い状態になる、すなわち不均衡(アンバランス)になるので、態度が変えようとする力が働くということですね(煙草が好きなら嫌いになり、嫌いなら好きになって吸い始めるとか)。
他にも、自分と恋人との関係が肯定的(+)で、自分は煙草が嫌いなのに(つまり、P-Xが否定的(-)である)、恋人が煙草を吸っている場合(つまり、O-Xの関係が肯定的(+)である場合)、不均衡状態が生じて気持ち悪くなります。
こういう時に起こるのが「痘痕も靨(好きな人のあばたは、えくぼに見える)」と呼ばれる現象で、単純に言えば、それまで自分が嫌いだった煙草に対して認識が変わって好きになるということです(これが上記の「最小努力で均衡が実現するように行動する」ということの意味です)。
単純に言えば、三者の+と-をすべて掛け合わせて、+になればバランス状態、-になればアンバランス状態なので変えようとする力が働くということです。
上記の通り、バランス理論は社会的排斥をその理論の中に含んでいるわけではありません。
よって、選択肢②は不適切と判断できます。
③ 社会的交換理論
こちらも意外にも初出の概念ですね。
人々の社会行動を交換という観点から分析・理解しようとする理論的立場です。
様々な対人相互作用のやりとりを、経済交換になぞらえて理解するものです。
その一方、経済交換とは異なり社会的に交換される資源は、有形の財だけでなく、愛情、尊敬、情報などの無形の資源も含んでいるとされます。
このような多様な資源の交換による人々の満足の程度(効用)は、経済交換の場合と同様、費用と便益の差によって決定されると考えられており、人々は交換を通じて満足度を最大化しようとすると仮定されています。
社会的交換理論の代表的なものがHomansの理論です。
ホーマンズは、社会行動を最低二者の間でなされる有形、無形の報酬あるいはコストとなる活動の交換と捉え、社会行動の基本形態の分析を行いました。
そして、経済学のアナロジーから、報酬とコストの差を利潤と考え、交換関係にある二者は、相互のコストに見合った報酬と期待すると考えました。
この期待が破られたときに、怒りが生じるとされています。
この考えは交換理論の原典とされ、衡平理論にも影響を与えています。
また、Thibaut&Kelleyは、対人関係の本質は相互作用にあるとして、二者間の社会的相互作用の分析を行い、相互作用の結果を報酬とコストの観点から理論化しています。
「報酬」とは他者と相互作用を行った結果として生ずる満足や喜びを指し、「コスト」とは二者間の相互作用を抑制する要因を指します。
ここでは、交換を有形の価値の交換としてではなく、むしろ一つの行動パターンとして解釈しています。
このシボー&ケリーの考えは、交渉や取引などの社会心理学の研究にも大きな影響を与えています。
このほかにも、Blauは、交換過程とその歪みとしての権力や官僚制の問題について分析を行っています。
ブラウは、社会構造を理解するためには、個人や集団の関係を支配している社会的交換と社会諸過程についての視点が不可欠と考えています。
このように、社会的交換理論に基づく研究の例としては、交換における返報性規範の役割や、交換される資源の性質、交換ネットワークの構造とそこから発生する権力などに着目した研究が挙げられます。
また、選択肢①にある衡平理論も、社会的交換の結果に対する人々の満足・不満足のパターンの分析から導かれました。
この社会的交換理論は、多くの「経済活動」に慣れた人にとっては馴染みやすいものかもしれません。
しかし、この理論の前提になっているのは「経済」の考え方であるため、人間関係のあらゆる場面に適用できるわけではないことも知っておく必要があります。
そもそも「経済」における「交換」では、「買い手が品物の価値を理解して貨幣と品物を交換している」わけですよね(価値がわからないものにお金は出さないですよね、ふつうは)。
この「買い手が品物の価値を理解している」という点がミソで、人間関係の中には「受け手がその受け取るものの価値を理解せずに受け取ることが必要な事態」が多くあるのです。
「受け手が受け取るものの価値を理解せずに受け取る」という状況の代表的なものは教育です。
教育では、児童生徒学生は「自分が受けている教育の価値を理解できないまま受け取っている」ことが前提です。
ですから、よく言う「なぜ学校に行かなきゃならないの?」という質問に対して、児童生徒学生が納得できるような答えを示すのは「原理的に不可能」なのです。
それは、その教育を受け取っている児童生徒学生は、その時点において自分の受け取っているものの価値を測るだけの「精神的成熟」が未だなされていないというのが前提だからです。
大人になって「勉強しておけばよかった」と思うのは、そういった教育の価値を理解できるだけの精神的成熟が生じてきた証拠ですが、これを子どもの内に気づくのは不可能ということですね。
近年、学校臨床において学校に行く意味を、「単純に」「経済を念頭に置いて」「利益があるように」説明する支援者が増えて困っています。
これは、「経済」の考え方に慣れた大人が、本来は「経済」の観点で語るべきでないテーマをそうとわからずに語ってしまうことで生じる問題だと思っています。
社会的交換理論自体は有用な理論ですし、しっかりと把握しておくことが求められますが、あくまでも「経済」の考え方を前提とした理論であることを理解しておくことが重要ですね。
上記の通り、社会的交換理論は社会的排斥をその理論の中に含んでいるわけではありません。
よって、選択肢③は不適切と判断できます。
④ 社会的インパクト理論
他者の存在が、個人の遂行行動(認知・感情・生理的変化を伴う)に与える影響を定式化しようとする考え方です。
要するに、人が人に影響を与える力を定式化した理論ということですね。
Latanéは、援助行動の抑制や社会的手抜きを含む広範な現象を、この理論で説明しようとしました。
個人が受ける社会的インパクトは、影響源である他者の強度(地位や社会的勢力)、他者との直接性(時間的、空間的な接近)、他者の人数の相乗関数として定義されます(定式は以下の通り)。
Imp=f(S×I×N) Imp:社会的影響力(Impact) S:影響源の強度(Strength) I:直接性(Immediacy) N:影響源の数(Number) f:関数(function) |
また、影響源となる他者の人数だけが増加した場合、個人が受ける社会的インパクトは、複合されて大きくなります。
大勢の人の前であがってしまい、スピーチや演技ができなくなる場合がこれに該当します。
一方、影響源である他者は一人で、これを受ける個人の人数が増加すれば、社会的インパクトは分散し、小さくなります。
緊急の援助が必要な他者に対して、責任の分散が起き、援助が抑制されるのはこのためとされています(Latané&Darleyの緊急事態での介入に関するモデルと関連する。公認心理師2018追加-85で出題されている)。
上記の通り、社会的インパクト理論は社会的排斥をその理論の中に含んでいるわけではありません。
よって、選択肢④は不適切と判断できます。
⑤ 社会的アイデンティティ理論
集団間葛藤の生起過程を説明するため、Tajfel&Turnerによって提唱された理論です。
人がもつ自己概念のうち、特定の集団や社会的カテゴリーに所属しているという認知と、それに伴う正負の評価・感情が複合したものを「社会的アイデンティティ」と呼びます。
人は一般に明確な自己同一性(アイデンティティ)を確立し、他者との比較を通して望ましい自己評価を行うように動機づけられていると考え、これは社会的アイデンティティでも同様です。
ところが、内集団(人種、性別、職業などの社会的カテゴリーも含む)における自己の所属性が強く意識される場面では、内集団・外集団間の境界を明確にし、前者を後者よりも高く評価することによって、この動機を満たすことができます。
それは、一般に人には自己評価高揚の動機づけがあり、自己と強く同一視する内集団が存在する状況では、集団間社会的比較に基づく内集団評価の高揚が起こるためとされています。
こうした正の社会的アイデンティティの希求という過程によって、集団間社会的比較過程が集団間の差別や内集団びいきを引き起こし、集団間の偏見・葛藤へと至ると説明されています。
さらにターナーは自己カテゴリー化理論を提唱し、自己と内集団の同一視という過程について、より認知的な観点から体系的説明を試みています。
また、低地位集団などに付与される負の社会的アイデンティティや、他の内集団成員の行為に対して経験する集合的罪悪感などについても、集団同一視の役割が明らかにされています。
社会的アイデンティティ理論は、集団間行動を個人内の認知的・動機的概念(ここではアイデンティティ)によってとらえた点が特徴的で、集団間の実際的利害の対立といった構造的要因によって説明を試みた他の理論と対比をなしています。
以上のように、社会的アイデンティティ理論では、差別や内集団びいきといった社会的排斥の原因を説明した理論であると言えますね。
よって、選択肢⑤が適切と判断できます。