事例に生じている認知の特徴を選択する問題です。
近年はあまり「認知の歪み」と表現しませんね(確かに実践で使いにくい言葉ではありますね)。
問151 45歳の女性A、介護職員。腰痛と足のしびれのため、総合病院の整形外科に通院している。Aは、2年前に腰椎椎間板ヘルニアと診断された。それ以来、鎮痛剤の処方や理学療法、神経ブロックなどを受けている。MRI検査でヘルニアの所見は、半年前から認められていないが、痛みなどは改善していない。そのため、担当医から院内の公認心理師Bに心理面接が依頼された。AはBとの面接に訪れ、「痛みのことが頭から離れず、自分ではどうしようもない。症状は酷くなる一方で、ヘルニアが治るとは思えない」と述べた。最近は、夜眠れないことが多く、介護の仕事を休むことも増えている。
Aの認知面の特徴として、最も適切なものを1つ選べ。
① 破局的思考
② 自己関連づけ
③ 感情的理由づけ
④ 正常性バイアス
解答のポイント
認知の特徴に関する概念(バイアスなど)を把握している。
選択肢の解説
① 破局的思考
③ 感情的理由づけ
本問では、事例の「痛みのことが頭から離れず、自分ではどうしようもない。症状は酷くなる一方で、ヘルニアが治るとは思えない」という表現と、最近は、夜眠れないことが多く、介護の仕事を休むことも増えているという状況を説明する認知面の特徴を選択する必要があります。
ポイントなのが、本事例では「2年前に腰椎椎間板ヘルニアと診断された。それ以来、鎮痛剤の処方や理学療法、神経ブロックなどを受けている。MRI検査でヘルニアの所見は、半年前から認められていないが、痛みなどは改善していない」という状況因があることです。
通常、痛みがあったとしても回復に向かえば問題が無いことが多いのですが、痛みが起きた後に不安や恐怖を与えるような情報が入ってきてしまうと「痛みの破局的思考」が起こることがあります。
痛みに関する破局的思考では、反芻(痛みのことばかり考えてしまう)、拡大視(痛みが自分の中でどんどん大きくなっていったり、痛みの部位が増える)、無力感(やる気がなくなる)の3つの要素から成り立っています。
痛みの経験中に破局的思考を多数報告する人は、それが少ない人よりも痛みが強いと評価する可能性が高くなります。
それによって、痛みに対する警戒心や回避行動が起きます。
例えば、起きると痛くなるような症状があると、痛みを回避するためにずっと寝たきりになってしまい、それによって筋力が低下したり、うつ状態になってしまい、このような状態になると元々の痛みがどんどん修飾されて強くなってしまったりします。
この破局的思考を食い止めるには、痛くても痛くない範囲で動くことや、痛みを分析して対処することでうまく付き合っていくことが重要になります。
本問は「感情的理由づけ」と迷うところがあります。
感情的理由づけとは、自分の気分の良し悪しによってものごとを判断したり、自分の感情が事実を裏付ける証拠であると考えてしまうことを指します。
「話していると不快になるから、あいつは嫌な人間に違いない」「やってもムダだからやらない」「不安だから、できずはずがない」「いま希望が持てないから、将来も良いことが無いだろう」などの形で現れるパターンを指します。
要するに、論理を無視して感情的な理由に偏って判断する癖のことをいいます。
事例の「痛みのことが頭から離れず、自分ではどうしようもない。症状は酷くなる一方で、ヘルニアが治るとは思えない」という表現は、こうした「感情的理由づけ」で説明できなくはないように見えますが、やはりポイントとなるのは、事例には椎間板ヘルニアという背景があることです。
状況を踏まえると、椎間板ヘルニアとそれに伴う痛みと不安等とのつながりによって痛みの破局的思考が起こっていると考えられ、それにより実際よりも強く痛みが感じられたり(この点については諸説あり。つまり、実際に痛いという可能性も否定できないから)、拡大視や無力感も大きくなっていることがわかります。
以上より、選択肢③は不適切と判断でき、選択肢①が適切と判断できます。
② 自己関連づけ
自己関連づけとは、問題が生じたとき、特に根拠がなくても「自分の責任だ」「自分のせいだ」と考えてしまう認知の特徴のことを指します。
小さい子どもは、目の前で起こった出来事の過失割合を適切に把握する能力を有していないため、それを自分と関連付けて処理する癖があります。
これは虐待を受けて育った子どもが「殴られるのは自分のせい」「自分が悪い子だから」と理由づけられるなどの状況で確認でき、その後の成長で表面的には他罰的な姿に見えたとしても、本質としてはそうした自罰的な状況への対処として他罰になっていると考えられる場合も多いです。
「それならば、誰のせいにもせず保留にしておけばいいじゃないか」という考えもあるでしょうが、出来事についてどこかに帰属させずに保留にしておくには「それなりの自我強度」が求められ、これを子ども時代から実践するには身近にいる重要な他者の支えが必須です(そして、近年の大人は、むしろ大人の方が積極的に何かしらに帰属させたがり、子どもに他罰的な帰属を教え込んでいることも多い。大人が「それなりの自我強度」を備えていないのでしょう)。
要するに、子どもは目の前の出来事を「何かに帰属させる」方がラクであり、その帰属先は子どもが外界を適切に認識できていないほど(つまり幼いほど)「自分」になることが多くなります。
こうした特徴が、いわゆる「自己関連づけ」の基底にあるものではないかと思います(その辺は諸説あるでしょうが)。
こうした「自己関連づけ」を適切にしていくには、出来事についての過失割合を踏まえた関わりをしていくことだろうと思います。
過剰に多く引き受けることも、過小になってしまうこともないように関わることが重要であり、こうした関わりができる大人に囲まれているほど、人は成長過程の中で適切な「自己関連づけ」をできるようになっていくと思われます。
なお、カウンセラーのトレーニングの中で「関係妄想的に考える」ということがあり得るのですが、これはクライエントに起こった事態を「カウンセラーと関連付けて意味づけてみる」という試みです。
これをすることで、カウンセラーの一挙手一投足に何かしらの意味が付与され得るという自覚を強め、あらゆる言動が「クライエントへのメッセージになり得る」という当たり前の事実と、それをコントロールする力量が育ってくることでしょう。
個人的にはこういうトレーニングを他者にも勧めるのですが、どうやらこういう考え方で自身を鍛えていこうという人は少ないんだなぁと感じています。
以上のように、自己関連づけとは、問題が生じたとき、特に根拠がなくても「自分の責任だ」「自分のせいだ」と考えてしまう認知の特徴のことです。
事例の「痛みのことが頭から離れず、自分ではどうしようもない。症状は酷くなる一方で、ヘルニアが治るとは思えない」という表現と、最近は、夜眠れないことが多く、介護の仕事を休むことも増えているという状況を説明する認知面の特徴とは異なることがわかりますね。
よって、選択肢②は不適切と判断できます。
④ 正常性バイアス
バイアスとは「偏り」「偏見」「先入観」などを意味し、認識の歪みや偏りを表現する言葉として使われます。
そう言われると否定的な感じを受けますが、バイアスによって脳が処理する情報量を圧縮して素早い意思決定を行うことができるというメリットがあります。
例えば、目の前の男性を評価する際、その人の人となりや細かい情報を吟味していては大変なので、もともと備えている「男性とはどんな存在か」という「偏り」を利用することで、そうした処理を省いて、目の前の男性が「こんな人だよね」と評価しているということです。
もちろん、それによって目の前の男性の本質的な特徴を見落とすリスクが高まりますし、こうした「人や物事を単純化することで本質的な特性・性質を見逃してしまう」ということがバイアスのデメリットと言えるでしょう。
そういう意味では「ステレオタイプ」と同じですが、「バイアス」の場合はステレオタイプのような多くの人に浸透している固定観念やイメージ(例:インド人はカレーが好き)に、評価・感情・態度・行動(例:インド人はカレーしか食わん、カレー嫌いのインド人は変など)がくっついています。
上記を踏まえ、ここでは各バイアスについてまとめて述べていくことにしましょう。
- 自己中心性バイアス:
自分の内部で起きている経験、自分の過去の体験、自分の視点から見た空間的位置、それに伴う注意やリソースの配分のあり方・量などのような、自分しか持ち得ない情報に強く規定された知覚や理解をしてしまうこと。
具体的には「自分だけが知っている情報」に左右されて、他者の感情の強さを歪めて判断してしまうことであり、例えば、夫婦の家事分担について互いの全ての行動を把握できていないのに自分ばかりが頑張っていると思ってしまったり、高い服を着ているときに周りから注目されていると感じてしまうなど。 - インパクト・バイアス:
ある出来事が起きたときのことを想像して、出来事が起きた後のことを実際よりもずっと良く、あるいはずっと悪く予測すること。
提唱者のGilbertは、この現象を「人間がトラウマ的な出来事に遭遇した際に、心を守るために心理的免疫システム(人間が幸福感を自ら想像したり、作り出したりすることができる能力)が働く」と主張した。
つまり「良い出来事を想像して考えた幸福の度合い」は実際にそのシチュエーションになったときの幸福度よりも大きく予想され、反対に「悪い出来事を想像して考えた不幸の度合い」も実際にそのシチュエーションになったときの不幸度よりも大きく予想されている。 - 行為者‐観察者バイアス:
根本的な帰属の誤りの延長とされ、他者の行動については気質要因を過大評価することに加えて、自分の行動の気質要因を過小評価し、状況要因を過大評価する傾向を指す。
たとえば勉強する学生は、状況要因(「試験が近づいている」など)を中心に行動を解釈し、自分以外の学生たちについては気質要因(「野心的で勤勉」など)を中心に解釈している。 - 利用可能性(可用性)バイアス:
日ごろ接している情報や目立つ出来事を過大視する傾向。
車よりも飛行機を敬遠するのは、飛行機事故が大きく発信されるため。
車の方が危険なのに。 - 確証バイアス:
ある考えや仮説を検証する場合、その仮説に合致する情報を選択的に認知したり、重要と判断する傾向。
いったんある決断をおこなってしまうと、その後に得られた情報を決断した内容に有利に解釈する傾向をさす。
見た夢を正夢だと思い込むことなど。 - 内集団バイアス:
ある集団を恣意的に定義して、その集団が多くの点で他の集団より多様で「良い」と評価することを指す。 - 後知恵バイアス:
出来事が起きた後で、そのことは前もってわかっていたはずだと考え、当時の情報を過大に評価することを指す。
過去の事象を全て予測可能であったかのように見る傾向。 - 正常性バイアス:
自分にとって都合の悪い事実や情報を過小評価する傾向。
避難命令が出ているのに避難しない人たち。 - 現状維持バイアス:
現在の状況より好転すると分かっていても、未知のものや変化を避け現状維持を選ぶことを指す。
このバイアスは「損失や失敗を回避したい」という心理から生じるとされている。現状を変化させることはメリットもあるだろうが、デメリットが生じる可能性も捨てきれず、そうなるとデメリットを回避したいあまり現状維持を選択する…ということ。 - 自己奉仕バイアス:
達成課題における成功や失敗など自己評価に直接結びつくような事態では、自分に都合が良いように因果関係の認知が歪められやすい。
他者から非難されそうな行為、自分にとって不都合な結果は、その原因を外部要因に求めて自尊心の低下を防ぐのに対し(これを自己防衛的帰属と呼ぶ)、他者から賞賛されるような行為、自分にとって都合の良い結果が生じた際には、それを自分自身に帰して(これを自己高揚的帰属と呼ぶ)自尊心を高めようとする。
この「自己防衛的帰属」と「自己高揚的帰属」を合わせて「自己奉仕的バイアス」と呼ぶ。 - 敵意帰属バイアス:
行動が曖昧または良性であっても、他人の行動を敵意を持っていると解釈する傾向。
向こうで同級生がひそひそ話をしている時に、自分の悪口を言っていると思い込むなどと言う形で観察される。
研究によると敵意帰属バイアスと攻撃行動には関連性があり、他人の行動を敵対的であると解釈する可能性が高い人は、攻撃的な行動をとる可能性も高くなっている。仲間から拒絶された経験のある子どもは敵意帰属バイアスを持ち合わせている可能性が比較的に高い、敵意帰属バイアスのある母親の子どもは攻撃的になる傾向がある、などが指摘されている。
上記のように様々なバイアスがありますが、本選択肢の「正常性バイアス」とは、自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりするという認知の特性を指します。
自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「前例がない」「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして逃げ遅れの原因となるとされています。
阪神淡路大震災のときに、倒壊している橋や建物のそばをいつも通りスーツを着て出社しているサラリーマンがいたそうですが、そういう感じですね。
事例の「痛みのことが頭から離れず、自分ではどうしようもない。症状は酷くなる一方で、ヘルニアが治るとは思えない」という表現と、最近は、夜眠れないことが多く、介護の仕事を休むことも増えているという状況を説明する認知面の特徴とは異なることがわかりますね。
むしろ逆の反応という感じがします。
よって、選択肢④は不適切と判断できます。