公認心理師 2020-58

 本問では「公認心理師を養成するための実習で~」という状況の指定はありますが、解くために必要なのは「カウンセリングで起こる種々の出来事をどう捉え、対応するか」というより広範な理解だと思います。

こうした公認心理師養成に関する問題は初出ですね。

初心者に起こりそうな問題も含めて述べていきましょう。

問58 公認心理師を養成するための実習で学ぶ際に重視すべき事項として、適切なものを2つ選べ。

① 自らの訓練や経験の範囲を超えたクライエントも積極的に引き受けるようにする。

② 実習で実際のクライエントに援助を提供する場合には、スーパービジョンを受ける。

③ 実習で担当したクライエントに魅力を感じた場合には、それを認識して対処するように努める。

④ 業務に関する理解や書類作成の方法を学ぶことよりも、クライエントへの援助技法の習得に集中する。

⑤ クライエントとのラポール形成が重要であるため、多職種との連携や地域の援助資源の活用に注目することは控える。

解答のポイント

公認心理師という立場、心理支援に関する基本的な作法について理解していること。

選択肢の解説

① 自らの訓練や経験の範囲を超えたクライエントも積極的に引き受けるようにする。

本選択肢は「適切とは言えない」という答えになるにはなるのですが、「訓練や経験の範囲を超えるから引き受けちゃダメなんだよね」という簡単な割り切り方をしてはいけません。

もちろん、カウンセリングを行うにあたり、自身の限界をしっかりと認識し、それを踏まえてクライエントを引き受けないというのもプロフェッショナルの姿の一つでしょう。

カウンセラーが自分の力を見誤り、自分の力を大きく超えるようなクライエントを引き受けることで、破滅的な結果を招くことだってあり得ます。

だからこそ、あらかじめ様々な制約がカウンセラーには課せられていて、その代表的なものが「治療構造」と呼ばれるものですね。

一方で、自分の限界を拡げ、それまで担当できなかったクライエントも引き受けることができるように成長しようとすることもまた、プロフェッショナルに必要な姿です。

ちなみに、私は「昨日の自分よりも優れた自分であろうとすること」がプロフェッショナルの資質だと思っています。

単なるカウンセリングの技術で言えば、その辺のおっちゃんやおばちゃんでも上手な人はいると思います。

ですが、そういう「優れた素人」には、カウンセリングの技術や知識を高めなければならないという意欲はありません。

一方、プロフェッショナルは、それほどカウンセリングの技術や知識に優れていなくても、それを高めようとする意欲を持ち合わせているはずですし、だからこそ少しずつできなかったことができるようになるわけです。

昔よく言われたのが「境界例を担当すると飛躍的にカウンセリングの腕が上がる」ということで、これは個人的経験に基づけば事実だと思います(「クライエントに育ててもらう」という言葉がありますが、これも同様です)。

境界例心性に関する説明は省きますが、カウンセラーとしての枠組みや限界を揺さぶってくるという関わりが生じたり、それによってカウンセラーが築いてきた自身の枠組みを再構築することが求められます。

それは苦しい体験ではありますが、人としての身の限界を受け容れたり、自身の持っていた枠組みの狭さを痛感してそれを拡大するという契機になるという面もあるわけです。

つまり、成長のためには「自分の訓練と経験の範囲でしか担当しません」という姿は、あまり良いことではないと思うのです。

自分の限界に線引きをしてその範囲でしか担当しないというスタンスでは、一定の範囲のクライエントにはそこそこの支援ができるけど、それ以外のクライエントには不得手であるという将来像が予測できます(つまり公認心理師養成で目指している「汎用性がある」姿にならないということ)。

また、実は「自分の訓練と経験の範囲をちょっと超えるようなクライエント」を担当することで、自分が今まで行っていた支援がブラッシュアップされ、既存のクライエントに対してもより良い支援の提供が可能になっていきます。

ここで一つの疑問が生じると思います。

それは「成長のために自分の限界付近のクライエントを担当することが大切なのはわかったけど、それをどうやって見極めるの?」ということです。

確かに本問のような「公認心理師を養成するための実習で学ぶ」という段階では、その見極めは困難だと言わざるを得ません。

一方、実習機関でカウンセリングを担当する場合、クライエントの見立てを行うことなく担当させることはあり得ません。

実習ですから、きちんとインテーカーが査定面接を実施し、その見立てをもってスタッフ間で協議を行い、実習生に担当が可能か否かを判断します。

実習生は、そこでの判断に従って担当するのが良いだろうと思います。

上記で「判断に従って」と述べましたが、実習生自身の意見をどう扱うかを考えてみましょう。

例えば、ある女性(別に男性でも良いんですけど)に、近所のお節介なおばちゃんがお見合いを勧めてきたとします。

その女性は、そのお見合い相手の条件(世に言うスペック?)を見て「私にこんな人を勧めるなんて失礼だ」と怒ったとしましょう。

ですが、大切なのは「あなた(女性)は社会的な目から見たらそのくらいの相手がちょうど良いんだよ」という見方もあるということです。

未熟な人のそれなりの割合で、自己評価と他者評価の間に開きがあります。

「自分の実力をどの程度と見積もるか」という自己評価は確かに大切かもしれませんが、自己評価が正しく機能するためにはそれなりのカウンセリング経験が必要になるので、経験豊かなスタッフや教員の判断(この実習生は担当できるか否かという判断=他者評価)も自己評価と同様かそれ以上に大切になってくるのは言うまでもありません。

「このクライエントは私の力を超えている」と自分で思ったとしても、実習を担当しているスタッフや教員が「あなたが担当してみて」と言うのであれば、その言葉を信じて担当してみれば良いと思うのです。

もちろん、自分が未熟であるという認識があるのであれば、そのクライエントと関わるためのあらゆる努力をすることは前提ですし、スタッフや教員もその努力を前提にして担当してもらうのです。

ただ、近年は他者評価が「担当できない」なのに、自己評価が「自分はできる」という状況が多いのではないかなと思ったりします。

その場合でも、経験豊かなスタッフや教員からの他者評価を、自分を見つめ直すために使えるかどうかで、その人の専門家としての成熟が大きく変わってくるだろう、などと思ったり。

いずれにせよ、自らの訓練や経験の範囲を超えたクライエントも「積極的に」引き受けるのは、クライエントによくない変化をもたらしかねないので控える方が良いでしょう。

一方で、自分の限界付近のクライエントを担当することは大切ですから、その判断には経験のあるスタッフや教員に任せるのが良かろうと思います。

その場合は、「積極的に」ではなく「恐る恐る」という感じになるでしょうね。

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

② 実習で実際のクライエントに援助を提供する場合には、スーパービジョンを受ける。

スーパービジョン自体は、初心者に限らず受けることが大切です(私は初心者の枠組みからは出ていると思いますが、それでも尊敬する先生のSVを受けていますよ)。

経験や持っている能力によって、その時々の課題というものがあり、それをSVを通してやり取りしていくことになります。

ただ、本選択肢は「実習で実際のクライエントに援助を提供する場合」とありますから、初心者が実習の中でクライエントにカウンセリングを行う場合を想定して解説していきましょう。

初心者がSVを受けることの価値は大きく分けて2つになるだろうと思います。

まずは、不安の軽減です。

初めてクライエントを担当するということは、多くの人にとって不安が伴うものだと思いますし、不安であることが自然です。

ただ、過剰な不安は支援を硬直化させ、クライエントに資する関わりができなくなる可能性もあります。

ですから、SVを受けるという経験者のサポートを得て、支援に悪影響を及ぼす不安を軽減していくことが必要なわけです。

もう一つの価値としては、必要な支援の方向性、クライエントの見立て、具体的な関わりなどについて、経験者からの助言をもらうということが挙げられます。

初心者はそれらの点で拙いところがあるのが前提ですから、スーパーバイザーの知識と技術を伝承していくという面がSVにはあるわけです。

もちろん、SVの機能としてバイジーの自己理解を進めていくという面もありますが、初心者のSV、しかも実習でクライエントに支援を行うような段階で言うと上記の2つが中心になることが多いように思います。

そして、本選択肢の内容はSVでも「ケース・スーパービジョン」になりますから、カウンセリングでのやり取りを踏まえたSVになるだろうと思いますし、自己理解についてもそのカウンセリング過程から見える範囲に留まるものになると言えます。

公認心理師でも臨床心理士でも、資格を持たずに臨床活動をしていた人が大学や大学院に入り直して実習を受けるということもありますね。

その場合であっても、SVは受けることが大切になります。

本人からすれば「自分は経験者だ」という思いはあるのでしょうが、臨床教育を受けずに実践をしていたり、SVを受けないまま実践に身を置いている期間が長いと、本人の気がつかないところで癖がついていたり、大切なことの価値を知らないまま通り過ぎていることがあります。

ある大学院に社会人入学してきたSC経験者がいましたが、面接の中で平気で別のクライエントの話題を出していたり、そのことを当たり前のように事例検討会で発表していました(それが守秘義務違反に該当するという自覚さえなかったわけですね)。

この人のSC活動を実際に見聞きしたときに、ある児童生徒が面接に来た際、その児童生徒の友達の話題を出したりすることで距離を縮めていた形跡がありました。

確かにそのようなことはSCの中では起こり得ることではありますが(もちろんカウンセラーから他の児童生徒の話はしないが、クライエントからされることはある)、それは臨床の基本から離れた行為であるという「自覚」は欠かせません。

基本から離れたことによって「何が得られ、何が失われるのか」という点について、しっかりと認識しながら実践するというのがプロフェッショナルの思考だと思います。

そういった臨床の大切な「基本」について、SVを通して伝えていくことも「経験を積んでいる初心者」に対して必要なことだと言えます。

このように本当の初心者であろうが、経験を積んでいる初心者であろうが、そして経験を積んだ中堅以上の臨床家であろうが、SVを受けることは大切になります。

特に本選択肢のような状況においては、SVは強く推奨されるのが自然と言えますね。

よって、選択肢②は適切と判断できます。

③ 実習で担当したクライエントに魅力を感じた場合には、それを認識して対処するように努める。

サールズが述べたように、逆転移を用いてクライエントがカウンセラーに投げ込んできているものを理解し、そこからクライエントの内面への理解を深めるというアプローチは臨床実践において重要です。

しかし、本問は公認心理師の実習場面という状況設定ですから、もっと基本的なレベルでの解説が必要でしょう。

カウンセリングにおいてクライエントに魅力を感じるという場面は、それなりの経験をしている人ならば覚えがあることだろうと思います。

臨床に携わる者として大切なのが、そうした自分の感情が「どういう背景によって生じたのか」を理解することです。

そして、その自己理解を以って、改めてクライエントの見立てや支援に役立てていくという流れが一般的で真っ当なカウンセリングの流れと言えるでしょう。

例えば、カウンセラーのことをよく理解し、カウンセラーの望むような姿でクライエントがいるときに、当然カウンセラーはクライエントに対してプラスのイメージを抱きやすくなります。

ですが、このプラスのイメージを抱くという自分を俯瞰し、その理由が「クライエントがカウンセラーの望んだ姿でいるから」と認識したときに、クライエントの主訴にそのことが絡んでいないか考えてみることが大切です。

つまり、クライエントが実生活の中で、周囲の望む姿でいることによって無自覚のうちに自分の気持ちを抑え込み、それがさまざまな症状となって現われているのかもしれない…などのように考えてみるわけです。

その際に「間違いかもしれませんが、あなたに対して関わりやすく好ましいイメージを持っていた自分がいますが、それはあなたが私のペースに合わせているという面が少なからずあるのではないかと思ったのです。そして、そういうあなたのスタンスが、実はあなたの精神生活を狭くしているようなことが、現実場面で起こってはいないかという心配もあります」というような伝え方をするかもしれません。

もちろん、そこまではっきりと伝えずに、カウンセリングの中で「自分の好意を通して得た認識」をもって質問をしていくというやり方もあるでしょう。

同時に、カウンセラーとして「どうして従順な人に対して好ましく思うのだろう」という自らの在り様について理解を深めていくことも重要です。

勘違いする人が多いことですが、こういうことをするのは「そういう人に好意を抱かないようにするため」ではなく、「自分の好意を以って、クライエントの見立てや支援に役立てるため」です。

カウンセリング場面において、カウンセラーもその中の様々な現象を引き起こす大きな要因です。

カウンセラーは自らを歪みを自覚・理解し、その上で自分をカウンセリング状況の構成要素として見なし、そこで起こる様々な事態について理解を繰り返していくことが大切です。

そして、こういうマインドというのは、臨床教育の初期に身につけておく必要があると思います。

クライエントとのこういう関係に一度はまりこむとなかなか抜け出すのは困難なように見受けられますし、人は自分がしてきたことを肯定したいという欲求があるので、同じ状況を前に同じ過ちを繰り返してしまいます。

このマインドが欠落しているために、行っていることが支援でなくなっているカウンセラーを数多く見てきました。

クライエントに対する好意と、それに基づく行為は、客観的には支援の枠組みに納まっているように見えても、それは支援ではありません。

厄介なのが、そういう人ほど「自分はクライエントに対して適切なことをしている」と思い込んで離れないことです。

教育課程の初期において、クライエントに好意を抱くということ、その意味やプロとして行うべき手順をしっかりと理解し、支援に役立てていくというカウンセリングの作法を身に付けることが大切ですね。

以上より、選択肢③は適切と判断できます。

④ 業務に関する理解や書類作成の方法を学ぶことよりも、クライエントへの援助技法の習得に集中する。

かつての臨床現場には、一対一の面接だったり、ある特定のクライエントには良い支援を行うことができるけど、社会的な機能が十分ではないカウンセラーが沢山いたように思います(今もいるかはよく知らないし、自分が社会的に十分な機能を持っているかは不明です。先述の通り、自己評価はそんなにアテにならない)。

もちろん、色んな支援者がいることは悪いことではありませんし、確かに「そういう人にしかできないこと」ってあったようにも思います。

ですが、本問は「公認心理師」の試験問題です。

つまり、国家資格である公認心理師に求められることは何なのかを考えることが重要になります。

公認心理師法第2条に定められている公認心理師の業務は以下の通りです。

  1. 心理に関する支援を要する者の心理状態を観察し、その結果を分析すること。
  2. 心理に関する支援を要する者に対し、その心理に関する相談に応じ、助言、指導その他の援助を行うこと。
  3. 心理に関する支援を要する者の関係者に対し、その相談に応じ、助言、指導その他の援助を行うこと。
  4. 心の健康に関する知識の普及を図るための教育及び情報の提供を行うこと。

特に第3号はクライエントの関係者ですし、第4号は直接クライエントとは関係ない人たちも対象になってきます(そもそも第1条で「国民の心の健康の保持増進に寄与すること」とありますしね)。

更に、第42条では「公認心理師は、その業務を行うに当たっては、その担当する者に対し、保健医療、福祉、教育等が密接な連携の下で総合的かつ適切に提供されるよう、これらを提供する者その他の関係者等との連携を保たなければならない」とあるように、他領域の関係者とも関わることになります。

このように、公認心理師法で定められた条項を踏まえれば「カウンセリングさえできれば良い」という人材を輩出することを良しとしないのはわかると思います。

臨床力と併せて、国民やクライエント以外の要心理支援者、他職種の同僚に対してもアプローチできるだけの社会的な機能をしっかりと果たせることが大切です。

つまり、社会人として当たり前のこと、例えば、「自分が所属している組織における、公認心理師の立場」や「その組織で求められる社会的な機能」についてしっかりと理解しておくことが重要となり、それは本選択肢の「業務に関する理解や書類作成の方法を学ぶこと」であると言えます。

そしてこうした社会的な機能を果たすということは、実は臨床実践とも深く関わってきます。

特に組織の中で活動する場合、社会的な機能をしっかりと果たしているという姿は、他職種からの信頼を得るために欠かせないことであり、それがあることでクライエントの支援に組み込まれる可能性が高くなります。

もちろん、開業のカウンセラーであっても同じで、社会的な機能が杜撰な機関からはおのずとクライエントが離れていきます(クライエントはその辺は敏感です)。

ただ個人的にはマッドサイエンティストのようなカウンセラーが絶滅しつつあり、悲しい気持ちもありますが、時代の流れと言えばそうなのかもしれないです。

いずれにせよ、公認心理師に求められるのは単に「クライエントへの援助技法」だけではありません。

地域や組織の中で社会的な機能を果たしつつ、クライエントを含む多くの人たちの心理支援に資する活動をする必要があります。

以上より、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ クライエントとのラポール形成が重要であるため、多職種との連携や地域の援助資源の活用に注目することは控える。

これはそもそも選択肢の内容を読みこめば、滅茶苦茶なことが書いてあることがわかるはずです。

「クライエントとのラポール形成」のためには「多職種との連携や地域の援助資源の活用」が弊害になるということが書いてあるわけですが、そんなはずありませんよね。

例えば、クライエントの支援において、他職種との連携や地域資源の活用が必要であり、最もクライエントに役立つと見立てられるならば、そのことを情理を尽くして伝えることがカウンセラーとしての役割です。

むしろ、クライエントに外部機関とのやり取りが必要であると判断するに至った思路を伝えることは、クライエントとのラポールを深めることはあっても、その逆はあり得ません。

外部機関との連携を拒む場合でも、拒む背景を共有するよう努めること自体がカウンセリング過程であると言えます。

本選択肢の判断に、公認心理師法第42条の「公認心理師は、その業務を行うに当たっては、その担当する者に対し、保健医療、福祉、教育等が密接な連携の下で総合的かつ適切に提供されるよう、これらを提供する者その他の関係者等との連携を保たなければならない」という文言を使うこともできるでしょう。

しかし、本選択肢の解説として「公認心理師法に連携の条項があるから不適切」というのは誤っています。

そのような条項がなくても、本選択肢は不適切です。

本選択肢の背景にある「ラポール形成」と「外部機関との連携」とが両立できないというマインドに対してNoを突きつけることが、本選択肢の解説として最も正しいと私は考えます。

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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