公認心理師 2020-1

 延期され、ようやく実施された2020年度の公認心理師試験の第1問です。

問題文からは公認心理師法が連想されますが、解くために必要なのは治療構造や各臨床領域の基本的な枠組みです。

こういうことがきちんと身に付いていないと「マナーが悪い」「作法がなってない」という印象を与えかねないので注意しましょう。

問1 要支援者と公認心理師の関係について、適切なものを1つ選べ。

① 心理療法の面接時間は、要支援者のニーズに合わせてその都度変えるのが良い。

② 投薬が必要となり、精神科に紹介したケースも、必要であれば心理的支援を継続する。

③ 知らない人に対して気後れして話ができないという友人の母親のカウンセリングを引き受ける。

④大学附属の心理相談室で新規ケースのインテーク面接を行う場合、受理するかどうかは自分一人で決める。

⑤ 学校内で自殺者が出た場合の緊急介入時には、事実を伝えるのは亡くなった生徒と親しかった少数のみに限定するのが原則である。

解答のポイント

治療構造や各領域における基本的枠組みについて理解している。

選択肢の解説

① 心理療法の面接時間は、要支援者のニーズに合わせてその都度変えるのが良い。

心理療法の古くからの考えとして「治療構造」があります。

主に慶応大系(特に小此木先生ら)が中心になって拡大してきた考え方ですし、臨床実践にあたって欠かせないものですから、きちんと理解しておきたいところです。

代表的な治療構造として「時間・場所・料金」があります。

これらを一定にしておくことが重要とされています。

その理由を簡単に述べていきましょう。

まず本選択肢と係る「時間」についてです。

これは主に面接の長さ(1時間とか30分とか機関や手法、状況によってさまざま。基本は50分になるだろうと思います)を一定にするという場合と、面接の時間帯やスペーシング(○曜日の○時から、毎週や2週間に一回など)を指す場合が考えられます。

面接の長さを一定にする価値はクライエントによって様々ですが、一例を挙げていくと「面接終了予定時刻間近になると大切な話をし始める」という場合があります。

これをどう解釈するかはクライエントの背景によって変わってきますが、一つの考え方として、クライエントに見捨てられる不安があるのではないかという仮説が立てることが可能です。

「面接が終了する=一定期間ではあるがカウンセラーとの別れになる」ということですから、見捨てられるような不安が喚起されることもクライエントによってはあり得ます。

このように、予め限定された場を設定することで、その境目でクライエントの様々な反応が起こり、それをもとにクライエントの理解を深め、支援に繋げていくわけです。

また、場所についても考えてみましょう。

多くの人はあてがわれた場所でカウンセリングをしていることがほとんどだと思います。

私は幸運にも、とある機関の立ち上げメンバーとなり、面接室のカーペットの色から壁紙、調度品に至るまで自分で選択する機会を得ました。

このときに感じたのが「面接室に存在するものすべてがクライエントへのメッセージである」ということです。

そこに置いてあるもの一つひとつに意味があり、それがクライエントにどのような影響を及ぼすかも含めて「カウンセリング」なのです。

ころころと場所が変わることで、そうしたクライエントへのメッセージが届きにくくなったり、クライエントへの影響が読み取りにくくなってしまいます。

また、発達的な課題があったり対象恒常性が未成熟なクライエントの場合、カウンセラーだけでなくカウンセラーを含む環境自体を一定に保つことで安定的な関わりをしやすいだろうと考えられます(これについては必ずしも良いわけではない。カウンセリングでのみ安定して、それ以外の社会では安定しないという可能性も考えねばならないから)。

料金については「クライエントとの平等性を保つため」という考えが一般的でしょうし、概ね正しいだろうと思います。

カウンセリングという場は、言うまでもなくクライエントが支援を受け、カウンセラーが支援を行います(ただし、支援の基本は「ゆとりがある方が、ない方を支援する」です。カウンセラーに精神的なゆとりがないと、立場が逆転することもあるのでカウンセラーには一定以上のゆとり・安定が求められます)。

どうしても受ける側には「してもらっている」という事実に基づくあれこれの感情が生じてしまい、それによってカウンセラーに対して率直な伝え方がしにくくなってしまいます。

その辺の「してもらっている」という事実を、きちんとお金を支払ってもらうことで相殺するというのが料金を払う価値の一つと言えます。

とは言っても、平等という概念は有っても達成は困難ですから、お金を払っているから平等だ、などと短絡的に考えない程度の思慮深さは欲しいところです。

ここまでざっと治療構造のうち「時間・場所・料金」について説明していきましたが、これらは治療構造のほんの一端にすぎません。

上記を「外枠」とするならば、他にも「カウンセラーとしての限界」などのような「内枠」とも言うべき治療構造もあります。

どこまで受け容れられるかはカウンセラーによって異なりますから、この辺に関しては一概に語れるものではありませんが、外枠と同じである程度安定していることが大切ですね。

他にも思い浮かぶ治療構造の全般的な価値として、「いつも同じなものを多く作っておくことによって、クライエントの変化が起こった要因を絞りやすい」ということも挙げられます。

これは実験心理学をやっている人には理解しやすい考え方でしょう。

クライエントに影響を及ぼす要因を少なくしておくこと、つまりは統制しておくことで、クライエントの変化が何によって生じたかを推定しやすくするわけですね。

最後に大切なことを一つ。

我流で心理支援を行っている人にまま見るのですが、こうした治療構造を軽視する、ひどいときは不適切なものと見なすという場合があります。

治療構造の本質は「神にならないようにするための重り」だと私は考えています。

カウンセラー自身が万能感を持たず、自分ができる範囲を理解した上で、その範囲の中でしっかりとクライエントを支援することが、クライエントが現実で生きていく未来のためには欠かせません。

治療構造というのは、そうした「人の身であることの限界」をわかりやすく顕在化したものであり、これを忌避するということは「神になろうという思い上がり」です。

この思い上がりを持つ人は支援をしているように見せて、実は自分のためにクライエントを利用しているのです。

もちろん、治療構造が絶対で破ってはいけないものであるということを言いたいのではありません。

多くの困難事例では、治療構造の変更を余儀なくされます。

先人たちの多くの事例報告ではその様子がしっかりと描かれています。

ここで大切なのは「自分がやっていることが治療構造の変更であるという自覚」であり、その自覚のもとに行われる支援であれば、それはクライエントに資するものが出てくると言えるでしょう(逆であれば、破滅的な結果を招くことになりますが)。

いずれにせよ、本選択肢のように面接時間をクライエントのニーズで変えるのは、かなり慎重でなければならないことがわかると思います。

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

② 投薬が必要となり、精神科に紹介したケースも、必要であれば心理的支援を継続する。

これは公認心理師法第42条をどう理解するかが大切な選択肢になっていますね。

公認心理師法第42条第1項および第2項は以下の通りです。

第1項:公認心理師は、その業務を行うに当たっては、その担当する者に対し、保健医療、福祉、教育等が密接な連携の下で総合的かつ適切に提供されるよう、これらを提供する者その他の関係者等との連携を保たなければならない。

第2項:公認心理師は、その業務を行うに当たって心理に関する支援を要する者に当該支援に係る主治の医師があるときは、その指示を受けなければならない。

これらの条項で示されているのは「他領域と連携して支援を行うこと」「主治医がいるときには指示を受けること」の2点です。

即ち、投薬が必要となり精神科に紹介した場合であっても、主治医と連携して心理的支援を続けることを妨げるものではないということですね。

更に「公認心理師法第42条第2項に係る主治の医師の指示に関する運用基準」についてもチェックしておきましょう。

そもそもこの運用基準自体は「本運用基準は、従前より行われている心理に関する支援の在り方を大きく変えることを想定したものではない」とされています。

精神科に紹介したからといって、これまでの支援の在り方を変えることを前提とするわけではないことがわかりますね。

指示を受ける内容は「要支援者の病態、治療内容及び治療方針について」「支援行為に当たっての留意点について」「直ちに主治の医師への連絡が必要となる状況について」が主なものになり、主治医への連絡はクライエントの許諾が必要になります(この事例ではその辺は自然とクリアされていると見なして良さそうですね)。

本選択肢には、きちんと「必要があれば」という文言が付されており、元々の治療関係の継続性が示唆されています。

それを踏まえれば、主治医と連携しつつ支援を継続することが望ましい対応であると言えますし、それを妨げる法規は存在していませんね。

ちなみに、他機関を紹介して自らの支援を終結する場合、その紹介状は「絶縁状」という意味を含むものになります(そのつもりがあるかどうかは関係がなく)。

その辺の機微も含めて、他機関の紹介を行うことが大切ですね。

以上より、選択肢②が適切と判断できます。

③ 知らない人に対して気後れして話ができないという友人の母親のカウンセリングを引き受ける。

本選択肢のテーマは「多重関係」ですね。

多重関係とは「専門家としての役割と別の役割を、意図的かつ明確に同時にあるいは継続的に持ち続けること」を指し、倫理に反する行為とみなされます。

状況によっては、公認心理師法第40条の信用失墜行為の禁止に抵触する可能性もあります。

公認心理師は、公認心理師の信用を傷つけるような行為をしてはならない。

よく多重関係が問題となるのは、クライエントとの性的関係(支援関係+性的関係)、ゼミの教え子にカウンセリングを行う(教員と教え子という関係+支援関係)、職務上の部下の家族をカウンセリングする(職務上の関係+支援関係)などでしょうか。

本選択肢の内容は、「友人の母親」というプライベートな関係と、「カウンセリングを引き受ける」という支援関係が重なっており、多重関係に該当する事態と言えます。

では、多重関係なぜ良くないとされているのかを考えてみましょう。

まずは、治療関係以外の関係性が治療関係に影響を与えることが第一でしょう。

外科医でも家族はなかなか切れるものではないと聞きます。

カウンセリングでも家族のカウンセリングが難しいのは、少し想像すればわかると思います。

不登校児の親御さんに助言はできても、その助言と同じことを不登校になったわが子にできるかと問われれば、なかなか困難であると言わざるを得ません。

それに多重関係は、たいていの場合「カウンセラーが自分の範囲を超えて支援している」という状況で生じるものです。

この辺は選択肢①でも述べたので省略しますね。

なお、本選択肢の「知らない人に対して気後れして話ができない」という主訴の内容は、正誤判断の考慮に入れる必要はありません。

この主訴はそれほど切迫していない状況を連想させますが、主訴の軽重によって多重関係の可否が決まることはありません。

以上より、選択肢③は不適切と判断できます。

④大学附属の心理相談室で新規ケースのインテーク面接を行う場合、受理するかどうかは自分一人で決める。

カウンセラーが所属する機関によって、クライエントを引き受けるかどうかの基準はさまざまですし、その決定権がどこにあるのかもいろいろでしょう。

ここでは大学附属の心理相談室という状況を考えてみましょう。

本選択肢の「大学附属の心理相談室」という表現からは、2通りの状況が想定されます。

一つは大学の学生相談室、もう一つは大学院生等のトレーニング機関も兼ねた相談室です。

大学の学生相談室では、所属している学生、教職員、保護者などが支援の対象となります。

また、臨床心理士養成大学院には必ず附属しているトレーニング機関も兼ねた相談室ですが、ここではたいていは地域の方の相談全般を受け付けていることが多いです(公認心理師でもこういう規定があるのかは不勉強なので把握しておりません…)。

いずれの場合であっても、新規ケースに対してインテーク面接を行う場合、受理するか否かを決めるのはカウンセラー個人ではありません。

私はある大学の学生相談室長を務めておりましたが、学生相談室の新規ケースがあり、それを受理するか否か判断する主体は室長である私にありました。

多くの場合は、相談員が面接に応じ、次の約束をしてから(つまり継続が決まった状態で)の報告ということになりますが、それでも責任の所在はその部署の責任者にあります。

もちろん、相談員が学生相談室という枠組みで対応できるか検討が必要な事例の場合は、その旨をクライエントに伝えて協議することになります。

トレーニング機関も兼ねた相談室の場合、教員や経験のあるカウンセラーがインテーク面接を行い、その内容をスタッフで協議して受理するか否かを決めます。

大学院生のトレーニング機関も兼ねている場合、このスタッフ間での協議は必須と言えます。

なぜなら、クライエントによっては担当を学生に任せることもあるので、それが可能か否かの判断を多面的に行うことが重要になってくるからです。

学生が担当するにしても、その他のカウンセラーが担当するにしても、こうした協議による決定という手順を踏むことになりますし、当然その決定の責任は所属長が引き受けることになります。

以上のように、どのような状況であっても「大学附属の心理相談室」という組織の中で、インテーク面接を経た受理の可否をカウンセラーが「自分一人で決める」ということはあってはならないことです。

これは組織に属するカウンセラーとして必要な認識であり、これを破るということは「自分の責任の範囲を超えた行為」であると言えますね。

以上より、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ 学校内で自殺者が出た場合の緊急介入時には、事実を伝えるのは亡くなった生徒と親しかった少数のみに限定するのが原則である。

本選択肢のような緊急介入時に行うべきことはたくさんありますが、「事実をどのように伝えるのか」ということに関して述べていきましょう。

学校でこうした事態が生じた場合、可能な限り早く保護者説明会や全校集会(クラス単位の場合もある)を開くことが重要になります。

生徒や保護者に対して「現時点でわかっている確認済みの事実」を明確に伝えることがその目的です。

それを行うことで「根拠のない噂が広がる」のを防ぐことができますし、状況によっては不穏な動き(例えば犯人探し等)を留めることも可能です。

特に本選択肢のように「学校内での自殺」の場合、自殺の理由に関してさまざまな憶測が飛び交うことが想定されます。

こうした動きを抑制する効果があるという点が、生徒や保護者に「確認済みの事実」を伝えることの価値と言えるでしょう。

生徒に伝える場合には、クラス単位で行う場合や全校集会で行う場合などがあります。

いずれにしても「確認済みの事実」を伝えることになりますが、この際に親しかった生徒等の様子を見ながら行ってもらうよう教職員に伝達することが重要です。

そして、その情報を教職員や支援にあたる専門家で共有し、必要な対応を考えていくことになります。

細かいことですが、全校集会では倒れることを防ぐために生徒は座らせておくなどの配慮が大切です。

この他にも、支援にあたるカウンセラーの紹介や、通夜・葬儀の日程を伝えることもあるでしょう。

ただし、これらは遺族の意向を聞くことも前提となっています。

遺族の意向だからといって物理的に不可能なことや虚偽の内容を伝えることまで受け入れる必要はありませんが、その心中を察しつつ対応することは言うまでもありません。

なお本選択肢のように「事実を伝えるのは亡くなった生徒と親しかった少数のみに限定する」ことの問題も述べておきましょう。

まずは、生徒と称される年齢の子どもたちに、そこまでの秘密を負わせるべきではないと考えられます。

その秘密の重さが本人たちの精神的負担になると思われます。

また、親しかった生徒はそれ以外の生徒から「そんなそぶりはなかったのか?」などと聞かれる可能性もあり、その都度、「知っているのに言わない」という負担をおわせることが予見されます。

これらからも、確認済みの事実を全体に伝えた上で、親しかった生徒たちへの支援を考えていくことが重要になります(もちろん、それ以外の生徒たちへの支援も)。

以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。

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