問2はスタッフへの対応に関する問題です。
連携に関する実践的な理解という感じでしょうか。
問2 統合失調症のデイケア利用者Aについてのケア会議で、スタッフBが「Aさんは気難しく、人の話を聞いていないので関わりが難しい」と発言した。Aには幻聴がある。
会議の中で、Bの発言に対する公認心理師の対応として、最も適切なものを1つ選べ。
①スタッフの交代を提案する。
②専門職に困難はつきものであると諭す。
③幻聴についてどの程度の知識があるかを質問する。
④どのような場面で関わりが困難と感じるかを質問する。
⑤関わりを拒否するような態度は正しくないことを指摘する。
ポイントは「会議の中で」という状況設定があることでしょう。
また、それ以前に、心理支援とはどのような立場なのか、支援はクライエントと会う以前から始まっているという認識が重要になりそうな問題です。
解答のポイント
社会人としての常識的作法、連携を通したクライエント支援に関する認識があること。
選択肢の解説
①スタッフの交代を提案する。
もちろんこの対応は不適切であることがわかると思います。
その理由をつらつらと挙げていきましょう。
まずは「スタッフの交代について発言できる権限は誰にあるのか?」ということに関する社会的な作法を備えていることが、公認心理師というよりも社会人として求められます。
デイケアのスタッフである公認心理師が、その責任者に該当するという可能性もあり得ないことはないのですが、そのような記述はとりあえず見当たりませんね。
責任者に該当しない場合、それがたとえ「提案」というレベルであっても、熟考に熟考を重ねた上でのものである必要があります。
さて、そうなるとこのケア会議内で話し合われた内容によって「スタッフBは交代を提案されるほどの問題を示したのか?」ということを検証していくことになります。
スタッフBの問題として考えられることは、デイケア利用者Aには幻聴があり、それが背景にあることによって「気難しく、人の話を聞いていないので関わりが難しい」ように見えるにも関わらず、それをAの個人的要因に帰属させている点です。
確かにやや専門性に欠ける認識の仕方ではありますが、少なくとも「交代を提案される」というレベルのものではないと考えるのが妥当でしょう。
無理解、未熟さといった、たとえ専門職であっても誰もが通る時期にも関わらず、それを理由に職場で配置転換をさせられるというのは、やや人情に欠けた対応と言わざるを得ません。
また、同僚を育て、育てられるというのも公認心理師に限らず大切な考えです。
連携を通してスタッフBが利用者Aに対して理解が深まるよう、ケア会議の場で対話をしていくことが専門家として大切になります。
オープンダイアローグではないですけど、自分の枠組みに沿わない人とは対話せず、排除するという姿勢は対人援助職の対応としては不適切と言えますね。
更に、他の選択肢でも言えることではありますが、本選択肢の内容を「ケア会議」という公的な場で発するということは、その援助の場を弾力性が失せたものにするでしょう。
利用者への無理解や誤った認識が、即支援者として不適切という烙印となり排除されるのであれば、そのケア会議の場に限らず、デイケア全体が支援者にとって苦痛の場になることでしょうし、それは利用者にとっても良いことではないでしょう。
加えて、デイケアという状況を踏まえて考えていくことも大切です。
デイケアは病院と社会復帰の中間地点に位置するものです。
幻聴があるAの様子を見て、スタッフBのような捉え方をする人も社会には居るでしょう。
社会ではそういった人を排除したり、事前に修正することは困難です。
よってデイケアでは、そういった人への対応も含めて体験し、共に考えるというA自身の社会適応の訓練と見なし関わっていくことも求められます。
ですから、本選択肢のように、利用者の本態から外れた理解をしたからといって、それを理由にデイケアの場から遠ざけるという対応は不適切と言わざるを得ないでしょう。
おそらくですが、こういった思想があるデイケアの利用者は、社会復帰が遠ざかる傾向があるのではないかと思います。
以上、様々な理由を述べましたが、選択肢①は不適切と判断することができます。
②専門職に困難はつきものであると諭す。
まず状況の予測から入りましょう。
本選択肢にあるように「困難はつきもの」と伝えたくなったということは、スタッフBの発言する様子が「困難を感じていたように見えた」と考えられます。
すなわち「困難を感じている同僚に対して、公認心理師がどう声をかけるのか?」というテーマが問われているわけです。
そう考えてみると、本選択肢の対応は不適切であることがわかると思います。
クライエントに置き換えて考えてみると、ある専門職に就いているクライエントが仕事上の困難を感じているときに「あなたの仕事では、それがつきものの困難だからね」と伝えるということです。
これはクライエントの苦しみを一般化し、受けとめず、押し返して「我慢しなさい」と告げているような対応であり、公認心理師として不適切であることがわかります。
公認心理師という心理支援に携わる者に求められるのは、その人の苦悩をその人唯一のものであるという認識であり、苦悩を一般化することではありません。
もちろん反証として「これは同僚間の話であり、クライエントの例を持ち出すのはおかしい」というものがあり得るかと思います。
ですが、それは間違いです。
人は困難を感じているときにされた対応を、今度は、人が困難を感じているときに行う傾向があります。
つまり、スタッフBが「困難はつきものだよ」と言われれば、今度はスタッフBがそれを支援者としてデイケア利用者に告げる可能性があるということです。
このように連携には、その連携での公認心理師の態度を通して、心理的支援をクライエントに届けるという意味があります。
最後に「諭す」という言葉の意味から考えてみましょう。
諭すというのは「物事の道理をよく言い聞かせてわからせる」という意味であり、主に目上の者が目下のものに行うこととされています。
もちろん、実際に公認心理師とスタッフBが上下関係にあることも考えられます。
しかし、心理支援において大切なのは「平等であろうとする態度」を備えていることです。
平等な関係については、ロジャーズ学派で言われることもありますね。
ただし、平等な関係というのはイデアです。
つまり「どこかにあるのかもしれないけど、実際にはあり得ないもの」です。
ですが、心理支援、特にカウンセラーという立場においては、クライエントとの関係が平等になり得ないけど、それを目指して種々の工夫をしているという態度・構えが大切になります。
それはクライエントだけでなく、クライエントと関わる同僚に対しても同じです。
そのような態度で接すること自体が、同僚に心理支援で大切なことを伝える機会であり、それが伝わることで同僚が成長し、クライエントを取り巻く支援状況がベターになっていくことが大切です。
よって、「諭す」という予め上下関係を背景にした対応を行うことは、心理支援に携わる立場の行いとしてはあまり好ましいものとは言えないと考えられます。
何気ない言葉の中に上下関係は潜んでいます(「教える」「○○をさせた、やらせた」「○○してあげた」など)。
もちろん、職務上の立場などで「諭す」ことが求められ、必要なこともあるでしょう。
それでも、ここで述べたようなことを自覚しつつ、その矛盾を感じながら伝えることが大切になります。
以上より、選択肢②は不適切と判断できます。
③幻聴についてどの程度の知識があるかを質問する。
④どのような場面で関わりが困難と感じるかを質問する。
前述の通り、スタッフBが利用者Aの状態に対して、適切とは言えない理解の仕方をしている可能性はあります。
スタッフBと公認心理師の職場での立場、年齢、経験等によっては、多少なりとも指導者として振る舞うような場面もあり得るでしょう。
しかし、そうであっても選択肢③にあるような「ケア会議」という場で、同僚の知識の多寡について質問するという対応は非常識と言わざるを得ません。
公認心理師にその気はなくても、公的な場で知識の多寡を問い、しかも問われた側の未熟な理解を白日にすることで、スタッフBに恥をかかせることになります(恥というものは、かかせるものではなく、自分で「じくじくと」感じるものです)。
これはスタッフBの今後の支援の姿勢を硬化させるだけでなく、他のスタッフがBに対してどのような関わりをするか予測できないという懸念もあります。
こういった「どのような力動をもたらすかわからないこと」を行うことは、一種の博打の精神であり、治療・支援やそれに携わる場において適切な精神とは言えません(支援は博打ではありません。少し臆病なくらいが丁度いい)。
もちろん、ここで幻聴を踏まえたAの理解、例えば、幻聴がきこえているときには話を聞いていないように見える場合もままあることだ、ということを伝え、それによってスタッフBの理解が広がることもあり得ます。
ですが、やはりこの対応には懸念が生じます。
それは、スタッフBがそれを知ってもなお「気難しく、人の話を聞いていないので関わりが難しい」と感じている可能性があることです。
そうなれば、スタッフBが見えている利用者Aの姿は、他のスタッフが捉え損なっているものであり、Aへの理解を深める上で重要な情報になり得ます。
しかし、知識の多寡を問われるようなケア会議の場では、そうした「曖昧な情報」を出すことにためらいが生じてしまいます。
明確な知識に則ったことでないと言えなくなっちゃう、ということですね。
大切なのは、スタッフBを一人の専門家として尊重する態度です。
その態度があれば、スタッフBの一見無理解に見えるような発言に関しても、どういった背景があって発せられたものなのかを問おうとする構えが生じてくるはずです。
具体的な言葉で言えば、選択肢④にあるような「どのような場面で関わりが困難と感じますか?」ということになるでしょう。
この質問によって、やはり、幻聴に対する無理解があると判断できれば、それを責めることなく、恥をかかせることなく、デイケアという場の特性も踏まえつつ、しかし、スタッフBの理解が深まるように、専門家として成長できるように対応していくことが求められます(すっごい難しそうですけど、連携とはそんなものですよ)。
一方、どうやらスタッフBの捉え方は、単に幻聴の世界への無理解からではなく、他のスタッフにはない力動が利用者AとスタッフBにはあるためだと判断できる場合もあるでしょう。
そうなれば、スタッフBのどのような特徴によってその力動が生じたのか、どういった状況でそのような認識が生まれたのかを精査していくことで、利用者Aの内的世界への理解が深まり、より適切な対応ができる可能性が高まります。
以上より、選択肢③は不適切であり、選択肢④が適切であると判断できます。
⑤関わりを拒否するような態度は正しくないことを指摘する。
先述したように、スタッフBがどのような文脈で「気難しく、人の話を聞いていないので関わりが難しい」と感じたのかを訊くことなく、その認識についての正誤を判断するような態度自体が、それこそ「正しくない」と言えます。
他職種への畏敬の念が欠けているとも言い換えてよいでしょう。
畏敬の念があれば「この人が、このように認識したのにはどういう流れがあってだろうか?」という判断保留の態度が中心になるはずであり、選択肢④にあるような対応へとつながっていくはずです。
もっと心理的な側面から不適切な理由を述べていきましょう。
利用者Aに対して、スタッフBが「関わりを拒否するような態度」を示していると仮定しましょう。
この場合、心理職として2つの可能性を考えることが求められます。
- 利用者Aの操作(という表現は嫌いなのですけど分かりやすいので)によって、スタッフBがAのことを拒否的に感じてしまっている。
- スタッフBの逆転移により、利用者Aに対しての拒否的な感情が高まっている。
このように認識し、それぞれを検証していくことで支援へと拡げていくことが可能です。
一つ目の場合、利用者Aが自身のネガティブな感情を投影し、それをスタッフBから引き出そうとして、スタッフBが強めに拒否的感情を抱くという可能性が出てきます(いわゆる投影性同一視の仕組みですね)。
この仕組みが確認されれば、そこから利用者Aの内的世界を想定し、対応を考えていくことが可能になります。
二つ目の場合は、スタッフBが、利用者Aの人格特徴や「気難しい」「話を聞いていない」という状況に対して、拒否的に感じやすい歴史があるということになります。
こういう事態は論理的な理解、ここで言う「幻聴があるから、そのようになっちゃう」という理解をしていたとしても生じてしまうものです。
このような逆転移がある場合、スタッフBは今後支援者として活動していくのに苦労する可能性もありますので、公認心理師はその点を同僚としてケアし、良い形で展開していけるように間接的に支援していくことが大切になります。
繰り返しますが、スタッフBが成長していくことは利用者にとって有益なことですからね。
以上より、選択肢⑤は不適切と判断できます。