臨床心理士 面接一般:H22-60

心理面接の終結に関する問題です。
初回面接と終結は、どのような枠組みの心理療法においても普遍的に重要なテーマです。
本問を通して、終結に関する基本的な作法について理解しておきましょう。

A.転移性治癒が成立していると考えられる場合は、必ずしもそれをもって終結とはしない。

まず転移性治癒について正しく理解していることが大切ですね。
「転移」とは過去からの持ち越しのことであり、例えば、過去にある場面で母親に対して抱いた気持ちを表現できなかった、表現しても受け取ってもらえなかった、などの体験があり、その気持ちを現在目の前にいるカウンセラーに向けることを指します。

ヒトは生理的早産で生まれてくるため、他の種よりもずっと同種に依存することになります。
つまり、ヒトは成長する上で「養育者からの支援」が不可欠ということです。
ということは、ヒトは誰でも「支援を受ける身としての体験」を備えているということになりますね。

この「支援を受ける身としての体験」は言語・非言語の両面でその個体に染み込んでいるものです。
そして「支援を受ける身としての体験」は、その後の支援者に対する認識に影響を与えます。
「支援を受ける身としての体験」が良いものであれば人生で出会う支援者というラベルを持つ人物に対して好印象を抱きやすいでしょうし、逆もまた然りです。

本選択肢にある「転移性治癒」とは、「支援を受ける身としての体験」が影響して症状の改善が生じたという現象を指します。
つまり、自分を支援してくれる他者に出会ったことで、過去の体験(支援を受ける身としての体験)が生体に影響を及ぼして症状の改善に寄与したということになります。
これは一見良いことのように思えるかもしれませんが、そうではありません。

一般に、転移性治癒が生じてしまうような「支援を受ける身としての体験」は、偏りを内包していることが多いのです。
転移性治癒が生じる場合、そのクライエントは「過剰に」目の前のカウンセラーが救ってくれるという思いを持っていることが多いのです。
「助けてもらえる」「これで大丈夫」という思いが症状の改善を促したということですね。
怪しい壺や判子を購入し先祖のうんちゃらかんちゃら…というのは時折耳にする話ですが、こういう壺や判子を購入することで改善する人がいるのは「これで大丈夫だ」という思いが活性化されるためです。
いわゆる「プラセボ効果」というわけですね(プラセボだからまやかしというわけではない。むしろプラセボは自然治癒力の原型に近い)。

このまま症状の改善が促進されればめでたしなのですが、そうは問屋が卸しません。
ある程度面接を続けていけば、クライエントは目の前のカウンセラーが「思っていたほどは支援してくれない」ということに気づきます。
もちろん、これはカウンセラーが悪いのではなく、クライエントが過剰な期待を持つこと、及び、そうした生育歴を有していることに背景があると考えて良いでしょう。
クライエントはカウンセラーに対して幻滅したり価値下げを行ったりする場合もありますが、これはクライエントが現実(思うほどに自分はサポートされないという現実)に出会った痛みの表現でもあります。
カウンセリングでは、こうした幻滅や価値下げにどう付き合い、関係を維持し、クライエントが現実に基づいた認識を持てるようになるための支援を行っていくことになります。

さて、当然ですが、クライエントが現実に出会うことによって、カウンセラーや支援の場に対してもっていた「助けてもらえる」「これで大丈夫」という感覚は減退しますし、それによって改善していた症状は再燃することになります。
むしろ、症状が再燃してからが、本格的なカウンセリングの始まりとも言えましょう。
出会ってすぐに症状の改善が見られる、過剰にカウンセラーのことを理想化する、などの現象が見えた場合、その背景には転移性治癒があると考えて、来るべき幻滅の時期に備えることが重要になります。

つまり、転移性治癒と思われる現象が生じ、症状が改善したからといって、軽々にカウンセリングの終了を話題にしてはいけないのです。
もちろん、クライエント側が「もう治ったので大丈夫です」と言ってくる場合もあるでしょう。
これを頑なに「いや、まだ治ってない!」というのも奇妙な話ですから、いったん終了ということもあり得る話です。
ただその場合であっても、カウンセラーとしての見立てと、症状が再燃した場合には来談することができる旨を伝えることは取り得る対応でしょうね。

ちなみに、あまりに初期に「もう治ったので大丈夫です」という言葉が出る場合は、まずは、カウンセリングに不満を抱いており、止めたいという思いを「もう治った」と言い換えている(要は「もう勘弁してくれ」と言っている)と考えるのがセオリーです。
これを端的にカウンセリングの失敗だと見なすぐらいの自分に厳しい姿勢がカウンセラーには求められます。
「あなたのカウンセリングは苦しい」と伝えてもらえるだけの信用を得られなかったわけですから(カウンセリングが苦しいこと自体は問題ではない。程度がひどければ問題でしょうけどね)。

以上より、選択肢Aは○と判断できます。

B.終結が成立した後は、クライエントが再度来談を希望しても応じない。

これは当然誤った記述ですが、それをどういう理路で自分を納得させるかが大切です。
決して「そんなの当たり前でしょ」という恣意的な理解ではいけません。
これは試験問題なのですから、必ず理路が存在するわけです。

カウンセリングという枠組みがどのような形であることが望ましいか、という視点で考えてみましょう。
カウンセリングが「一旦出てしまえば、再びは入りづらい」ものであれば、今カウンセリングを受けている人たちは「うかうか良くなることができない」ということになるでしょう。
良くなってしまったら支援を再度受けにくいのであれば、それが当然です。

また「また悪くなったら、再来談することができる」という安心感は、現在の問題の軽減に少なからず影響を与えるでしょう。
正確には「再来談が可能である」ということよりも、「あの場所には変わらずあのカウンセラーが存在する」ということが支えになるのだと思います。
内的対象としてカウンセラーがクライエントの内に生き続けるというイメージかもしれませんね。
そうしたイメージを「再来談可能である」という枠組みによって保ちやすくする効果が狙えます。
「再来談できない」という枠組みだと、関係性が途切れるようなイメージとなり内的対象として機能しづらいだろうと思うのです。
つまり「いつでも再来談可能である」という枠組みにしておくことによって、逆説的ですが再来談の可能性が低くなるということです。

こうした再来談について考えるときの大切な文献として、フロイトの「終わりある分析と終わりなき分析」があります。
精神分析学の主目的は「無意識の意識化」にあるわけですが、無意識の内容が完全に意識されて処理されるということはあり得ません。
しかし、そうなると分析治療には終わりがないことになってしまう。
これに対するフロイトの答えとしては、一定期間精神分析を受けた人は「自分で自分を理解するルート」が開かれているということです。
即ち、精神分析を受けたことで、その後の無意識の意識化が生じた際に、それを否定せずに受け容れる姿勢が育っているということです。
この選択肢に対する反証として述べるのであれば、「再来談ができない」という枠組みの設定は、そうした無意識の意識化というその後の人生でずっと続く営みを切断することになりかねないと言えるでしょう。
心の一部で、自分がまだカウンセリングの枠内で生きているというイメージを持つことは、とても大切なことだと思います(もちろん、それがクライエントを不自由にするものではないことが前提です)。

「再来談できる」という枠組みがクライエントにとってのお守りとして機能するよう、カウンセラーはカウンセリングの中で苦心することが大切なのです。

以上より、選択肢Bは×と判断できます。

C.終結に際し、これまでの面接経過を振り返ることは意味がある。

この終結に際して面接経過を振り返るという作業は、終結におけるセオリーの一つです。
ちょっと想像を働かせれば、これがセオリーであることはよくわかると思います。
カウンセリングが終結に向かっていく場面を想像してみましょう。
終結が可能であろうという考えをやり取りするのは、当然ながら、これまでのカウンセリング過程を振り返り、目標やそれに向けてどのように変化してきたか、という文脈を通して行われるのが自然ですよね。

人間を安定させる大切な要素の一つとして「自分が生まれてから、今の自分がずっと繋がっているように感じられること」があります。
面接経過を振り返るという作業は、これまでブラックボックスだった自分の人生に光を当ててきた流れを総括するということです。
この総括によって、クライエントの自分の人生に対する能動感が高まっていくこと、その感覚がカウンセリング終結後も続くことを狙って振り返りを行うのです。

ただし、すべてのクライエントに振り返りが可能かどうかは話が別です。
印象としては、自分の思いを抑え込んだり、心的不穏を生じさせる外界を否認するタイプのクライエントの場合、肌感覚で現実検討をしているような面が少なからずありますから、「何となく良くなりました」という場合が多いです(そっちの方が良い場合も多い)。
そういう人にまで無理やり振り返りを行う必要は無かろうというのが私の意見ですね。

いずれにせよ、選択肢Cは〇と判断できます。

D.終結が近づくにつれ、症状が再燃した場合には継続を提案する。

一般に終結を決めてから、1カ月以上の時間をとることが多いです。
単純な言い方をすれば、カウンセラーとクライエントとの結びつきが深いほど終わりの作業に時間を使うことが多くなるでしょう。

そして、こうした終結の作業に移ったときに症状の再燃が出てきたり、クライエントから「実はこういう問題があったんです」と別の事柄を主訴としてくるということがよく生じます。
こういう時には、終結への不安があるために、その不安から様々な反応が起こっているのだ、と見るのが一般的です。
そもそも、こういう反応があることを見越して、1カ月以上の時間をとるわけです。

こうした揺り返しに対処すること自体が別れの作業です。
カウンセリングの期間が長いほど(実際には短くてもだけど)、クライエントは自分の一部をカウンセラーとともに眺めたり、預けたりしてきたわけです。
そういうカウンセラーと別れることは、心細さや心許なさを生じさせ、別れたくないという思いがさまざまな形となって現われます。
それが症状の再燃や、別の主訴の提示です。

こうしたクライエントの反応を単純に「また悪くなった」と認識するならば、クライエントを失望させ、本当にカウンセリングを後退させていくことになりかねません。
適切に認識し、それをクライエントに合わせて伝える力がカウンセラーには求められます。

以上より、選択肢Dは×と判断できます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です