臨床心理士 事例状況:H20-71

臨床心理士の試験問題、平成20年問題71になります。
「問題がある(ありそうな)対象の親族が来談したケース」ですね。
こういう場合の対応について、できるだけ普遍的な知見も交えて述べていきましょう。

 40代の女性Gさんが、実父母のけんかが絶えないという問題を携えて、臨床心理士のもとに相談にやってきた。実父母は75歳と70歳という年齢だが、Gさんの近隣で、二人で独立した居を構えて暮らしている。Gさんが子どもの頃から両親の仲が悪く、そのためにGさんは、ずいぶんと心を痛めてきたという。それでも約10年ほど前にGさんが結婚して実家を出た後は、何とか二人で協力して暮らしていくように思われ、ほっとしたが、ここ半年ほどは、口げんかが高じて激しい暴力に発展することがよくあるようだ。Gさんとしては夫婦療法というものがあると知り、両親にそれを勧めてはどうかと考えている。

このように親族が来談した場合に、どのように問題に対応するのかを考えておきましょう。
かなりありがちな状況設定ですからね。

A.長年、両親の関係について心を痛め、問題を解決しなければならないと考えて相談機関に足を運んだGさんの努力をまずはねぎらう。

他選択肢でも述べますが、こういう事例状況において留めておかねばならないのは「誰がクライエントなのか」という点です。
問題がありそうなGさんの両親をクライエントと見なしてしまいがちですが、実際に来談されているのはGさんですよね。
そして、Gさん自身も困っていないわけではなく、長年にわたって両親の関係では苦労してきています。

もちろん、この場合、Gさんに問題があるからこういう対応を取るというわけではありません(事例によっては、他者の問題で来談している人が、実はもっと問題が深いということもありますけど)。
こういう事例では、「カウンセラーとしてできることは何か?」を考えていくことが重要であり、本事例の状況では目の前にいるGさんへのサポートが重要であり、最も手をつけやすいところでもありますね。
そして、「最も手をつけやすいところ」を見立てて関わっていくうちに、その事例の中核的な問題に徐々に近づくことができる(ことが多い)のです。
こういう考え方は、行動療法のアプローチでもよくなされるだろうと思います。
目の前に見えている問題行動を一つ一つ解決していくたびに、その人の本質的な問題に近づくことができるという捉え方ですね。

なお、本事例のGさんの行動を行き過ぎたものであると見なすか否か、という判断については、選択肢Cの解説に譲ろうと思います。
以上より、本選択肢は○と判断できます。

B.問題解決のためには、夫婦療法に両親が二人で行くことが必要であると勧める。

まずは来談状況について考えておくことが重要です。
本事例のように「問題の当事者以外の人が来談して、当事者の心理療法の可否を尋ねる」という事態は、臨床実践ではよく見られることです。
子どもが両親のことで…ということは比較的少ないとは思いますが、親が子どもの問題について尋ねてくる…ということはかなり多いだろうと思います。

当事者以外が来談する…からくる連想ですが、ソンディテストでは、精神病圏の反応を「客観的症状反応」と呼び、神経症圏の反応を「主観的症状反応」と呼びます。
精神病圏の問題の場合、当事者はそれほど困っておらず(内的には違いますが)、周囲の人が心配することが多いという状況なので「客観的」という表現になります。
これに対して、神経症圏の問題では当事者の困り感が強いので「主観的」という表現が使われるわけですね。
本事例のように、周囲が困って来談する…というのは精神病圏に限らず、よくあることです。
ひきこもり臨床などでは、むしろ当事者以外のルートでの来談が中核と言えるでしょうね(ひきこもり臨床では統合失調症の問題が絡んでいることもあるけど)。

さて、こうした状況での鉄則があります。
それは「直接見聞きしていない対象について、ある支援が有効であるという断定は不可能である」ということです。
これは経験・良識のあるカウンセラーなら説明不要で理解できることだと思います。
本質として適切な見立てが不可能であること、そもそも倫理的な問題があること、などが全般的な理由ですね。
時折、直接見てもいないのに断定的に語るカウンセラーがいますが、そのほとんどが自己愛的な欲求がそういう不適切な言動を招いているように見受けられます。
いずれにせよ、本選択肢にあるように「問題解決のためには、夫婦療法に両親が二人で行くことが必要である」と断定することは厳に慎むべきであると言えます。

この「直接見聞きしていない対象について、ある支援が有効であるという断定は不可能である」というテーゼを強く意識せねばならないのが、電話相談臨床の場面です。
電話という本質的に「伝聞」であるツールでは、得られる情報は断片的であるという自覚を持っておくことが必要であり、それを持って見立てを行うことは困難であるという自戒を持っておくことが大切です。
もちろん、緊急性が高い場合はその限りではないですが、原則としてはここで述べたとおりだと考えておきましょう。

更に、別の方向性からも考えておきましょう。
本選択肢のような対応を取る場合には、「Gさんが両親に対して夫婦療法を勧めて、来談までつなげることが現実的に可能であるかどうか」という点の検証が事前に必要になります。
かなり長い期間にわたって本事例のような状況が続いていることを考えると、本人たちがどの程度、問題意識を持つことができるのかは疑問です。
Gさんが言っても変わらない可能性を考えると、「できない可能性が高いことを勧めるのは支援としてふさわしくない」という見方もあるでしょう。
臨床でも子育てでも「できないことを言わない」のは大切ですね。

もう一丁別の視点から考えてみましょう。
それは「75歳、70歳という高齢の夫婦に対して、夫婦療法によって変わる可能性がどの程度あるのか?」という視点です。
「高齢だから変わらない」と断定しているのではなく、この年齢まで夫婦をやっていて、しかもケンカが激しい状況にも関わらず夫婦関係が一応は破綻していないわけです(つまり、ケンカありきによって関係が維持されているという見方もできる)。
それに夫婦療法に限らずカウンセリング全般に言えることですが、何かしらの関係性を変えていくためには、その当事者たちに変化が必要であるという自覚が重要になってきます。
長くこの関係を続けてきた夫婦が、この状況で関係を見直したいという動機があるかを検証していくことが先に必要でしょう。

以上より、本選択肢は×と判断できます。

C.Gさんに対して、親離れができていない問題があることを指摘して、その問題を解決するための個人カウンセリングが必要だという。 

臨床実践では、来談した人の見立てを行うことが重要になってきます。
保護者が子どもの問題を、夫が妻の問題を、などのように、身近な人が他者の問題を訴えてくることは少なからずありますが、訴えている当人が実は心理的な問題を抱えていることもあるのです。
例えば、「この子は精神的に問題があるんです」と子どもの問題を訴えてくる母親には、内実としては「自分の思いと外れた我が子を受け容れられない」という問題があり、その問題が子どもの不適応を招いていると見なすこともできます。
このように、来談した人自身の見立てを行うことそれ自体は適切な行為ですから、本選択肢のような内容を考えることは大切ですね。

ただし、Gさんの見立てを行った結果、本事例のように「親離れができていない問題がある」と見なして「個人カウンセリングが必要だという」という捉え方をするかどうかは疑問です。
本選択肢のような捉え方は、Gさんの両親への心理的密着が来談の背景にあると見なしているということですよね。
事例中から「Gさんが親離れできていない」という捉え方の反証となる情報を抜き出してみましょう。

まず「約10年ほど前にGさんが結婚して実家を出た後は、何とか二人で協力して暮らしていくように思われ」という点からは、Gさんが1人の女性として自立している可能性が示唆されます。
もちろん1人の女性として自立している可能性があるのは「結婚しているから」ではなく、結婚後に実家を出ることができていること、両親の状態を遠くから客観的に眺めているという様子から自立の雰囲気が感じられますね。
親から離れられない人は結婚が難しい場合もありますが、それ以上に、配偶者よりも親を優先するという在り様によって結婚生活がうまくいかないということも多い印象です。
他にも婿養子を取るという場合もありますね。

また来談の動機になっている「ここ半年ほどは、口げんかが高じて激しい暴力に発展することがよくあるようだ」という状況は、Gさんが相談機関を訪れるのに大袈裟とは言えないと考えられます(この点については、選択肢Dでも詳しく述べましょう)。
両親の状況に危機感を抱いたGさんが、何かの情報で「夫婦療法」という方法を知り、藁をも掴む心境で来談したと考えれば、Gさんの行動は不自然なものではないように思えます。

以上のように、Gさんが危機感を抱くのが不自然ではないこと、このような心境において「解決できそうな方法」に飛びつくことはあり得ること等を踏まえれば、Gさんに対して「個人カウンセリングが必要」と判断するのは行き過ぎだと言えるでしょう。
以上より、本選択肢は×と判断できます。

D.暴力の程度がどれほどのものか知り、緊急性について慎重にアセスメントする。 

おそらく本事例において最優先されるべきは本選択肢の対応になるでしょう。
Gさんの話を聞いていて思い浮かばなければならないのは「なぜ、ここ半年ほどは、口げんかが高じて激しい暴力に発展することがよくあるのだろうか?」という疑問です。
かなり長い期間、ケンカはするものの夫婦関係は破綻せずに維持できていましたし、それはGさんが結婚して家を出てからも同様だったはずです。

それなのに、夫婦間で暴力が起こるほど関係性が変化している。
このことにまず疑問を抱き、その点に関するアセスメントを行っていくことが重要かつ必須となります。
例えば、夫婦いずれかに認知的な問題が生じつつある、加齢によって自制が効きにくくなっている、など様々な可能性が浮かびますよね。

思い浮かぶ可能性を可能な限り検証しつつ、「この暴力が一過性か否か?」「今後、更に激しくなる可能性はあるか?」などについてクレバーなアセスメントが重要です。
そのアセスメント如何によって、外部機関との連携なども考えていくことになるでしょう。
心理療法というよりも、危機介入の事例かどうかを判断することが大切です。

以上より、本選択肢は〇と判断できます。

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