公認心理師 2023-19

対象関係論に関する問題です。

対象関係論が出題されたというのは、私は大切なことだと思っています。

その理由はこちらの動画でお話している(はず)です。

問19 対象関係論に関する説明として、最も適切なものを1つ選べ。
① 集合的無意識との関係を分析する。
② 乳児期からの母子関係に注目する。
③ L.Binswangerによって発展の基盤が作られた。
④ 生物学的要因より社会文化的要因を重視する。
⑤ 重要他者との関係を時系列に沿って想起していく。

解答のポイント

対象関係論に関する基本的な理解を有する。

選択肢の解説

① 集合的無意識との関係を分析する。

まずは選択肢内の用語を見た瞬間に除外できる選択肢から解説していきましょう。

本選択肢に含まれている「集合的無意識」という用語は、ユング心理学(分析心理学)の概念になります。

分析心理学を提唱したのはユングですが、集合的無意識はユングによる無意識概念の拡張であり、普遍的無意識とも呼ばれています。

フロイトの精神分析学における無意識を個人的無意識とし、それより深層に位置し、人類共通の普遍的かつ通底する無意識の領域を集合的無意識として区別しました。

言語や教育を通して経験的に獲得されたものではなく、人間に生得的に備わっている心の基底をなすものであり、また、世代や人種、民族、地域、時代を超え、共通して存在するものとされています。

ユングによると、ある精神病患者の妄想に現れたモチーフが古代神話の内容と一致していたことや、自身がよく描いていた絵と東洋の曼陀羅の類似性などから着想したとされています。

宗教的説話、世界各地の民話、夢、または精神病患者の幻覚や妄想などを比較することで展開しました。

集合的無意識の内容は「元型」と呼ばれ、太母(グレートマザー)、影(シャドウ)、アニマ/アニムス、老賢者、自己などがあります。

元型とはだれにとってもそれ自体として知られることはなく、夢やイメージ、象徴、空想として把握されるとしています。

ここでは、ユングの無意識に関する考え方をより詳しく述べておきましょう。

ユングは、無意識の私たちの内的世界の未知なるものとして定義しました。

これには、自分が忘れてしまったもののすべて、感じたり、知覚したり、求めたり、考えたりすることのすべて、過去と同様、自分の気づかないうちに準備されている未来、更に抑圧されているものも含まれます。

「準備されている未来」が無意識に含まれると聞くと変な感じを受ける人もいるかもしれませんが、箱庭などをしていると、その人の少し先の姿が表現されていることなどは頻繁に体験するところです(それに気づかないか、事後的に気づくか、作成されているときに理解しているかなどによって臨床家としての力が測られる面もあるわけです)。

上記が、ユングが個人的無意識を呼ぶものを構成するとされています。

ユングは、この個人的無意識の「向こう側」には、無意識のより深い層があり、その中に先祖から受け継ぐ特性があるとしています。

ユングはこの説明として「本能と元型は、集合的無意識を構成している。集合的と名付けたのは、個人的無意識とは異なり、多少なりともユニークな個人的な内容でも、再生できない内容でもなく、普遍的で、規則正しく見られる内容だからである」としています。

このように集合的無意識を踏まえたアプローチになるのは、ユングの提唱した分析心理学になり、本問の問われている対象関係論ではありません。

本選択肢と対象関係論との共通点をあえて挙げるとすれば、フロイトの提唱した種々の概念等から出発し、それへの反論・拡張という形で発展したというところでしょうか。

ただ、そうした発展の経緯は、フロイトと関わる多くの関連分野で見られるものになりますから、対象関係論や分析心理学に限った話ではありませんね。

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

③ L.Binswangerによって発展の基盤が作られた。

まずはビンスワンガーという人について解説していきましょう。

精神病院を経営する家庭に育ったビンスワンガーは、医学と哲学を同時に学び、ブロイラー(統合失調症の提唱者の一人、フロイトをアカデミックな人物として擁護した。ユングはもともとブロイラーの弟子であり、ブロイラーがフロイトの元に送った)に師事して彼の助手になりました。

ここでユングと知り合い、ユングに伴ってフロイトと出会い精神分析の勉強を開始しました。

故郷に戻って精神病院の経営をしながら、ビンスワンガーは次第にフッサール、次いでハイデガーの現象学に興味を惹かれ、患者の臨床的観察や精神病理学的研究に現象学を適用し、いくつかの有名な症例を発表しています(エレン・ウェストの観察報告は、ビンスワンガーが推奨した現存在分析のモデルと見なされている)。

精神科医が患者を治そうと思うのであれば、患者の内的体験の世界を現象学的に再構成し了解しなければならないとビンスワンガーは考えました。

この分析の中心に位置づけられるものが「世界内存在」「現存在」の概念であり、スイス神経精神誌に発表した6つの論文の中で意識について、観念奔逸を主題的に扱いつつ詳細に論じています。

こうして創始されたのが「現存在分析」であり、フロイトの精神分析を修正的に深め、実存の解釈としての精神医学を構成する方法論とされています。

人間の現存在の本質に志向的意識の世界解釈や対他対応を認め、病理学の視点をこの解釈や対応の傾斜的偏差にあて、常人の理解の外にあった統合失調症や性的倒錯の患者の現実を単に生活史的回顧からではなく、現在の意識内実の論理的解釈によって了解すると同時に、治療方法を探索する学説です。

要するに、現存在分析は、統合失調症の症状を理解可能なものとして解釈するために哲学上の概念を利用しようというものでした。

ビンスワンガーは正統な精神分析から徐々に離れていくことになりますが、生涯フロイトに対しては忠実であり、彼との思い出を綴った作品をフロイトに献じています。

このように、ビンスワンガーによって発展の基盤が作られたのは現存在分析であり、対象関係論ではありません。

よって、選択肢③は不適切と判断できます。

② 乳児期からの母子関係に注目する。
④ 生物学的要因より社会文化的要因を重視する。
⑤ 重要他者との関係を時系列に沿って想起していく。

これらの選択肢が対象関係論とかかわるものになってくるので、まとめて解説していくことにしましょう。

精神分析学における対象関係論的考えの萌芽は、すでにフロイトの研究と思索の中に存在しています。

それが、対象関係論的思考への決定的な転回点となったのはM.Kleinの貢献です。

クラインはフロイトの口唇期・肛門期・エディプス期といった発達段階とは別に、「態勢:ポジション」という考えを提示しています。

これはライフスタイルのさまざまな局面で、行きつ戻りつする対象関係のあり方を言い、「分裂妄想ポジション」と「抑うつポジション」に分類されます。

これらの理解が対象関係論の中核になるので、まずはこれらについて詳しく述べていきましょう。

乳児の内面には、自己と対象の表象(イメージのようなもの)ができ始めます。

その表象は人や外界との関わりの中で、関わりの体験が蓄積されて、記憶となり、その記憶痕跡から形成されてきます。

その記憶痕跡ができ始めるころというのは、生理学的に見れば2~3か月ごろとされています(このように、対象関係論では生理学的要因も含めて理論立てられているのが特徴でもあります)。

生理学的にはこの頃に脳の発達が急速に進むことが確かめられていますし、ボウルビィの言うアタッチメントの現象が最初に見られるのがこの時期とされていることからも、乳児の中に親しい人の顔の記憶痕跡ができていることが示唆されていますね。

乳児に記憶痕跡ができ始めてはいますが、この時期の乳児にとって記憶はバラバラであり、統合できておらず(=乳児が自分に関わる手や顔や乳房などが一つの対象:母親のものであると認識されていないということ)、連続性の把握(=同じものが今はこうで、後で変わるという把握)も出来ていません。

対象関係論では、この時期の乳児にはそうしたことを理解したり把握したりする生理学的な基盤がまだ育っていないと捉えるわけです(事実、そう捉えて相違ないと思います)。

重要な他者(要するに母親など主に養育を行う人物)の身体の各パーツや体験は、バラバラで互いに関係がないものとして記憶され、それが内的対象(心の中のイメージ的な感じ)になったときには、表象もバラバラになるのだとされています。

対象関係論では、この時期の乳児の捉えの在り様を「部分対象」と呼んでいます。

母親の腕とか、顔とか、乳房とかの「部分」しか存在せず、それが一人の人間として認識できていない、だから乳児にとって対象は「部分」でしかないのだ、という考えに基づいた命名です。

さて、乳児にはいろんな体験が断片として心の中にイメージとして入っているわけですが、対象関係論では、この時には、単純に「良い体験の記憶痕跡」と「嫌な体験の記憶痕跡」に分類されていると仮定しています。

まだ時間的連続性の中に自分に起こった体験を位置付けることは生理学的に困難なので、「良い」「悪い」という情緒的に近いもの同士が集まって部分を作り出すというわけです。

こうして作られるのが「良い対象」と「悪い対象」であり、人間ばかりではなく環境全ての要素を含みます。

要するに、乳児にとって心地良い体験群が「良い対象」として集められ、嫌な体験群が「悪い対象」として集約されると考えるわけです。

この「良い」と「悪い」は極端な性質になりやすく、片方は100%良いものなのに対して、もう片方は100%悪いものであると認識されます。

100%良い対象に包まれているときは乳児は万能感に包まれている状態であり、その後の発達で外の世界に安全な母親から離れて過ごせるようになるには、この万能的な世界に包まれる体験が必要になるとされています(一定の時期までは!)。

対して、100%悪い対象に触れるときには、大変な絶望感、手も足も出ないような体験に包まれており、自分が消滅するような体験であるとされており、赤ちゃんが火が付いたように泣くのは、こうした背景があるのかもしれませんね。

生理学的に未熟な乳児も成長するに従って、次第に表象を統合できるようになります。

周囲の状況や自分の内面に起こる感情を理解できるようになる、つまり経験や知識が増して来ることで物事の受け止め方が現実的になってきます。

また、時系列でこれから起こることを理解し、推測できるようにもなってきます。

母親は常に自分に満足を与えてくれるとは限らないこと、同じ人の中に良いところもあるけど不満足なところもあること、自分も他者も万能ではないことなど、対象の連続性・多面性・限界などがわかると統合的に把握することができるようになってくるのです。

このように、以前まではバラバラの状態で認識されていたもの(部分対象)が一つの対象として統合されていくので、これを「全体対象」と呼びます。

重要なのはここで、「仕方がない現実を受け容れる」ということが「全体対象」に発展するために欠かせないということなんですね。

こうした現実を受け容れるということができるからこそ、何かとぐずっており不満げだった子どもが「聞き分けが良くなった、物分かりが良くなった」と感じられるようになるわけです。

ウィニコットは、この「自己にも対象にも万能はあり得ないと受け容れること」を指して「脱錯覚」と呼んでいます。

対象関係論において大切なポイントは、この「現実を受け容れる」という段階になって生じてきます。

先の部分対象の段階で「良い対象」と「悪い対象」にファイリングされていると述べましたが、これらを統合していく段階では、それをスムーズにしていく条件があります。

その条件は「良い対象>悪い対象」であるということです。

つまり、子どもの内にある記憶痕跡が良いものが多くある方が、スムーズに全体対象へと移行する、すなわち、子どもが仕方がない現実を受け容れるということがしやすいということになります。

これは考えてみれば当たり前のことかもしれません。

なぜなら、もしも「悪い対象=良くない体験が多い」ということになると、僅かしかない「良い対象=良い体験」は当たり前に存在するものではなく非常に大切なものになるので、「悪い対象」から遠ざけ、分裂させて、「良い対象」だけを別に取っておこうとするのです。

虐待された子どもが、必死に親の良いところを競い合うように言い合う姿を見ることがありますが、この背景には「ごく僅かな親の良い対象部分を守ろうと必死になっている」という哀しい事情があるのでしょう(対象関係論的に見れば)。

ですから、「良い対象」と「悪い対象」が統合されず、分裂したまま維持し続けることになり、表象の成長が止まってしまうことになります。

クラインは、このことが人格の病理を形成する元になると考えており、その捉え方は境界的人格に関する理論の展開で詳しいです。

上記のような、「良い対象」と「悪い対象」が分裂した状態をクライン学派(対象関係論)では「妄想・分裂ポジション」と呼び、良い対象」と「悪い対象」が統合された状態を「抑うつポジション」と呼びます。

ポイントなのが、なぜ統合された状態を「抑うつポジション」という、やや否定的と感じられるだろうニュアンスで呼ぶのか理解していることです。

統合され全体対象になるということは、それまで100%良いものであった中に、悪いものも混ぜ込んでいくということになります。

感情としても、それまでは好き嫌いがぱっきりとしていた状態から、好きなところもあるけど嫌いなところもある、といったような中間的なものが出てきます。

だから、単純に人を「嫌い」となることもできず、嫌いと思うと罪悪感が出てきたり、傷つけたのではと心配になったり、割り切れないような複雑な思いが生じるようになります。

こうした複雑な思いはたいていはポジティブなものではなく、一般に後悔、罪悪感、悲しみ、迷いなどになり、これらの感情をまとめて「抑うつ感情」と対象関係論では表現し、それを全体対象のポジションとして呼称しているわけです。

なお、対象関係論学派では「抑うつポジション」に入るのが生後4~6か月ごろとしていますが、自我心理学派は2歳半前後としており、この間にはかなりの開きがあります(個人的な経験から述べれば、だいたい1歳半くらいかなと思っています)。

「良い対象」が優勢な形で統合された対象表象を、内面にしっかりと保持できるようになることを、自我心理学派から発した言葉として「対象恒常性(の獲得)」と呼びます。

この統合ができると、こころの中に良い対象との関係性を維持していられるので、一人でいられるようになります。

ウィニコットが「一人でいられる能力:capacity to be alone」について言及していますが、これはこうした背景があって獲得されるものということです。

単純な言い方をすれば、こころの中に良い誰かが住み続けているという状態ということですね。

そして、対象恒常性は同時に自己恒常性でもあります。

自己の表象も統合されるところから、自己像が安定し、変化したり動揺したりする自分の在り様を連続的に「自分」として捉えられるようになるのが、自己の恒常性です。

上記の「一人でいられる能力」が備わるのは、自分が安定しているからでもあるということです。

当然のことですが、対象恒常性ができていれば一人の人と長く付き合える、安定した関係を維持できる、という対人関係のあり方にも反映しています。

人には色んな側面があり、また違った考えの人があり、といった多様性のある対象表象が根付いていると、人との食い違いやいさかいがあっても修復できるので、関係が維持されやすくなるのは自明なことですね。

ざっくりではありますが、対象関係論の重要ないくつかの概念も含めつつ説明を行いました。

こうした早期からの母子関係を中核的に扱い、それまでフロイトが主にエディプス期に起因する問題群を提示していたのに対して、より早期の言語を介在する以前の段階の問題を指摘したのが対象関係論の大きな功績の一つと言えるでしょう。

また、理路整然さを失い非言語的な体験が優勢になった精神・心理状態の理解が可能になったことで、臨床家のアプローチに様々な示唆を与えたというのも非常に大きいですね。

対象関係論は、社会文化的要因よりも生物学的要因に基づいた理解や論の展開が多いのも特徴かもしれません。

ここら辺までで、選択肢②と選択肢④の解説ができていると思います。

最後に選択肢⑤の「重要他者との関係を時系列に沿って想起していく」という内容について考えていきましょう。

まず「重要他者との関係」が重視されるのは間違いないのですが、それを「時系列に沿って想起していく」という手法を選択することはありません。

仮にフロイトの自由連想法を用いるとしても、「時系列に沿って」という限定がなされることは理論的にあり得ませんから(自由に連想なんだしね)、精神分析学の文脈でこの選択肢を解するのは困難なように感じます。

対象関係論にある程度独自のアプローチがあるのかもしれませんが、それよりも上記のような対象関係を基盤とした心の仕組みを理解し、それが病理や問題をどう理解するのかにつなげ、その理解に基づいて対応を行うということが重要なのだと私は理解しておりました。

それを踏まえても「時系列に沿って想起していく」ということが対象関係論の特徴を示す内容になっているとは思えないですね。

ちなみに「時系列に沿って想起していく」というやり方を行うのは、高齢者への支援法の一つである回想法(情報型回想)で見られますね。

おそらくこの選択肢自体は、自由連想法とごっちゃにすることを狙ってのものだと思うのですが…。

以上より、選択肢④および選択肢⑤は不適切と判断でき、選択肢②が適切と判断できます。

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