公認心理師 2022-128

Rogersのクライエント中心療法における共感的理解に関する問題です。

共感的理解に関する問題は2018年の第一回試験でも出題されていますね。

問128 C. R. Rogersのクライエント中心療法における共感的理解の説明として、適切なものを2つ選べ。
① クライエントを知的に理解することではない。
② 進行中のプロセスとして保持すべき姿勢である。
③ セラピストによって、言語的、非言語的に伝えられる。
④ クライエントの建設的な人格変化の必要十分条件ではない。
⑤ クライエントの私的世界と一体化することを最優先とする。

関連する過去問

公認心理師 2018-121

解答のポイント

ロジャーズの論文で示されている「共感的理解」について把握している。

選択肢の解説

② 進行中のプロセスとして保持すべき姿勢である。
③ セラピストによって、言語的、非言語的に伝えられる。
④ クライエントの建設的な人格変化の必要十分条件ではない。
⑤ クライエントの私的世界と一体化することを最優先とする。

「クライエント中心療法」出版の6年後の1957年に、ロジャーズはこれまでの諸論文における様々な考えを統合する形で「治療上のパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」という論文を発表しました。

この論文は、ロジャーズの考えを要約するものとしても、整理したものとしても考えることができ、ロジャーズの論文の中でも重要なものの1つに数えられます。

この論文の中でロジャーズは、建設的なパーソナリティ変化が起こるためには、次のような条件が存在し、それがかなりの期間継続することが必要であるとし、以下の6つの条件を提示しました。

  1. 2人の人が心理的な接触をもっていること 。
  2. 第1の人(クライエントと呼ぶことにする)は、不一致の状態にあり、傷つきやすく、不安な状態にあること 。
  3. 第2の人(セラピストと呼ぶことにする)は、その関係のなかで一致しており、統合していること。
  4. セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること 。
  5. セラピストは、クライエントの内的照合枠を共感的に理解しており、この経験をクライエントに伝えようと努めていること。
  6. 共感的理解と無条件の肯定的配慮が、最低限クライエントに伝わっていること。

ロジャーズは、この6条件以外の「他のいかなる条件も必要ではない。もしこれらの6つの条件が存在し、それがある期間継続するならば、それで十分である。建設的なパーソナリティ変化の過程が、そこに現われるだろう」としています。

本問で関わる点を中心にしつつ、上記の6条件について簡単な解説をしていきましょう。

上記の「6条件」は、その後、純粋性(自己一致)・無条件の肯定的配慮(肯定的関心とも呼ぶ)・共感的理解の3つが抽出される形で強調されるようになりました。

共感的理解は上記の第5条件に該当しますが、その中にある「内部的照合枠」について言及しておきましょう。

ロジャーズは1951年、シカゴでの実践と研究の成果を「クライエント中心療法」として出版しており、ここでは、自己概念と生命体の体験の一致・不一致からパーソナリティの適応を捉えていますが、その基本的な視点として「内的照合枠(the internal frame of reference)」という概念が提出されています。

内的照合枠についてロジャーズは「カウンセラーが可能な限りにおいてクライエントの内的照合枠を身につけること、クライエントが自ら眺めているままにクライエント自身を知覚すること、そのようにしている間は外的照合枠にもとづく一切の知覚を排除しておくこと、そして、その感情を移入して理解したことをコミュニケートすること」と述べています。

ロジャーズは、クライエントがどのような精神病理なのか把握しようとすること、訴えの原因を推測することなど、いわばクライエントを客観的にないしは外側から理解しようとする意識の集中の仕方を「外的照合枠」によるクライエント理解と考えました。

それに対して、クライエントのいる場所から世界の見え方・自分自身の見え方をカウンセラーが共有しようとする活動を「内的照合枠」によるクライエント理解と呼び、カウンセリングプロセスでは、こちらに全精力を注ぎこむことをロジャーズは要求します。

上記が内部的照合枠に関する記述ですが、ここにすでに共感的理解に関する内容も含まれてきています。

以下では更に、ロジャーズが共感的理解についてどう考えていたかを簡単に述べていきます。

クライエントの私的な世界を、あたかも自分自身の私的な世界であるかのように、感じ取ること、しかし、決して「あたかも、かのように」という特質を失わないままで、そうすることが共感であり、そしてこれは治療に不可欠というのが共感的理解の考え方です。

クライエントの怒りや怖れや混乱を、あたかも自分自身のものであるかのように、感じ取ること、しかも、自分自身の怒りや怖れや混乱を、そこに混入させないようにしたままで、そうすること、これがロジャーズが記述しようとしている「共感的理解」という条件です。

ロジャーズは「クライエントの世界が、治療者にとってこれほどの明確さを持ったものとなり、治療者がその世界の中を自由に動き回るようになると、治療者は、クライエントが明瞭にわかっていることについての治療者の理解を、コミュニケートすることができ、クライエントがほとんど気づいていないクライエント自身の体験の意味を、言い表すこともできる」と述べています。

つまり、①治療者が感じ取っている、②「あたかも、かのように」という特質が失われていない、③クライエントがほとんど気づいていない体験の意味を言い表すことができる、ということが述べられているわけですね。

さて、ここで各選択肢について見ていきましょう。

まず6条件(3条件)に関する選択肢として、選択肢④の「クライエントの建設的な人格変化の必要十分条件ではない」がありますが、こちらはロジャーズの論文内で、共感的理解は「クライエントの建設的な人格変化の必要十分条件である」ことが明示されていますね。

更に、選択肢③の「セラピストによって、言語的、非言語的に伝えられる」についても、上記に「共感的理解と無条件の肯定的配慮が、最低限クライエントに伝わっていること」とある通り、クライエントに何かしらの形で伝えられていることが重要になります。

言い換えれば、カウンセラーが「共感した」「肯定的に配慮した」と言っているだけでは、まったく意味が無いわけです。

重要なのが、そうした態度が「クライエントに伝わっていること」ですから、あくまでもそれがクライエントに何かしらの形で伝わり、体験されていることなわけですね。

そして、選択肢②の「進行中のプロセスとして保持すべき姿勢である」ですが、ロジャーズは、「セラピストが、この共感的なプロセスの中で自分自身のアイデンティティの独自性を見失うことなく、クライアントの内的世界に生じている瞬間瞬間の体験を、クライアントの見るまま感じるままに理解することができるとき、変化は生じるのである」としています。

つまり、共感的理解は理解が達成できたら完了するといった状態ではなく、継続していくプロセスとして捉えられていることがわかりますね。

そして最後に選択肢⑤の「クライエントの私的世界と一体化することを最優先とする」ですが、こちらは共感的理解の①治療者が感じ取っている、②「あたかも、かのように」という特質が失われていない、③クライエントがほとんど気づいていない体験の意味を言い表すことができる、という特徴に反していることがわかるはずです。

共感的理解は「あたかも、かのように」という特質が失われていないことが重要視されており、「私的世界と一体化」とは異なるプロセスであることが明示されています。

カウンセラーも一個の人間であり、「完全にクライエントの私的世界と一体化すること」は本質として不可能ですが、その不可能性を前提としつつ「そのイデアを目指す」ということが重要であると言えます。

それを目指す中で生じる「僅かなズレ」が、クライエントの反応を呼び起こし、そこに対するクライエントの変化を促すと考えられます(大きなズレではダメなんです)。

上記の通り、選択肢②および選択肢③が適切と判断できます。

一方、選択肢④および選択肢⑤は不適切と判断できます。

① クライエントを知的に理解することではない。

先述の通り、共感的理解は「クライエントの内的照合枠を共感的に理解している」ということを指しています。

なお、内的照合枠とは「その瞬間においてその人の気づきにもたらされる可能態にある体験の全領域、意識にもたらされる可能態にある感覚・知覚・意味・記憶などの全領域」とされます。

クライエント理解には、2つのプロセス、つまり、「診断的に客観的な事実や情報を収集する知的(外的)なプロセス」と「クライエントが経験している心の内容を、カウンセラー自身もクライエントと同じ立場で感じ(共感し)、あるいはカウンセラー自身の経験などを参考にして主観的にとらえるという感情的(内的)なプロセス」が存在し、人間性心理学(ロジャーズが属する学派)を重視する立場では「他人の気持ちや考えを共有し同調する共感こそが、治療に必須な条件であると考えられている」と説明されています。

ロジャーズ自身も、クライエントへの応答について「カウンセラーは、クライアントの表明する考えに対し知的側面に基づいて応答すると、自らの選択で敷いた知的なわき道へとクライアントの表明をそらせてしまい、感情に強く訴える態度の表明を阻害してしまう。また、こうした方法では、カウンセラーが自らの論理によって問題を特定し、解決することになり、浪費が多くなりがちであるばかりか、その論理はクライアントの真の状況を反映したものではない場合が多い」と述べており、知的な理解に基づいた応答に対して慎重な立場であることが読み取れます。

そうなると、本選択肢の「クライエントを知的に理解することではない」は適切なように感じますが、その辺をもう少し掘り下げてみましょう。

土居先生は「不確かさ、不思議さ、疑いの中にあって、早く事実や理由を掴もうとせず、そこに居続けられる能力」を面接者に必要な能力だと指摘しており、角田先生もまた、心理療法で目指されるような「共感」の概念を曖昧にし、その把握を妨げる「相手の気持ちが感じられない」体験を「共有不全経験」を名付けて、心理療法家が自分の中に生じる「共有不全経験」に注意を向けることの重要性を説いています。

そして、治療者にとって居心地の悪い「共有不全経験」を、自分自身の感受性を磨く経験や深層心理学の理論の助けを借りながら「とらえ直すこと」が、「共感」に至る道筋だとの見解を示しています。

こうした「とらえ直しによる共感的理解」が行われるためには、臨床経験とともに理論的な照合枠をもつことが一方で必要だとしており「通常、共感は体験面に重きがおかれるが、さらにその体験を『とらえ直す』ことによって共感的理解へと移行する」と指摘しています。

この指摘は、セラピストの主観的な体験には「情動的プロセス」だけでなく、その情動を理論的な枠組みによる「認知的プロセス」を経て「とらえ直す」というものであり、この「とらえ直し」を情動的な反応としての「共感」ではなく、共感的な「理解」という言葉で表現することができます。

これらの記述は、共感的理解において知的な理解もその一助になるということを示しています。

ここからは私見ですが、多くのカウンセラーが「傾聴」すなわち「聴く」ことを重視していますが、その必要性に劣らないのが「訊く」ことであると思います。

「訊く」とは尋ねること、質問することを指しますが、質問には質問者の理解度がかなりの程度で反映されることを知っておくことが重要です。

事例検討会でもクライエントへの質問でも、その事例に対して深く理解していればいるほど、出てくる質問はクライエントへの理解を同時に含むものになり得ます。

つまり「その質問をしてくるということは、私の問題や苦しみについてよくわかっているからだろう」ということです。

こうしたクライエントへの深い理解を「質問」という形で示すには、やはり知的な理解も欠かせないものであり、例えば、リストカットしているクライエントに対して「痛いだろうから止めなさい」という言い方は「全然わかってない」と思われても仕方ありません。

それは、自傷行為の背景に少なからず解離という機制が生じている可能性があり、また、クライエントにとって自傷行為の傷というのは本人の苦しみを明示するという点で「クライエント自身」という面も少なからず有しています。

そんな「傷」に対して「痛いから止めなさい」というのは、まさしくクライエントの問題や苦しみへの無理解を示した結果になるわけですね。

いずれにせよ、共感的理解は知的な理解を中心に行われるものではありませんが、知的な理解が共感を導く面は少なからずあり得るということになります。

本選択肢の「(共感的理解は)クライエントを知的に理解することではない」を否定すると、「(共感的理解は)クライエントを知的に理解することである」となりそうですが、本質としてはその中間で「共感的理解は知的な理解が中心ではないけど、知的な理解が共感を導く面もあります」ということになるわけですね。

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

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