公認心理師 2021-18

心理療法におけるセラピストとクライエントの関係性の中で生じる現象に関する理解が問われている問題です。

個人的に「負の相補性」を単独の概念と見なすにはしっくり来ていないのが正直なところですが、他の選択肢に関してはきちんと把握しておくことが重要だろうと思います。

問18 心理療法における「負の相補性」の説明として、最も適切なものを1つ選べ。
① セラピストとクライエントが、お互いに過去の誰かに関する感情を相手に向けること
② セラピストの働きかけに対して、クライエントのその方針に無意識的に逆らおうとすること
③ セラピストが言葉で肯定的なことを言いながら態度が否定的なとき、クライエントが混乱を示すこと
④ セラピストが問題の言語化を試み続ける中で、クライエントが行動によって問題を表現しようとすること
⑤ クライエントが敵意を含んだ攻撃的な発言をしてくるのに対して、セラピストが同じ敵意を含んだ発言で応じること

解答のポイント

心理療法におけるセラピストとクライエントの関係性の中で生じる現象を理解・説明できる。

実践上は、これらの現象に関して即座に「把握」できると望ましい(それができると試験でも浮かびやすいだろう)。

選択肢の解説

① セラピストとクライエントが、お互いに過去の誰かに関する感情を相手に向けること

こちらについては「転移」と「逆転移」について述べていると考えられます。

ちなみに、本問で示されている現象の多くは精神分析の発展の中で命名されてきたものになります(選択肢③は違う)。

こうした「セラピストとクライエントの関係の中で生じる現象」に注目し、それを治療に活用してきたというのが精神分析の功績の一つと言えるでしょう。

さて、まずは「転移」ですが、クライエントのセラピストに対する強い情動的な関係であって、狭義にはクライエントの重要な他者との情動的関係がセラピストとの関係に向けられるもので、自動的に現在において始まるとされています。

現在においては、過去の対人関係がセラピスト‐クライエント関係に生じると理解しておいて問題ないだろうと思います。

ブロイラーがアンナ・Oのカタルシス療法に失敗したとき、フロイトは転移という現象を発見し重視するに至ったのであり、これを機にフロイトは催眠を放棄することになりました。

フロイトは転移を、陽性転移と陰性転移(要はポジティブな転移とネガティブな転移)に分けて論じておりますが、正直実践上はこの分類はそれほど重要ではなく、セラピストが「今、自分に転移感情が向けられている」ことを解することができることが大切になります。

転移解釈の手続きをざっくりの述べると、クライエントが向けた転移感情は、現在のセラピスト‐クライエント関係においては不自然だったり過剰だったりするわけです。

その不自然さや過剰さに対してセラピストは違和感を覚えるので、それをクライエントと共有し、「その感情体験が過去から持ち越されたものである」という仮説を話し合い、それをクライエントの認識につなげていくことになります。

言葉にすると単純ですが、実践においてこれらを成功させるのは至難の業と言えますね。

「転移」がクライエント→セラピストという方向性のものだったのに対して、「逆転移」はクライエントに対するセラピストの意識的あるいは無意識的な情動的反応の総体を指します。

フロイトは逆転移を治療を妨げるものと捉えておりましたが(転移に対してもネガティブな認識だったが、後に精神分析治療に欠かせない現象という認識に変化した)、セラピストは自らの無意識的なコンプレックスと抵抗を知っておくことが望ましいという見解になりました。

こうしたセラピスト自身の被分析体験の重要性は、とりわけフィレンツィによって強調されており、精神分析家になるにあたって「教育分析(単純に言えば、セラピストが受ける精神分析)」が重視されるのはこの流れが一因であると考えられます。

逆転移は治療の中で活用されることが重要な概念であり、特に境界性パーソナリティ障害の治療で重要視されています(サールズは統合失調症治療においても重要としていますね)。

境界性パーソナリティ障害のクライエントは、投影性同一視という形を以って自身の陰性感情をセラピストの内に湧き起こさせるのですが、言い換えれば、セラピストは自身の陰性感情を「クライエントから投影されたもの」と見なし、それをクライエントが認識できるように働きかけることが重要になります。

この「セラピストは自身の陰性感情を「クライエントから投影されたもの」と見なす」という箇所は、言い換えれば、「逆転移を体験し、認識する」ということになります。

さて、以上が「転移」と「逆転移」の大まかな説明と、実践上の活用になります。

ここまでの説明を読めば、これらの概念が「学習」という視点によっても説明可能なことがわかると思います。

現在の状況でのわずかな雰囲気の類似に基づいて、過去に獲得された心身反応が誘発されるわけですから、転移および逆転移は典型的な学習反応であり、その苛烈さによってはフラッシュバックに近い様相を呈するものです。

そう考えると、現在から近い過去の体験ほど「転移」「逆転移」として誘発されやすく、修正もされやすいでしょうし、乳幼児期のような遠い過去にある有用な体験(つまり転移や逆転移として誘発されても、その場を凌ぐのに役立ってきたパターン)ほど強い定着性を備えていると考えられます(なお、精神分析における転移では、こうした遠い過去→近い過去という積み重ねで論じることはない。たぶん。最近は論文読んでないのでわからないけど)。

そして、転移という現象は精神分析においては「解消が治療の目標」だったわけですが、このような視点で捉えると、大切なのは「転移というパターンも残しつつ(そればかり発動されると現在に不自然な反応になることも理解してもらって)、それ以外にも多様な手続き記憶の学習の習得を目標とする」ことになってきますね。

このように、転移と逆転移は質的な相違はありません。

ただし、逆転移に関しては、セラピスト側に観察・理解・活用という治療者としての役割が課せられています。

つまり、セラピストには自身の「体験」を「認識」すること(これを客観視とか、メタ認知とか、解離機能の活用などと言い換えることができるでしょう)が求められ、クライエントに対しては、これを果たしたセラピストの介入によってセラピストと同質の「「体験」を「認識」する」という状態に導かれるというのが、転移解釈の本質であろうと思います。

以上より、選択肢①の内容は「負の相補性」を説明したものではなく、転移及び逆転移の説明となっています。

よって、選択肢①は不適切と判断できます。

② セラピストの働きかけに対して、クライエントのその方針に無意識的に逆らおうとすること

これは精神分析における「抵抗」という概念の説明文だと考えられます。

「抵抗」という現象は、クライエントの無意識的な原因への接近を妨げるものすべてを指します(ですから、本選択肢の説明は「抵抗」を指してはいますが、それ自体は「抵抗」の説明としては不十分です)。

フロイトは極めて早期に、抵抗の概念に無視できない地位を与えるところにまで導かれています。

抵抗を招く代表的な現象が「疾病利得」ですね。

これは「問題や疾病を有していることによって、無意識的には利益を得ている」という事態であり、例えば、学校に行きたくないという子ども(ただし、この行きたくないという気持ちには気づいていない)に腹痛が生じていると、その腹痛を改善しようとする動きに抵抗が生じます。

興味深いことに、身体的なケアは平気で受けますが、心理的なアプローチは受け付けないことが多いです。

おそらく無意識に「身体的なケアをしても、改善はしない」ということを理解している一方で、心理的なアプローチに関しては「自分の奥底にある問題に触れねばならない」状況であると嗅ぎ取っているという面があるのでしょう。

この「抵抗」概念を明らかに間違った捉え方をしている人が少なくありません。

抵抗とは、クライエントにとって「変化への抵抗」です。

クライエントには無意識的な問題はあろうとも、それまでの人生の中で「自らの無意識的な問題とそれに類する刺激を意識に上らせることなく生きてきた」という経緯があります。

クライエントが自らの抵抗の背景を知ることは、言い換えれば「人生の転換」となり、これには大きな戸惑いや「これまでの人生に対する意味づけの変動」が生じることは想像に難くありませんね。

ですから、クライエントは自らの無意識的なテーマに気づくことを無自覚なうちにしないようになっている(つまり抵抗を示す)わけです。

上記が適切な「抵抗」の理解なのですが、これを臨床実践に持ち込んだ途端「セラピストが適切と思い描く、治療の目標やその道程」を妨げる動きが全て「抵抗」として焦点化されている例が非常に多いです。

これは警察が容疑者に対して「抵抗するな!手を上げろ!」と伝えている意味と大差がないものであり、こうした意味合いで使われる「抵抗」とその治療手順はすべて「洗脳」の手順と同様に成り下がってしまいます。

ですから、実践上は「クライエントが認識できる抵抗感を対象にすること」や「抵抗感の意識化の効果が確実な瞬間の介入」が重要で、具体的には、クライエントとのやり取りで同じような現象が生じているときに「あれ、また同じような構造が我々の間に起こっているね」という理解を伝えることで意識化につなげていきます。

クライエントの抵抗を意識化させるための介入では、選択肢①で示したセラピストの逆転移を開示することが定石と言えます。

クライエントの語りの中で、あるテーマで必ず横道に逸れるような、淀みのない流れが堰き止められるような、そんな違和感が生じ、それが抵抗という現象の認識です(これは私のイメージなので、他の人は別の感覚を持つかもしれませんね)。

この際のセラピストの体験(逆転移)を丁寧に開示し、クライエントはセラピストの体験を観察する作業に導かれることで、クライエントが自らの話の流れを観察することになり、そこから抵抗感を意識化することにつなげていくわけです。

セラピストの認識として、クライエントが「抵抗を理解すること」よりも「抵抗について言葉でやり取りすること自体」を治療への積極的努力であると表明し、関わっていく方が大切です(抵抗の背景にある無意識のテーマは、それ自体が無意識領域にあるわけですから、理解はずっと先の課題と考えるのがよろしいわけです)。

以上より、選択肢②の内容は「負の相補性」を説明したものではなく、抵抗の説明となっています。

よって、選択肢②は不適切と判断できます。

③ セラピストが言葉で肯定的なことを言いながら態度が否定的なとき、クライエントが混乱を示すこと

こちらはグレゴリー・ベイトソンが提唱した「ダブルバインド」を説明したものになります。

単純に言えば、「同時に異なるメッセージが混在するために、その受け手に様々な混乱を招く働きかけ」であり、いわゆる「統合失調症を生じさせるコミュニケーション」として提出されました。

現在では、こうしたコミュニケーションが統合失調症を生じさせるのではなく、統合失調症者がダブルバインドメッセージへの脆弱性があると見なされています。

ダブルバインドの典型的な状況として、母親が「怒った顔をしながら」「こっちへ来なさい、と言う」という例が挙げられます。

前半の「怒った顔をしながら」というのは接近禁止のメッセージですが、後半は言語的には「こっちへ来なさい」と接近を促すメッセージを送っており、この異なるメッセージが混在することによって混乱を生じさせるという考え方になります。

ここではベイトソンが示している「ダブルバインド状況を構成する必要条件」を示しましょう。

なお、以下の記述はこちらの書籍からの引用になります(プレミアついてて高いですね…)。

  1. 二人あるいはそれ以上の人間の存在:この複数の人間の内、一人を「犠牲者」としてみることが、定義上必要である。その犠牲者にダブルバインドを課すのは母親とは限らない。母親だけでなく、他の家族成員との組み合わせでダブルバインドが成立する場合もある。
  2. 繰り返される経験:ダブルバインドは、犠牲者に繰り返し示されるテーマである。トラウマのように1回の経験が心の傷を与えるというものではなく、繰り返される経験によってダブルバインド構造に対する構えが習慣として形成される。
  3. 第一次の禁止命令:「これをすると、お前を罰する」もしくは「これをしないと、お前を罰する」といういずれかの形式を取ることになる。処罰の形として思い浮かぶのは、愛情の停止、憎しみや怒りの表示、最も過酷なケースとしては「お前はもうどうしようもない」ということを強度に表現する「見捨てられ」の経験が挙げられる。
  4. より抽象的なレベルで第一次の禁止命令と衝突する第二の禁止命令:これは第一の禁止命令と同じく、生存への脅威となる処罰またはその示唆を伴うものである。この命令の言語化は難しいが、その理由としては、①非言語的手段によって伝えられることが多い(ポーズ、ジェスチャー、声の調子、仕草、言葉の含意など)、②第二の禁止命令を言語化すると、第一の禁止命令と矛盾が生じる(翻訳しようとすると何が何やら訳が分からなくなる)、などが挙げられる。片方の親が第一を、もう片方が第二を担当することもあり、そうなれば事態はさらに複雑である。
  5. 犠牲者が関係の場から逃れるのを禁ずる第三次の禁止命令:形式的には、この禁止命令を独立で挙げることは不要かもしれない。なぜなら、第一および第二の禁止命令が強化されること自体に、生存の脅威が内包されており、また、幼児期にダブルバインドを引き入れられた者は、そもそも脱出の可能性を持たない。ただし、脱出を食い止められるための積極的な働きかけがなされるというケースも存在する。
  6. 犠牲者が自らの世界をダブルバインドのパターンによって知覚するようになってしまえば、以上の構成因子が完全にそろう必要もない。そうしたケースでは、ダブルバインド状況の任意の部分が現れるだけで、パニックが憤激が引き起こされることになる。

そして、こうした状況に置かれた結果、さまざまな反応が出ることになりますが、犠牲者が自己を防御するために取る方法は大きく3つ示されています。

まず1つ目が、あらゆる言葉の裏に自らの脅かす隠れた意味があるように思い込むケースであり、隠された意味に過度のこだわりを示し、誰にも騙されないという態度を取り、他人の言葉の裏の意味や、自分の周囲に起こる偶発的な出来事の背後に潜む意味を絶えず探し求め、その結果、猜疑心が強く他人を寄せ付けない人間になっていきます。

2つ目が、人が自分に言うことを、すべて字句通りに受け取るようになるケースであり、言葉とは裏腹な口調やジェスチャーがあったとしても、言葉の方に固執して、メタコミュニケーションのシグナルには全く意に介しません。

3つ目が、耳を塞ぐという方法であり、周りで何が起ころうとも、それを見ようとも聞こうともせず、固く身を閉ざして、周囲の反応を刺激することも必死になって避けようとするパターンであり、自分の関心を外部の世界から引き離し、自分の心の動きだけに集中する結果、一人殻に閉じこもるようになります。

ベイトソンは、それぞれを統合失調症の妄想型・破瓜型・緊張型に相当し、それぞれのやり方で自己防衛を図ると考えていました。

上記では、ダブルバインドのネガティブな側面を中心に述べましたが、実はダブルバインドという「技術」は治療上欠かせないものになります。

一つの言葉の中に多くの意味を込めたり(隠喩、暗示等)、言葉と違ったメッセージを態度で示したり(ちょっと困った顔をする、悲しそうな眼をする等)することは、治療操作ではよく活用されるものです。

例えば、「〇〇に違いないですよね!」と怒ったように言ってくるクライエントに対して、「いや、△△という考えもあるじゃないか」と伝えても素直に受け入れてくれない場合もあります。

こういう時に、「確かに一理ありますね」と伝えれば、クライエントの言っていることを認めつつも「他にも理はあるんですよ」ということを暗に伝えることができ、この部分がクライエントがカウンセリング後に自身の認識を拡大する種として機能するわけです。

ダブルバインドが混乱を招くのは間違いありませんが、心理療法において混乱は必要悪であり(クライエントの現在の認識を「混乱」させることで小崩壊を起こし、それを再構成して以前よりも柔軟性のある状態にする)、大切なのは、その濃度をクライエントに合わせて調整しながら治療の場で示すことになります。

以上より、選択肢③の内容は「負の相補性」を説明したものではなく、ダブルバインドの説明となっています。

よって、選択肢③は不適切と判断できます。

④ セラピストが問題の言語化を試み続ける中で、クライエントが行動によって問題を表現しようとすること

こちらは「アクティング・アウト(acting out)」の説明文になっていますね。

クライエントが自らの無意識的なテーマやそれと関連する体験を表出するのに、面接室外(これが「out」の部分の意味)で、行動的(これが「acting」を指す)にそれを表出することを指します。

クライエントの感情体験が言葉に置き換わって表現されたならば重要な発見がもたらされたであろう心理が、言語以外の表出の中に内的なエネルギーが吸収されてしまったために、せっかくの実りある発見を逃した、という意味がフロイトが示したアクティング・アウトなわけです。

例えば、クライエントが心理療法の中で自分の心理的課題に触れた話題になったときにイライラして帰り道でその辺の犬を蹴っ飛ばした、などの行為になります。

なお、ここでの「行動」は単に筋肉運動を伴うものに限らず、非常に広い意味を持ちます。

アクティングアウトについて「予想外の行動が起こって、それがセラピストの気に入らないものならばアクティングアウトとラベリングする」という事態を多く見ますが、困ったものです。

確かに、心理療法という営みには「いろんな行動をいったん止めて、その奥にあるものを話し合う中で見ていこうね」という暗黙の約束事があるわけです。

これは、「本来、言語的に表現されていれば何らかの展開があっただろう事柄を、心理療法の場以外で行動で表現してしまったために、それを心理療法の場で扱うことができなくなった」という現象が起これば、確かに心理療法上は良くないわけです。

ただし、それはあくまでも心理療法という枠組みから見て好ましくないだけであって、現実世界では思いを言葉にして表現するような状況はごく僅かであり、ほとんどの場合は行動で表現するのが当たり前のことであるという常識的な認識もセラピストには必要ですね。

そうした認識を以って関われば、クライエントが生まれて持っている性質(言語化を得意とするか否か、行動主体でやり取りすることの有益さ等)が見立てられ、心理支援の方針に別の観点が生まれることもあるでしょう。

なお、土居先生の有名な言葉に「雨が降ってもアクティングアウト」というのがあります(神田橋先生が述べておられますね)。

これは「自然現象による面接のキャンセルであっても、キャンセルという行動の中にさまざまな思いが吸収されている。こうした「行動」に「思い」が吸収されて、面接の場に出てこなくなることを「アクティングアウト」と呼ぶ」という考えが背景にあります。

よって、引っ越し等の具体的・現実的な理由であったとしても、その中にどのような思いがあるかをやり取りすることが重要ということになります。

アクティング・アウトは「言葉に置き換えたら新しい展開が生まれるようなものが、そこにあるような気がする」というのが本質ですから、クライエントの行動をもたらした外的な出来事の要因が何であれ、アクティング・アウトになる場合があるということですね。

以上より、選択肢④の内容は「負の相補性」を説明したものではなく、アクティング・アウトの説明となっています。

よって、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ クライエントが敵意を含んだ攻撃的な発言をしてくるのに対して、セラピストが同じ敵意を含んだ発言で応じること

こちらが「負の相補性」を示す内容となっていますね。

そもそも相補性とは、関係の中で自分に持っていない部分を相手が補うことを指します。

しかし、この「負の相補性」とはそういった意味とは違う形で用いられているようです。

岩壁茂(2007)が心理療法の失敗・中断として「負の相補性」を指摘しました。

これはセラピストとクライエントが互いに怒りと敵意を増幅させてしまうことによるもの(公認心理師必携テキスト 学研)とされています。

クライエントが持つ対人関係パターンに、セラピストが怒りで対応することで、互いの怒りを増幅させてしまうということです。

このように敵意や支配といった否定的な部分をクライエントとセラピストが相互に探してしまい、相互が同じように否定的な行動を形成することを指します。

クライエントが有する対人関係パターンでみられる典型的な反応を、セラピストが行ったときに生じるとされており、心理療法の失敗や中断の要因になるとされています。

「負の相補性」概念は、転移や逆転移という現象よりも普遍的・一般的なものとされています。

個人的には、転移に関しては「現状況でのわずかな雰囲気の類似に基づいて、過去に獲得された心身反応の型が誘発される現象」というものでしょうから、負の相補性と転移・逆転移概念との線引きって難しいなという印象です。

私にとって、転移や逆転移も普遍的・一般的な現象ですから、わざわざ名前を変えて表現しなくても良いんじゃないかなと思う次第です(そうでなくても、最近はある大きな理論の一部分を切り出し・拡大・命名することで、あたかも「私が新発見した」かのような概念として提出している例を多く見るので、なんだかなぁという感じです。負の相補性がそうかはわかりませんけどね)。

いずれにせよ、本選択肢の内容は「負の相補性」を説明する内容として合致しています。

よって、選択肢⑤が適切と判断できます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です