公認心理師 2018-151

20歳の男性A、大学生の事例です。

事例の内容は以下の通りです。

  • 大学のサークル内の人間関係におけるトラブルを経験した。
  • その後、周囲の様々な物が不潔だと感じられるようになり、それらに触れた場合、馬鹿らしいと思っても何十分も手を洗わずにはいられなくなった。
  • 手を洗うことで一時的に不安は弱くなるが、手を洗うのをやめようとすると不安が強くなった。
  • やがて、日常生活に支障を来すようになり、医師の紹介で相談室を訪れた。
これらを踏まえて、Aに対する行動療法として、最も適切なものを1つ選ぶ問題です。
こちらは「強迫性障害」であると見立てた上で解いていくことが求められています。
強迫性障害については、私は成田善弘先生の「強迫性障害 病態と治療」をバイブルにしつつ支援にあたっています。
2002年初版のやや古い本ですが、成田先生の臨床観や経験が反映されており、とても興味深く読ませて頂きました。
他にも古典から新しいものまで読みましたが、個人的には成田先生の記述が一番しっくりきました。

解答のポイント

強迫性障害に有効な行動療法の技法を把握していること。
強迫性障害に対する多少の力動的理解があることが望ましい。

選択肢の解説

『①Aの不安が一時的ではなく完全に消失するまで手洗い行動を続けさせる』

上記の成田先生の書籍には以下のような記載があります。
治療者の中には、症状をがまんすることは有害無益だとして、「心配なら納得いくまで手を洗えばよい」といった助言をする人もあるという。この種の助言はほとんどの場合症状を増悪させる。患者は「納得する」ことがいつまでもできないからである」
症状に対する見方はさまざまでしょうが、強迫性障害では「置き換え」の機制が働いていると見る向きが多いと思います。
置き換えとは、「本人も気がついていない対処困難な問題(もしくは何か根源的な不安など)がある場合に、その問題を対処可能なもの(見せかけの不安)に無意識のうちにすり替えること」を指します。
※上記の置き換えの定義は「田中茂樹先生の「靴をそろえる話」:こころの科学193 p122」の引用です(こちらもおススメです。親の子どもに対する小言、指示、方向づけなどが、どういった心理を背景にして生じるのかを論じています)。
強迫症状が「置き換え」の結果で生じるとすると、あくまでもその「症状」は見せかけの不安であり、根本的な不安に変化がない以上、選択肢にあるような手洗い行動を続けさせることで不安が「完全に消失する」ということは起こり得ないと考えられます。
よって、選択肢①は誤りと言えます。

『②触った手で洗いたくなるような不潔な物をAに回避させることで、不安を弱くさせる』

後述しますが、強迫性障害に有効な行動療法の技法がいくつか明らかにされております。
その主な技法では、①不安を何かしらの形で喚起する状況を作り、②その不安を抱えることを重視し、③不安を解消するような行動は取らせないようにする、という形になっています。
そして選択肢にあるような「回避させることで、不安を弱くさせる」ということは実際には起こりません
安心は「不安が無い」ということではなく、「不安があっても大丈夫」という状態を指します。
選択肢の方法は「不安の無い世界=安心できる世界」という認識が背景にあるように読み取れますが、それは適切ではありません
例えば、不登校児の保護者の中にも、上記の点を誤解している方がおられます。
不登校児の不安を全て取り除こうと、学校も友人も日常的な不穏感情もすべて解消しようとして、結果として子どもが外の世界を怖がるようになっていることも少なくありません。
スピッツの8カ月不安(俗に言う人見知り)を例にとると、親という「慣れ親しんだ」対象が生じたことにより、それ以外の対象に不安を覚えるわけです。
この点からも「安心」と「不安」が本質として一体・地続きのものであることが読み取れます。
片方を切り捨てようとするほどに、もう片割れも失われていくということが生じます。
以上より、選択肢②は誤りと判断できます。

『③手を洗った後で、本当に手がきれいになったかどうかを家族に確認してもらい、手洗い行動を減らしていく』

こちらについては成田先生の有名な論文「強迫神経症についての一考察-「自己完結型」と「巻き込み型」について」を知っていることが求められます。
このうち「巻き込み型」は、強迫行為に他者の手助けを求め、ときには代行を要求するなど、症状に他者を巻き込んでいきます
これは不安を自分だけでは解消することができず、他者を動員して解消しようとします。
この他者ははじめは確認、保証を与えたり、不潔を洗い落としたりして患者の不安を解消、軽減する役割を担っているように見えますが、次第にこの他者が新たな危険や不安を生じさせるようになります。
つまりはじめは不安を解消してくれる存在であった人物が次第に新たな不安を作りだす存在になってしまうので、それを解消するためにその他者をよりいっそう支配し操作せざるを得なくなります
こうした他者コントロールの在り方は、Grinbergの言う「全能的コントロール」にあたり、境界水準の病理と考えることができます。
成田先生は「巻き込み」に対して、下記のような対応を述べられておられます。
「不安の解消を他者に手助けしてもらっていては、2人がかりで不安に対処していることになり、あなた自身の心が不安を抱えていられるようにはならない。こころの器がいつまでも大きくならない。たとえ苦しくても不安を心の中に容れておいて自分で対処しよう。そうしていると次第に心の器が大きくなり、不安を容れておけるようになる」
このようにして「巻き込み」に対してはリミット・セッティングが重要になります。
選択肢の内容は、むしろこの「巻き込み」を誘発する形になりかねず、危険です。
よって、選択肢③は誤りと判断できます。

『④不潔だと感じる物に意図的に触れさせ、手洗い行動をしないように指示し、時間の経過とともに不安が弱まっていくことを確認させる』

選択肢の手法は曝露反応妨害法(exposure with response prevention)を指しており、強迫性障害に有効な行動療法の技法とされています。
「曝露」とは患者を不安反応にさらす手続きで、「反応妨害」とは恐怖反応が生じてもその状況から回避しないようにする手続きを指します。
具体的には、患者が「不潔だ」と感じてもその不安の中にいるようにして、「手を洗う」という反応を起こさないようにすることを言います。
不安を心の中に容れておいてすぐには対策を講じないようにするという点は、森田療法で言う「あるがまま」であり、第三世代行動療法のマインドフルネスとも近い印象を受けます。
不安は時間を経てピークに至りますが、その後に自然に納まることが明らかにされています。
しかし、強迫性障害の場合は不安の強さから、回避行動に出てしまうことが多いとされるので、その納まりを体験してもらうという意味もあります。
また、上記で示したような「不安を自分で抱えておくことで、不安を抱える心の器が大きくなる」というイメージが、私個人はぴったりときます。
「曝露後、時間が経過するとともに、不安や不快感が少なくなる」ということや、「曝露後に強迫行為をしなくても、実際には恐れていることは起こらない・強迫観念は、実際には気にする必要のないものだった」ということを患者が学んでいくとされています。
以上より、選択肢④は正しいと判断できます。

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