公認心理師 2020-38

 問38はインテーク面接に関する問題です。

特段、特別な知識を要する問題ではないのですが、それ故に自分なりの理解をもっておくことが重要な内容とも言えます。

生活の適応、情報収集、動機づけ、共感、生物・心理・社会モデルなど、それぞれの意義をきちんと理解することは、実践においても役立つに違いありませんからね。

問38 インテーク面接におけるアセスメントについて、不適切なものを1つ選べ。

① クライエントの生活における適応状態を確認する。

② 支援を受けることについての動機づけを確認する。

③ クライエントの問題に関連する情報を初回で漏れなく収集する。

④ 客観的な情報収集に努めながら、クライエントの語りを共感的に聴く。

⑤ クライエントの問題の心理的要因だけでなく、生物的要因や社会的要因についても評価する。

解答のポイント

インテーク面接で行われる基本的な事項と、それらの意義について理解していること。

選択肢の解説

① クライエントの生活における適応状態を確認する。

インテーク面接において、クライエントの実生活における適応状態を把握することはとても大切なことです。

この中には、家庭内での生活だけでなく、社会的な生活、例えば、仕事での適応や地域での適応も入ってきます。

こうした実生活での適応によっては、現実を客観的に捉える力(現実検討力)やクライエントと外界の境界の確かさ(自我境界)なども推定できますし、用いている防衛機制が現実に即しているか否かの見立てにも役立ちます。

一般には外界との適応が良い場合の方が、精神的健康度は高いと見なされます。

しかしながら、クライエントがカウンセリングに訪れているという事実を踏まえれば、クライエントは何らかの苦慮感を抱えていると見なすのが自然です。

現実適応が良い場合、そのクライエントはカウンセリング場面でも「適応的」に振る舞う可能性があることを考慮しておくことが大切です。

例えば、カウンセラーの望むようなことを言いはするが、クライエントの本質的な問題(例えば、陰性感情を抱えている自分など)を表現することはない、などですね。

現実適応の把握は、こうした先々のカウンセリングで起こる課題を推定することにもつながるのです(インテークですから、こういう予測もインテーカーの仕事の一つです)。

また、クライエントの抱えている問題がどれほど生活に支障を来たしているかは、クライエントの問題の軽重を見極める上で大切な視点です。

例えば、強迫性障害であれば、その強迫行為や観念が実生活をどれほど障害しているかは、見立てにおいて重要なポイントとなってきます。

一般的には生活に支障を来たしているほどクライエントの苦慮感は大きくなりますが、その苦慮感故に動機づけの高さが見込めるという面もありますね。

ただし、客観的に見れば明らかに実生活に支障が出ているのに、「問題はない」と動機づけが低いクライエントもあります。

その場合であっても、背景にどういう心理があるのかを見立てることでアプローチを模索するきっかけになりますね。

もちろん、クライエントが実生活で適応的であれば、問題が少ないと端的に見立てられるわけではありません。

二者関係・三者関係という言葉がありますが、これは簡単に言えば、クライエントと他者との関係の中で「テーマ」の有無によって分けられます。

例えば、クライエントと他者との関係に「テーマ」がなく、互いの関係性自体がやり取りの中心になる場合は二者関係に該当します(赤ちゃんと母親、蜜月状態の恋人同士など)。

これに対して、クライエントと他者の関係に「テーマ」がある場合、この関係は三者関係と見なされます(お見合いなどで「ご趣味は?」と聞きますが、これは「趣味というテーマ」が存在しているので三者関係ということです)。

クライエントの中には、二者関係(例えば、幼児期のクライエントと母親との関係)に深い傷つきがある一方で、三者関係ではそこそこうまくできるという場合もあります。

こういうクライエントの場合、社会生活はそこそこうまくやっていることが多い(社会生活のほとんどは三者関係ですからね)のですが、二者関係になった途端に関係性の中に問題が生じてくることがあります。

インテーク時のような「関係の始まり」では安定したやり取りができたとしても、回数を重ねてラポールが構築されると、それまでの安定が嘘のようなさまざまな反応を示すという場合も少なくありません。

このように、生活での適応具合は端的にクライエントの健康度を反映するとは限りませんが、それでもクライエントの抱えている問題を同定しやすくなる重要な指標であることは間違いありませんね(ここで挙げた例の場合、クライエントには二者関係の傷つきがあると見立てることができる、ということ)。

なお、カウンセリング場面において治療構造は明確な「現実」として機能します。

実生活、特に社会的な場面での適応が悪いクライエントの場合、カウンセリング場面においても「現実」を司る治療構造との折り合いが悪いことが出てくると想定しておくことが大切です。

以上のように、クライエントの実生活での適応を把握することで、現在のクライエントの問題の軽重だけでなく、これからのカウンセリングで生じるであろうさまざまな課題も推定することができます。

よって、選択肢①は適切と判断でき、除外することになります。

② 支援を受けることについての動機づけを確認する。

情報収集と動機づけを高めることは、インテーク面接の主要な仕事であると言ってよいでしょう。

クライエントのカウンセリングに対する意欲を知る上で、動機づけの確認は必要な仕事の一つと言えます。

まずクライエントの動機づけが高い場合、一般にはカウンセリングの枠組みについて説明したり、治療契約を交わすなどの手順についてもやり取りがしやすく、スムーズな導入になることが多いだろうと思います。

動機づけが高いと見立てられる場合、「動機づけが高いこと自体」に関する質問もインテークで行うことも考えてよいでしょう。

例えば、学校などのように他者の目が多少ある中での来談にも関わらず動機づけが高い時には「一般的にカウンセリングを受けるときには、受けること自体を迷う人が多いけど、そういう迷いはなかったですか?」などですね。

これによって、それまでクライエントを支えてきた存在がいたことや、どのような支えが助けになったか、悩みを表現するということに関するクライエントのイメージ等を把握しやすくなります。

ただし、動機づけが高いからと言って必ずしもカウンセリングが順調に進むというわけではありません。

例えば、クライエントの抱えている問題について、クライエントは外界に問題があると思っていても、実際はクライエントの心理的課題によって生じているということもありますね。

このように「動機づけの高さ」は、「クライエントが正しく問題を認識している」こととイコールではないことは理解しておく必要があります。

それでも、特にカウンセリングの導入において「動機づけの高さ」は重要な事柄ですので、把握するよう努めることには変わりませんが。

カウンセリングに来る人のほとんどは、自らそれを求めて来ている、自分には何か問題があってその解決に専門家の元を訪れていると一般的には見なされているかもしれません。

しかし、我々が対応しなければならないのは、必ずしも自ら支援を求めてくる人たちばかりではありません。

具体的には、病識のない精神病者は支援を求めないことも多いですし、中には支援者を迫害者と見なすことも少なくありません。

パーソナリティ障害の人の中には、自らは悩まないけど、周囲の人たちを悩ませていることもあります(パーソナリティ障害に限らないけど、割合として多いので)。

親に言われてしぶしぶ来談したというクライエントもいるでしょう。

全般的に言えば、何かしらの病にかかったり問題を抱えて苦しんでいる人は、自身の不幸を理不尽と感じ、その理不尽ゆえの持って行き場のない怒りを支援者に向けるということもあります。

特に近年、自身の不幸を「権利の侵害」と他罰的に見なす人が増加傾向にあり、この怒りを支援者にぶつけるというパターンも見受けられます。

こういう時には、支援自体を止めたくなる気持ちになるのが人情ですが、それでもクライエントはカウンセリングの場に訪れたわけであり、たとえ動機づけが低いと見立てられた場合であっても彼らが「支援の対象にならない」ということを意味しません。

「カウンセリングには来たくなかった」という場合であっても、「来たくないと思いながら、それでも来たのは何か理由があるんですか?」と問うことはインテークにおいて大切です。

また「カウンセリングなんか意味ない」という場合であっても、もしかしたらクライエントは自分の問題に対してさまざまな対応や工夫をしてきて無駄だったという経緯があり、その無力感を表現していることも考えられ、カウンセラーがその理解を伝えることで理解されたという思いを高めるかもしれません。

カウンセリングに対して否定的である=動機づけが低い、と見なされがちですが、実際は彼らがカウンセリングに対して否定的にならざるを得なかった事情について理解を示すことで動機づけが高まることも期待できますね。

このように、カウンセリングにおいてクライエントの動機づけを確認することには、様々な事項に関する理解が進んだり、推定できる事柄が増えるという価値があると言えます。

よって、選択肢②は適切と判断でき、除外することになります。

③ クライエントの問題に関連する情報を初回で漏れなく収集する。

インテーク面接では、クライエントのそれまでの経緯や、問題に対する認識等々など尋ねることが必要な事項が少なからずありますし、クライエント自身も自分の問題について長く述べることが考えられます。

こうした点を考慮し、一般にインテーク面接では長めに時間設定をすることが多いとされています。

しかし、どれほど時間をかけたとしても、インテークの時点で全ての情報を漏れなく収集することは不可能です。

それは時間という物理的な要因だけではありません。

クライエントが自身の問題について「正しく把握している」ということは、実際にはなかなか起こらないことです。

これは「クライエントだから」ではなく、多くの人間にとって共通です。

自分の内に「何が起こっているかわからない事態」や「言葉にならない何か」があって、それが心理的問題を引き起こしているということがかなり多いのです。

むしろカウンセリングの目標の一つが、こうした「自分の心理的課題に関する自覚」であるということもあり得るでしょう。

それほどに「自分の問題を正確に把握する」ことは、殊に心理的問題に関しては重要なのです。

例えば、自分のナルシシズムに気がついた人と無自覚な人では、圧倒的に気がついている人の方が「ナルシシズムを手懐ける」のが上手です。

すなわち、インテーク面接で「クライエントの問題に関連する情報を初回で漏れなく収集する」のは構造的に矛盾があるということになります。

ですから、カウンセラーはインテーク面接の情報を踏まえて仮説を立て、その仮説を前提とした支援を行っていきます。

その支援の道中で、仮説の修正が迫られる事態が起こったら(例えば、仮説と矛盾する情報やクライエントの特徴が見出されるなど)、新しい情報を踏まえた仮説に修正していくことが大切です。

こうした「仮説を立てて、それに沿って支援を行う」→「新たな情報をもって仮説を修正する」という繰り返しの中で、クライエントの情報は蓄積され、より綿密で適切な方向性のある支援が可能になるということです。

つまり、クライエントの情報はインテーク面接で完結するものではなく、その後の面接をもって補完され続けると考えるのが妥当ですし、関係性の中でクライエントの情報が補完されていく過程自体がカウンセリングと言えるのです。

以上より、選択肢③が不適切と判断され、こちらを選択することが求められます。

④ 客観的な情報収集に努めながら、クライエントの語りを共感的に聴く。

本選択肢は「情報収集にかまけすぎること」の問題を端的に表しています。

即ち、情報収集は大切ですが、そればかりとなるとクライエントに「取り調べみたい」「根こそぎにされた」「言うか迷っていることまで言ってしまった」という思いを抱かせる危険性もあります。

情報収集と併せて、クライエントの語りとその背景にある思いに共感的であることが大切で、それによってクライエントのカウンセリングへの動機づけを高めることも可能です。

ここで、そもそも「共感的に聴く」ということの価値を考えておきましょう。

クライエントに限らずですが、苦慮の中にいる人の思いに共感的に接することによって、語っている人の内に「自分の思いが理解された」という感覚とサポートのイメージが送り込まれます。

そのイメージがあることによって、その人は次の苦慮を「自分一人で抱えている」のではなく、「サポートしてもらえたイメージと共に抱える」という状態が内的に生じます。

要は「一人だけど一人じゃない」「同行二人」の状態となり、苦慮に対するゆとりが生じ、その人の改善への工夫が生じやすくなるというわけです。

もちろん、「自分の思いが理解された」ということ自体にも支えの機能があることは言うまでもありませんね。

ただし、ロジャーズも言っていることですが、受容なり共感という概念は、本質的に「クライエントがそう感じる」ことで成立します。

いくらカウンセラーの側が「共感した」「受容した」と言っていたとしても、それがクライエントに伝わってなければ「やっていないのと同じ」なのです。

この手の危険は、カウンセリング過程を語るときに「このときに受容した」「こうやって共感を示した」と技術的に述べるカウンセラーほど生じやすい傾向にありますので気をつけましょう(そもそも受容や共感は「現象」であり「技術」ではありませんので、意識的な「した・しない」という枠組みで語るものではありません。もちろん「受容や共感という現象が生じやすくするための技術」はありますが)。

また、インテーク面接での共感についても考えてみましょう。

クライエントの話を聞いていて、「確かにそう思うよね」と素直に感じる事柄であれば、自然と共感的な接し方になるでしょう。

しかし、インテーク面接という見立ても同時に行うことが大切な状況においては、「共感的に接しやすい」ことよりも、「共感的になりにくい」ことの方が大切な場合も少なくありません。

言い換えるなら、インテーカーが聞いていて「よくわからない」「どうしてそのように思うのだろう」と感じる箇所こそ、クライエントの課題や問題が潜んでいることがあるということです。

もちろん、これはインテーカーが心の論理に聡いことが前提になりますが(人の気持ちに対する理解がないと、インテーカーが自分の感覚をもとに見立てを組み立てられないから)、だからこそ、インテーカーにはそれなりの経験をもつベテランが置かれることが多いのです。

そして、こうしたインテーカーの理解が難しい点に関して、クライエントに侵襲的にならないようにしつつ質問を重ねていき、クライエントの気持ちを引き出して理解につなげたり、わからないところを共有して保留にするなどの対応が大切になります。

このように、インテーク面接における共感には、それを通してクライエントの理解を深めたり、問題を明らかにするという意味もあるのです。

もちろん、先述したように、共感によって支え機能を高めるという価値もありますので、カウンセリング過程のどの段階においても共感は重要な概念になると言えますね。

以上より、選択肢④は適切と判断でき、除外することになります。

⑤ クライエントの問題の心理的要因だけでなく、生物的要因や社会的要因についても評価する。

本選択肢は、インテーク面接において「生物・心理・社会モデル(biopsychosocial model」の重要性を把握しているかを問うています。

このモデルでは、心理的問題は生物学的要因(脳神経、遺伝子など)、心理学的要因(パーソナリティ、認知、感情、ストレスなど)、社会学的要因(家族、職場、地域のソーシャルネットワークや文化、教育、経済状況など)のそれぞれが複合して生じると考えます。

従って、こうした各領域の要因を解きほぐして詳しく分析し、そのうえで心理的問題に対して見立てを行っていくことが大切です。

更に、これら3つの要因が重なる部分を検討することで、全体像を捉えることが可能になると考えられます。

この重なりと検討するということは、クライエント独自の事情を把握し、理解していくことが求められます。

例えば、元々発達的な凸凹があったが、それ故に心配した保護者は愛情に基づき幼児期から家庭では療育漬けの毎日だった、そしてそのゆとりのない生活がストレスとなって発達要因とは別の問題が生じるようになった…というストーリーには「生物・心理・社会」の全ての要因が絡んでいますね。

そして、こういうことを理解することによって、クライエントやその環境に対して、どのようなアプローチを行う必要があるか考えやすくなるのです。

このようにインテーク面接において(もちろん、それ以降の面接においても)心理・生物・社会の各要因を踏まえたアセスメントは大切です。

よって、選択肢⑤は適切と判断でき、除外することになります。

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