公認心理師 2019-123

問123は集団式の能力テストに関する問題です。
どれだけ調べても、明確な根拠が出てこない選択肢③でした…。
どの検査のことを指しているのかも不明ですから、解説を書いていて闇の中を手探りで彷徨っているような感覚を覚えましたね。
一応、粘って解説を書いてみましたが不十分であることは間違いないでしょう。

問123 知能検査を含む集団式の能力テストについて、適切なものを1つ選べ。
①個別で実施することはできない。
②第二次世界大戦を機に兵士の選抜のために開発された。
③学校での成績の予測妥当性は相関係数にして0.60を超える。
④学習障害や発達の遅れのスクリーニングとして使うことができる。

この問題、選択肢②以外は一体どの検査を想定しているのかイマイチ要領を得ません。
選択肢②などはアーミーテストを想定しているのだろうと思えますが、それ以外の選択肢はそうは思えませんし…。
とりあえず、考え得る方向性で解説していこうと思います。

解答のポイント

少なくとも集団式の知能検査に関する歴史的な流れを把握しておく。

選択肢の解説

①個別で実施することはできない。

集団式の能力テストで現在よく行われているのは、いわゆる「標準学力テスト」です(文部科学省が行っている「全国学力・学習状況調査」と言えばわかりやすいかもしれませんね)。
毎年、北陸勢(石川、福井、富山)と秋田が日本一を争っているやつです(私立学校は任意参加ですから、超優秀な子どもたちは受験していないということになりそう)。
標準学力テストは特定の学校や地域を超えて比較可能な共通尺度で個人の学力を測定するためのテストであり、個人の集団内での相対位置を評価することができます
テストの得点は、全国の学生生徒を適切に代表する標本をもとに標準化されます。

上記からもわかるとおり、大切なのは「集団内での個人の相対位置を評価する」という点にあります。
集団で実施することに価値があるのではなく「相対評価をするために、その年齢の子どもたちの多くに実施していること」が重要なので、個別に受けることが悪いというわけではありません
もちろん、個別で受けるか集団で受けるかで結果が変わってくる可能性もありますが、小規模校の児童・生徒が存在することや体調の関係で個別に受ける児童・生徒がいるという事態も考えれば、個別で受けることができないということはないと見なすのが合理的です

以上より、選択肢①は不適切と判断できます。

そう言えば、どこかの市長が「全国学力・学習状況調査の正答率に数値目標を設け、達成度合いによって校長・教員の評価やボーナス、学校予算の増減に反映させる制度案」を示したことがありましたね。
この考え方には大きな瑕疵があります。

まず「なぜ、正答率が低い学校の学校予算を減らすのか?」という点です。
例えば、家庭の経済状況と成績には一定の相関があるとされているわけですから、むしろ成績が低い学校には手厚く予算をつけることで改善を図ろうとするのが、本当に子どもたちのことを考えたときの対応になるはずです。

また「達成度合いによって校長・教員の評価やボーナスを増減させる」という考え方の背景には「教員の危機意識が一切伝わってこない」というを主張していますが、そもそも教員の教える意欲が「カネで左右できる」と思っているという時点でいただけません。
あまりに教員を、そして教育を低く認識しているということが透けて見えるわけです。

教育は水と同じです。
どんなに統治が乱れようと、その地域の経済状況が厳しくなろうと、「常に一定水準のものが提供されねばならない」という類のものなのです(だから私は水道民営化も反対。そもそも水道民政化は世界各地で失敗した事例がたんまり(確か200例を超えている)とあるのに)。
そういう大切なものをカネというものさしで左右しようとするその在り方に、私は深い徒労感を覚えるのです。
私の感覚では、こういう発言って一発で失職ものだと思うのですが、どうもそうなっていないようなのでよくわからない世の中です。

②第二次世界大戦を機に兵士の選抜のために開発された。

1917年にアメリカが参戦したとき、心理学者から成る委員会が構成されました。
第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、連合国対中央同盟国の戦闘により繰り広げられた世界大戦であり、こちらへの参戦がきっかけになっているということですね。
この委員会では、オーティスの集団検査用の案を採用して、陸軍検査(アーミーテスト)を作りました。
このアーミーテストの中には、英語をよく理解する者を対象とし、言語的な要素を多く含んでいるアルファ(α)検査と、英語をよく解さないものを対象とし、言語を用いることの少ない作業から成っているベータ(β)検査があります。


知能検査は2019-4で示した通り、ビネーによって最初に開発されました。
このときの目的としては、公立学校で知能程度が大体等しい児童を集めて学級を編成すれば、教育する上で効果が上がるのではないかと考えたということがあります。
これが1905年のことですが、1912年に上記のオーティスが集団式知能検査を開発したということになりますね。
これが集団式知能検査の起源であり、そのあとオーティスは1918年にターマン(ビネー式検査の有名な改定を行った人)と協力して軍人徴兵用の集団式の「α式検査」「β式検査」を開発しました。



有名なアメリカ軍部の集団知能検査としては、R・M・ヤーキーズらが1918年に開発した「USアーミー・テスト(米国陸軍式知能検査)」があります。

ヤーキーズは、英語を母国語とする兵士たちの知能水準を言語機能(語彙・文法・論理・記憶など)で測定する「α式検査」と、英語の読解能力が十分でない移民・外国人の知能水準を図形・記号・数字・絵画などの問題で計測する「β式検査」を作成しました。


これによって何をしたのか?
兵士の配置を決めたわけです。
言語を解したり、知的な能力が高い方が作戦等を決める・伝える位置におかれましたし、そうでない方は言語が必要でないような位置におかれました。
操作操縦に高度な技能・知識を要する科学技術(戦闘兵器)が戦争に使用され始めたことも関係しています。


これらの出来事(子どもの知能を測る・兵士の能力を測る)という出来事によって、実は知能検査は急速に発展していったわけです。
知能検査の発展を理解する上で、戦争という出来事は切り離せないということを覚えておきましょう。

ちなみにウェクスラー式で見られる言語性知能・動作性知能という枠組みは、こうしたα検査・β検査の名残です。


以上より、選択肢の内容は不適切と判断できます。

③学校での成績の予測妥当性は相関係数にして0.60を超える。

まず予測妥当性とは、検査の結果と検査を実施してから一定の期間を経て得られた外的基準との相関関係の大きさのことを指します。
この場合、集団式の能力テストの予測妥当性は、その後の学校の成績を外的基準として評価されることになりますね

さて、先述の「全国学力・学習状況調査」を調べても、「USアーミー・テスト(米国陸軍式知能検査)」を調べても、この予測妥当性がサッパリ出てきません。
日本での代表的な集団式知能検査である「京大NX」でも出てきません。
細かく書籍を調べてみれば予測妥当性が載せてあるようなものもあるのかもしれませんが。

どうもアンダーアチーバー・オーバーアチーバーという概念とも関連がありそうな選択肢ですが、該当するようなデータを見つけられずにいます。
手持ちの資料では限界がありそうです。

ただ、一般に、学業成績は学生の行動の一発現形態にすぎません。
年少児童での圧倒的規定因である知能(偏差値あるいはIQ)の規定力は大きく後退し、これのみではもはや学業成績の予測力はきわてめ小さく、しかしながら、これに匹敵しうるような規定因も現在のところ定説がないとされています

以上、不十分ではありますが、選択肢③は不適切と判断できると思われます。
明確な根拠がわかる方がおられたらコメント頂けると幸いです。

④学習障害や発達の遅れのスクリーニングとして使うことができる。

集団式知能検査は、それこそ先述した「USアーミー・テスト(米国陸軍式知能検査)」の頃から、スクリーニング検査のように用いられてきました。
例としてアーミーテストの使用手続きを示すと以下の通りです。

  1. 被験者が読み書きできるかを調べ、可能な者にはαを実施する。
  2. 読み書きできない者と、αに失敗した者にβを実施する。
  3. βにも失敗した者や、その他必要と認められる者には、個別検査を実施する
この場合の(この場合に限らずですけど)スクリーニング検査とは「簡便なやり方で、精密検査を必要とする者をふるい分けするための検査」のことです
集団式の能力検査は、学校などで大量に検査するためのものであり、その多くは一般の学力検査と同じように教室の机で行われます。
そして、この能力検査で特徴的な結果がでたら個別式検査を行って再検査するという手順を採ります。
なお、集団式の能力検査の実施時間は学校の授業時間(45分程度)内に収まるようになっている場合が多いです。
以上より、選択肢④が適切と判断できます。

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