公認心理師 2021-37

成人のクライエントへの心理検査の目的として、不適切なものを選ぶ問題です。

心理検査全般に関する理解を述べておきました。

問37 成人のクライエントに対して行う心理検査の目的として、不適切なものを1つ選べ。
① クライエントによる自己理解や洞察を深める。
② セラピストのセラピー継続への動機づけを高める。
③ クライエントに関わるスタッフの支援の手がかりとする。
④ セラピストがクライエントの理解を深め、支援の方針を決定する指標にする。
⑤ セラピストとクライエントの間で、コミュニケーションやセラピーを深める道具とする。

解答のポイント

心理検査を行う目的、その目的を達成するための臨床家の役割を把握している。

選択肢の解説

① クライエントによる自己理解や洞察を深める。
③ クライエントに関わるスタッフの支援の手がかりとする。
④ セラピストがクライエントの理解を深め、支援の方針を決定する指標にする。

ここに挙げた選択肢は「クライエントに関するデータを増やすことで支援に役立て、それがクライエントの利益になる」ということに集約されるだろうと思います。

これが心理検査を実施する最も大きな目的と言えるでしょうね。

本問では「成人のクライエントに対して行う」とありますが、選択肢①にあるような「自己理解や洞察」が年少のクライエントには難しい場合もあるから、そうした限定が付されることになったのでしょうね。

心理検査を支援に活かすという点においては、ここで挙げたような選択肢が一般に言われることですが、実践ではその「過程」こそが重要と感じることが多いです。

特に、セラピストが検査を勧めるにあたって、クライエントが検査の必要性にどの程度納得できるかが重要と言えます。

セラピーの効果には、クライエント自身のセラピーへの能動性が大きく関わってきますから、検査を通して「自分に関する傾向」について積極的に知ろうとするクライエントは能動的に自分の問題に向き合おうとしていると考えられ、当然ながら心理検査の結果をその後の展開に活かすこともしやすくなります。

ですから、セラピストは「クライエントがその心理検査を受けることに納得できる(納得させる、ではない)」だけのものを提供することが責務であり、ベターなのは「セラピーをしていて、当然の帰結として心理検査という選択肢が前面に出てきた」という状態であり、同意を取ることなく同意が取れているという形になると良いだろうと考えています。

このように「クライエントが心理検査を受けることに納得している」という状態であれば、そこで出た結果を共有して「クライエントによる自己理解や洞察を深める」ということも、「セラピストがクライエントの理解を深め、支援の方針を決定する指標にする」ということも共同作業の中で行うことができますし、「クライエントに関わるスタッフの支援の手がかりとする」ことにも自然となっているわけですね。

時折、病院に行って検査を受けるように助言したにも関わらず、クライエントが行かなかったり(予約を取らなかったり)、行ったにしてもDrに対して「言われたから来た」「なんで行けと言われたのか分からない」などと伝える例を見聞きします。

こうした事例を「クライエントの無理解」や「クライエントの意欲の無さ」「クライエントの問題意識の低さ」と見なすのは誤りであり、上記で述べたような「クライエントの納得」を引き出すことができていないためであると言えます。

「クライエントの納得」を引き出すためには、検査の良い面や役立つ面を伝えるだけではなく、検査を受けることへの葛藤や不満についてもやり取りすることが重要です。

なぜなら、クライエントの検査を受けることへの葛藤や不満は、それ自体が自身の問題や症状に対する葛藤や不満であり、それらをやり取りすることがセラピーであると言えるからです。

心理検査を受ける、そしてその結果を目の当たりにするということは、自身の問題や症状に直面するという面が少なからずあるわけですから、その辺の葛藤が消化されていなければ、当然、検査への消極的な態度となって現れます(静かなアクティング・アウトと言えますね)。

こうした「クライエントの納得」があり、クライエントが能動的に検査やその結果に向き合うという形ができているならば、その結果がどうあれ、「クライエントによる自己理解や洞察を深める」「セラピストがクライエントの理解を深め、支援の方針を決定する指標にする」「クライエントに関わるスタッフの支援の手がかりとする」という形になるでしょう。

以上より、選択肢①、選択肢③および選択肢④は成人のクライエントに対して行う心理検査の目的として適切と判断でき、除外することになります。

② セラピストのセラピー継続への動機づけを高める。

こちらについては、まず「セラピストの」というところが引っかかりますね。

心理検査を行うことは、それなりの負担をクライエントに感じさせることになります。

時間を割くことにもなりますし、検査によっては2時間以上も脳を酷使することもあり得ますし、場合によっては金銭的にも安くはない検査もあるわけです。

そうしたクライエントに負担をかける行為を「セラピストのセラピー継続への動機づけを高める」ために行うのは、明らかに倫理的な問題があると見なして良いでしょう。

クライエントはセラピストのために居るのではありません。

ちょっと迷うのは、主語が「クライエント」だった場合です。

個人的には、それでもやはり違和感があります。

なんとなく「クライエントのセラピー継続への動機づけを高める」なら良さそうな気もするのですが(前述とは違って、クライエントのために検査を使っているわけですからね)、個人的には「クライエントの動機づけを高めるために検査を行うのは違うのではないか」と思っています。

私は「クライエントの動機づけが高まる」という現象は、あくまでも検査結果をやり取りする中で付随的に生じるものであり、それ自体を目的として行うものではないと思っているのです。

つまり、クライエントの動機づけは、検査結果を巡る「セラピストとの関係性」で生じると私は考えていて、本質として「検査を受けたから動機づけが高まった」とは捉えていないわけですね。

「クライエントの動機づけを高めるのは、あくまでもセラピストの役割として行うべきことである」と考えているので、その動機づけを高めるという役割を「心理検査という方法に外注する」と見える考え方については、やや否定的な立場にあるということです。

この辺は異論もあるでしょうし、クライエントの問題や状況によっては、心理検査を絡ませた方が動機づけが高めやすいのも理解しております。

あくまでも「これがセラピストの責務として行うべきことである」という認識の下で活動した方が、責任という重みを感じつつセラピーにあたることができ、そちらの方がセラピスト‐クライエントの双方にとって良い結果になることが多いという実体験に基づく考え方と捉えておいてください。

このように主語が「クライエント」なら議論の余地が出てきますが、それが「セラピスト」になっている本選択肢は、どの角度から見ても不適切と言えるでしょうね。

よって、選択肢②が不適切と判断でき、こちらを選択することになります。

⑤ セラピストとクライエントの間で、コミュニケーションやセラピーを深める道具とする。

心理検査がセラピストとクライエントの間でやり取りされる事態である以上、そこにはコミュニケーションが発生します。

そして、心理検査の中にはこうした「コミュニケーション」に重きを置いたものもあります。

言い換えるのであれば、心理検査の中に心理療法的な要素が混じってくるわけで、その配分は検査によって様々です。

例えば、風景構成法はその描かれた風景を解釈して人格査定を行うという面もありますが、それよりも実施時のセラピスト‐クライエントの「やり取り(フリーハンドで枠を描く、それを手渡す、描くアイテムを伝える、それをクライエントが描く…)」が重要で、それ自体がセラピーの効果があるとされています。

もっと心理療法的な要素を強めたものとして、箱庭療法(作られたものを「眺める」ことはするけど、その解釈よりもそれを作ること自体の心理療法効果を重視する)があり、こちらは「心理検査」ではなく「心理療法」の枠組みに属するほどですね。

他にも交互色彩分割法(枠を描き、その枠内を分割する線をセラピストとクライエントが交互に描く。その後、出来上がった各領域にセラピストとクライエントが交互に色を塗っていく)は、極端に「やり取り」に限局した技法であり、出来上がった絵画を解釈するという要素はぐっと少なくなります。

このように、心理検査と心理療法の境界線は実は曖昧であり、そこにコミュニケーションがある限り、常にその両方の意義を意識しながら心理検査に臨むことが臨床家には求められます。

より年少のクライエントであれば「検査をしながら関係性を作る」というのは非常にイメージしやすいでしょうし、もちろんそれは年少のクライエントだけに限定の話ではありません。

本問の前提となっている「成人のクライエント」であっても、やはり検査を介したコミュニケーションやそれによって生じるセラピーの効果を念頭に置きながら実施することが重要になります。

ただ、一部の心理検査においては、この「コミュニケーション」が、その結果を歪めるものと見なし、できる限りその関係性の影響が出ないようにする場合もあります。

例えば、ロールシャッハテストでは、それまでセラピーを担当していたセラピストが検査を実施することで、一般的には出にくいとされる反応も出やすくなる(見えたとしても言うのが憚られる内容が、関係性があることで表現できる)とされています。

発達検査などでは、関係性があることで子どもが甘えたり飽きたりする傾向が出やすくなることが考えられますね。

ですから、それまでセラピーを担当していたセラピストと別にテスターを設けて、その人が心理検査を実施するという場合もあるわけです。

もちろん、クライエントの実態に近い姿が心理検査結果に反映されることが第一義と捉えられる状況は間違いなくあるわけですから、それが期待できるような状況設定を行うのが心理支援を行う人間の責務と言えます。

しかし、上記のような視点で「本選択肢は不適切だ(から、こちらの選択肢を選ぶべきだ)」というのは間違いです。

なぜなら、テスターが実施する心理検査場面であっても、テスター‐クライエントという人間関係でのコミュニケーションは存在するわけで、それを加味した解釈が重要になってきます。

非常に大きな言い方をすれば、それまでセラピーを担当してきたセラピストも心理検査を実施するテスターも「心理臨床に携わる人間」という枠組みでは同一であり、クライエントの「心理臨床に携わる人間」との間で生じるコミュニケーションパターンが発動されているわけです。

ですから、どのような状況においても、心理検査場面でコミュニケーションやセラピーの要素を除外することはできないということになります。

以上より、選択肢⑤は成人のクライエントに対して行う心理検査の目的として適切と判断でき、除外することになります。

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