公認心理師 2021-79

クライエントの発言から、最も優先的に考慮すべきものを選択する問題です。

多くの人が思い浮かべる性被害以外にも、見立てを有しておきたいものです。

問79 教育相談の現場での遊戯療法において、小学4年生の女子Aが、「授業が分からない」、「友達がいなくて学校に居場所がない」、「お父さんがお布団に入ってくる」、「おばあちゃんが入院中で死なないか心配」と話した。
 公認心理師として、最も優先的に考慮するべきものを1つ選べ。
① Aの学力
② Aの祖母の病状
③ Aの父親の行動
④ Aの学校での居場所
⑤ Aのソーシャル・スキル

解答のポイント

それぞれの発言から想定される事柄に基づいて判断できる。

選択肢の解説

① Aの学力
② Aの祖母の病状
④ Aの学校での居場所
⑤ Aのソーシャル・スキル

これらに関してはそれぞれ、「授業が分からない」「おばあちゃんが入院中で死なないか心配」「友達がいなくて学校に居場所がない」という言葉を受けてのポイントであろうと思います。

授業が分からないから「Aの学力」が、祖母が入院中だから「Aの祖母の病状」、友達がいないから「Aのソーシャル・スキル」、学校に居場所がないから「Aの学校での居場所」という感じでしょうか(ソーシャルスキルに関しては、もしかしたら「遊戯療法の場で、こういう話を矢継ぎ早にしているという在り方」からの判断かもしれませんが、それでもそれは正誤判断に重要な話ではありませんね)。

これらはどれかが優先順位が高いとか低いとかは無い話です。

もしかすると、人の生き死にという点で「祖母の病状」の優先順位が(この4つの中では)高いと見なす人がいるかもしれませんが、それは誤りです。

もしも、これら3つの話が全て現実の出来事だとしたら、Aの「心配」は「生きていれば誰にでも起こり得る現実的な事実に基づいた、自然な反応である」と見なすことができます。

もちろん、出来事の種類によってAが感じる「心理的衝撃」の度合いは違ってくるでしょうが、「生きていれば誰にでも起こり得る現実的な事実に基づいた、自然な反応」という意味ではすべて同じなわけです。

こういう反応に対して「教育相談の現場での遊戯療法」を行っているカウンセラーができることは、この「自然な不安」を受けとめ、共感的に接するということに尽きます。

「共感的に接する」ということの意義を述べておくと、しんどい心理状態にある人に対して、その気持ちや体験を理解する、理解されていると感じると、「しんどいときに、それを理解してもらったという体験」がその人の中に残ります。

それが次の「しんどい体験」があったときに、身体に残存している「しんどいときに、それを理解してもらったという体験」が賦活化され、「共に在る」「同行二人」の心境がその人の中に生じるわけです。

つまり「一人だけど一人じゃない」という心理状態になり、目の前の「しんどい体験」に客観的には一人で受けとめるということが可能になるわけですね。

すなわち、共感という現象は、クライエント(に限らず多くの人)が自立(孤立ではない)するために必要な体験と言えます。

ちなみに「共感という現象」と述べたのは、共感を技術的に述べる人がいるという事実を受けてです。

共感というのは「使う」とか「する」とか、そういう意識的に行うようなものではありません。

カウンセラーとクライエントの間に生じる現象であり、カウンセラーが「した」と思っても、クライエントがそう感じなければ「共感」ではないのです(この点についてはロジャーズも明確に述べていますね。クライエントが感じていなければ意味がないんです)。

言い換えれば、カウンセラーが「共感的に接しよう」なんて思わなくても、やり取りの中でクライエントが「わかってもらえた」「理解してもらった」という体験が生じれば、それは「共感という現象が生じた」と言えるわけです。

このように、共感という現象は安易に技術的に捉えてよいものではありませんが、あえて技術的に「共感という現象が生じやすくするために必要なこと」を述べるとするならば「訊く技術」を研磨することが重要です。

「聴く」ではなく「訊く」なのは、要は質問を適切に行う能力を高めるという意味を持っています。

ただ頷いて「聴く」ことが共感という現象を生じさせるのではなく、クライエントの話を「聴き」つつも、どういうポイントで「立ち止まって」「疑問を覚えて」「質問をするか」ということが適切にできることで、クライエントに「わかってもらえた」とか「理解されている」という感覚が生じやすくなります。

こういうことを意識しつつ普段の臨床を行っていくと良いかもしれませんね。

さて、先述の通り、ここで挙げた選択肢の背景にある「授業が分からない」「おばあちゃんが入院中で死なないか心配」「友達がいなくて学校に居場所がない」というAの話に関しては、その現実を受けとめる苦しさをサポートしていくのが第一です。

その先に、Aの知的能力の見立てが必要か否か、祖母の不在によるAの反応とサポート、学校でのAの立ち位置や人とのかかわり方の見立て、などについて考えていくことになるでしょう。

これらは、それぞれに専門的な視点が多少は必要になりますが、「Aに起こり得る現実」と「それを受けとめるAを支える」という基本的な方針の枠内のお話となります。

ですから、それほど複雑な見立ても必要なく、常にやるべきことが目の前に開けているという感覚で行うことができるはずです。

このいずれもが「重要ではない」ということではありませんが(人の悩みは常に、その人にとって重要なもの)、客観的に見て「異常な状況」ということにはなりません。

ですから、後に述べる正答となる選択肢とは明らかに質が異なるものと言えますね。

よって、選択肢①、選択肢②、選択肢④および選択肢⑤は、この状況において最も優先的に考慮するべきものとは言えないと判断できます。

③ Aの父親の行動

さて、こちらの選択肢は「お父さんがお布団に入ってくる」ということを受けての「考慮すべきポイント」となりますね。

もちろん、こちらが最優先されるのですが、こういう話を聞いたときに以下の3つの可能性を浮かべておく必要があります。

  1. 性的虐待の可能性
  2. Aの想像上の話の可能性
  3. Aの注目欲求がさせた話の可能性

これらについて一つひとつ解説していきましょう。

本問の正誤判断の基準となるのは1になります。

まずは児童虐待防止法の定義を示しておきましょう。


第二条(児童虐待の定義) この法律において、「児童虐待」とは、保護者がその監護する児童について行う次に掲げる行為をいう。
一 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。
二 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。
三 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。
四 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。


本問の「お父さんがお布団に入ってくる」というのは、上記の性的虐待を疑う状況と言えます。

ちょっと難しいのが、この発言だけで通告するには躊躇いが生じるということですね。

小学校4年生の女の子ですから、ふつうは「お父さんがお布団に入ってくる」ということはあり得ないでしょうが、例えば、いつもは母親が布団に入って寝かしつけていたけど、その時は母親が忙しかったので父親が母親がやるようにやったとか、そういうこともあり得ないわけではないんです。

これは「性的虐待じゃない可能性を探す」という意味ではなく(もしもそういうスタンスで情報を得ようとすると、必ずAを傷つけるからやってはいけない)、短絡的に通告を行うことで「問題がなかった家族関係を無意味に揺さぶる」ということを懸念してですね。

ですから、この「お父さんがお布団に入ってくる」という点について注目して、それとなく、しかし得るべきものを得るという気持ちをもって話を聞いていくことが大切になるでしょう。

そもそも、こうした「あるポイントに注目して、より話を聞いていかねばならない」という状態になるということ自体が、「この点が最も優先的に考慮しなければならない」ということの傍証になっています。

さて、上記だけでも解説しては十分なのですが、割合としては非常に少なくても考えねばならない事柄が他にもあります。

それが上記の2の「Aの想像上の話の可能性」です。

フロイトは1896年に「ヒステリーの病因について」を発表し、ヒステリー患者の女性は幼児期の性的虐待がトラウマとなり精神疾患を引き起こすとする「誘惑理論」を公表しました。

フロイトは女性12人、男性6人の患者を診察し、一人の例外もなく幼児期に性的虐待を受けていた事実を突き止めていましたが、この1年後、前説が変わり、性的虐待の事実は無く幼児性欲による幻想であると修正しました(ただし、同時にそれらの外傷的な記憶は心の真実として意味を持つとした)。

このようにヒステリー傾向のあるクライエントの場合、想像上の出来事として、しかし、それが心的真実として認識されているということはあり得るのです。

こうした事例は、性的な事柄に対する認識がずいぶん変わった現代(フロイトの時代は、そういう想像をするだけでも良くない、という感じだったらしい。事実、フロイトの患者の多くは裕福層の夫人が多かった)においては、非常に数の少ないものになっています。

ですが、私自身もこういう事例に出会ったことがありますし、全くないとは言い切れません。

クライエントがヒステリー傾向(キーキーしてるという感じではなくて、ちゃんと精神医学的な意味としてのヒステリー)がある場合、その可能性はごくわずかですがあると考えて関わっていくことが大切になります。

そして、この場合は本問で問われている「最も優先的に考慮するべきもの」にならないかと言われればNoです。

やはり、ヒステリー傾向を背景にした「幻想」を示すという時点で、臨床心理学的な問題を備えていると見なすのが妥当であり、それ以外の発言よりも注目すべきであるという事実は変わりませんね。

最後に上記の3の「Aの注目欲求がさせた話の可能性」も考えていく必要があります。

簡単に言えば、自分に注目してほしい、自分に構ってほしい、自分に関わってほしい、という欲求があり、それが「お父さんがお布団に入ってくる」という多くの人が「注目せざるを得ない話」を出してきたという考えですね。

性的な話で注目欲求を満たそうとする子どもは少ない気がしますが(学校に居るといじめの話題が多い)、それでも「多くの人が注目する」という意味では非常に効果的な話題と言えますね。

難しいのが、性被害であると見立てた場合と、注目欲求と見立てた場合で対応がまるで変るところです。

性被害である場合はリスクアセスメントを行った上で通告なりを考えていくわけですが、注目欲求の場合は興味深く聞き、心配したりするような関わりが本問の時点ではベースになるでしょう。

見分けるポイントですが、注目欲求の場合は、あまり危機感のない話し方をしたり(笑いながら話すなど。ただし、性被害があれば解離もあり得るので笑うから性被害ではないとは言えない)、普段から人の気を引くような言動が多いという傾向があるはずです。

その辺をもって見立て、対応していくことが重要になりますね。

さて、この場合には「最も優先的に考慮するべきもの」にならないかと言われればNoです。

なぜなら、「高い注目欲求を有する」ということは、裏を返せば「家庭を中心として、必要な注目を向けられていない」ということが導かれるためであり、この点に改善すべき関係性があると見立てられるからです。

ですから、他のAの発言よりも、やはりこの「お父さんがお布団に入ってくる」という発言は優先度が高いと言えますね。

なお、注目欲求に基づく場合は、何も「お父さんがお布団に入ってくる」だけでなく、他の発言(「授業が分からない」「おばあちゃんが入院中で死なないか心配」「友達がいなくて学校に居場所がない」)の背景にもある場合があります。

常に、複数の見立てを保持し、その中でも最も可能性が高いものを選択するという思考の癖を持っておくと良いでしょう。

以上より、どのような見立てであろうと「お父さんがお布団に入ってくる」というのが最も優先度が高い発言と言えますね。

よって、選択肢③が最も優先的に考慮するべきものと判断できます。

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