公認心理師 2021-147

事例の状況から担任に行う最も適切な提案を選択する問題です。

学級で起こっている問題が何か、そこにどうアプローチするのがその問題の改善に最も効果的であるかを説明していくことが大切ですね。

問147 40歳の男性A、小学4年生の担任教師。Aは、スクールカウンセラーである公認心理師Bに学級の状況について相談した。Aの学級では、児童同士が罵り合ったり、授業中の児童の間違いを笑ったりすることがたびたび起きている。学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまうため、トラブルに発展している。Aは、児童の保護者数名からこの件について対応するよう要望されており、A自身も悩んでいるという。
 BのAへの提案として、最も適切なものを1つ選べ。
① WISC-Ⅳ
② 道徳教育
③ スタートカリキュラム
④ メゾシステムレベルの介入
⑤ ソーシャル・スキルズ・トレーニング〈SST〉

解答のポイント

事例の状況でアプローチすべき点と、そこへのアプローチ法として最も適切な方法を理解している。

選択肢の解説

① WISC-Ⅳ

本事例においては「児童同士が罵り合ったり、授業中の児童の間違いを笑ったりすることがたびたび起きている」ということが問題として上がっていますね。

そして、こうした問題の背景には「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」ということが既に見立てられており、それによって「トラブルに発展している」というストーリーが構築されています。

現時点では、こうしたストーリーに基づいて対応していくことが妥当だろうと言えますし、本問の正誤判断では「こうしたストーリーを有している問題への対応として、各選択肢の対応が適切か否か」を考えていくことが重要になってくるわけです。

さて、そうした前提を踏まえて、本選択肢の「WISC-Ⅳ」の是非について考えてみましょう。

WISC-Ⅳの活用法は現場によって様々ですが、概要としては知能を測ることができる、知能をいくつかの機能に分けて、その各機能についても測ることができる、という知能検査ですね。

その特徴を生かして、学校現場では知的な問題が窺える、知的機能のバランスに偏りがありそう、といった児童・生徒がいたときに学校と本人や保護者、教育委員会などで話し合いながらWISC-Ⅳの実施を教育関係の機関が行ったり、医療機関受診を通して実施してもらうということが多いです。

このように教育現場でWISC-Ⅳを行うのは、①知的機能に問題が見受けられる場合、②知的機能のバランスに問題が見受けられる場合、に多いだろうと思います(①に関してはビネー式でもできますが、②に関しては知能をいくつかの機能に再分化しているということを前提としている知能検査であることが重要になりますね)。

こうしたWISC-Ⅳの実施が検討される状況を踏まえると、本事例のような「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」ということの改善を目指すツールとしてWISC-Ⅳを選択するのは不適切であろうと考えられます。

もちろん、「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」という事態が、特定の児童の言動によって引き起こされており、その児童に発達的な特徴や知的な問題が見受けられるようであれば、その児童にWISC-Ⅳの実施を検討するということもあり得ます。

ですが、本事例の状況の時点では、起こっている問題の改善にWISC-Ⅳを選択することはないと考えられますし、他にも現実的な問題があります。

それは、「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」という複数人の児童が同じような行動を取っているときに、全員にWISC-Ⅳというそれなりに時間と手間のかかる(2時間前後は取る。またテスターも限られる)検査を行うのは現実的とは言えません。

また、この問題の内容では「指導の問題」と保護者から認識される可能性もあるので、そんな中で「児童の知的機能」を問題視するような対応を学校が取るのは整合性の説明が困難であると言えます。

以上のように、WISC-Ⅳが活用される状況が本事例の問題と合致しないこと、時間や手間というコストの問題、対応に関する合理的な説明が困難であること、などを踏まえるとWISC-Ⅳを実施することはないでしょう。

よって、選択肢①は不適切と判断できます。

② 道徳教育

既に述べたとおり、本事例では「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」ということが問題であり、ここを改善するアプローチを考えていくことが求められています。

本選択肢の「道徳教育」が、この問題の改善のためのアプローチに該当するか否かを考えていきましょう。

文部科学省の「道徳教育」に関する認識としては「道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする」とあります。

そして、教育基本法や学校教育法で定められた教育の根本精神とは、何を指すのか引用してみましょう。


【教育基本法】

第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第二条(教育の目標) 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

第五条(義務教育) 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。
2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。
4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。

【学校教育法】

第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
二 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
三 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
四 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
五 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
六 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
七 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
八 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
九 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
十 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。


関係ありそうな箇所としては上記になります。

こうした根本精神に基づいて「自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする」のが道徳教育であるわけです。

このように見てみると本選択肢の「道徳教育」で狙っているものの範囲は非常に広いことがわかります。

範囲が広い故に「確実に本事例の問題の対処として間違っている」とは言えませんが、範囲が広いが故に「具体的な問題の改善として行うには、幅広すぎて狙いがぼやける」というマイナスがあります。

本事例では「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」という明確な問題が提示されており、この点の改善が求められているわけです。

もちろん道徳教育という広い枠組みで捉えれば、この問題へのアプローチができなくもないのですが、よりピンポイントで本事例の問題にアプローチする方法があれば、そちらが優先されることは言うまでもありません。

そして、本問においては他選択肢で「よりピンポイントで本事例の問題にアプローチする方法」が示されておりますので、そちらを選択することになります。

以上より、選択肢②は最も適切とは言えないと判断できます。

③ スタートカリキュラム

スタートカリキュラムとは、小学校に入学した子どもが、幼稚園・保育所・認定こども園などの遊びや生活を通した学びと育ちを基礎として、主体的に自己を発揮し、新しい学校生活を創り出していくためのカリキュラムのことを指します。

つまり、小学校と幼児教育との接続をなだらかにして、学校生活への適応が図られるように工夫されたカリキュラムということになります。

遊びを中心とした幼児期の教育から、教科等の学習を中心とした小学校教育への接続を工夫した指導計画ということですね。

本事例は「小学校4年生」のクラスでの問題であり、幼児教育からの接続の不良によって生じたと見なすには無理があることがわかります。

また、「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」ということが幼児教育からの接続が上手くいかなかったことで、小学校4年生まで問題が続いていると見るのも、たとえそういう面があったとしても現実的ではありませんね。

もちろん、小学校1年生から同様の問題がずっとあるのであれば、スタートカリキュラムについて考えてみるのも良いかもしれませんが、それは小学校1年生の段階でやるべきことであって小学校4年生の本事例の段階でするべきこととは言えません。

以上より、本事例の状況で「スタートカリキュラム」について考えることを提案するというのは、小学校4年生の現在の問題への対処としては行われないものであると言えますね。

よって、選択肢③は不適切と判断できます。

④ メゾシステムレベルの介入

「メゾシステム」というのは生態学的システム論で用いられることの多い表現です。

生態学的システム論とは「積極的で成長しつつある人間と、そうした発達しつつある人間が生活している直接的な行動場面の変わりつつある特性との間の、漸進的な相互調整についての科学的研究である。この過程は、これらの行動場面間の関係によって影響を受け、さらにそれら行動場面が組み込まれているもっと広範な文脈によって影響を受ける」と定義されています。

雑にまとめれば、個人と個人を取り巻く環境との相互作用を通じて、人間は発達していくという考えを示した理論ということになるでしょうか。

生態学的システム論では、人間の発達過程に関連する環境の構造について、発達しつつある人に直接作用している行動場面だけに限定せず、個々の行動場面間の相互の関わりから派生するような、さらに大きな外的環境を含む「生態学的環境」として捉えます。

この生態学的環境は、マトリョーシカのように同じ中心をもつ入れ子構造をしたシステムとして分析され、それぞれのシステムは、マイクロシステム・メゾシステム・エクソシステム・マクロシステムとよばれます(こちらのサイトにあった図がわかりやすかったので転載します)。

こちらの図にもあるように、マイクロシステムとは入れ子構造のいちばん内側にあるレベルで、発達しつつある人を直接包み込んでいる行動場面はマイクロシステムとよばれ、「それぞれに特有の物理的、実質的特徴をもっている具体的な行動場面において、発達しつつある人が経験する活動、役割、対人関係のパターン」と定義されます。

自分と親(家庭)、自分と学校など、自分と直接的に関わる対象や場所との相互関係を指します。

第2のレベルは「発達しつつある人が積極的に参加している二つ以上の行動場面間に見られる相互関係」からなるシステムで、メゾシステムとよばれます。

直接関わる複数のシステム同士の相互関係を指し、例えば、自分の親と担任の先生(それぞれ自分にとってはマイクロシステムの関係)との相互関係などのことを指します。

子どもにとって家庭・学校・近所の遊び仲間との間にある関係、おとなにとって家族・職場・社会生活との間にある関係がこれに相当します。

第3のレベルは「発達しつつある人が積極的に直接参加していないが、その人が参加している行動場面で生ずる出来事に影響を及ぼしたり、影響されるような出来事が生ずるマイクロシステムやメゾシステムの外側にあるシステム」で、エクソシステムとよばれます。

自分とは直接関連していないものの、他の人を介して自分やその周囲(マイクロシステムやメゾシステム)に影響を与える相互関係で、例えば親の会社(父親の会社が忙しくなって帰りが遅くなり、夜一緒に遊べなくなる、授業参観に来てくれなくなるなどして、自分の行動に影響が出る)が挙げられます。

幼い子どもの場合、両親の職場、兄姉が通っている学級、両親の友人ネットワーク、地域の教育委員会等の活動が相当し、いずれも子どもに影響を及ぼしたり、子どもの状況によって影響が及ぼされます。

第4のレベルは「マイクロシステム、メゾシステム、エクソシステムの形態や内容の一貫性およびその背景にある信念体系やイデオロギー」で示されるシステムで、マクロシステムとよばれます。

ここまでに紹介した3つのシステムの背景にある決まりごとなどのことを指し、子どもは小学校に行き、両親は家事や仕事の合間を縫って保護者会に参加し、担任の先生は毎日授業を行うといった行動様式は、日本の学校文化や義務教育制度があって成立しており、自分の生活に影響を及ぼしているものです。

本選択肢では「メゾシステムレベルの介入」とありますから、本事例で言えば、家庭と学校との関係性への介入ということになるでしょう(子ども本人が関わっているシステム同士の関わりを指すから)。

となると、本問の「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」という問題は、家庭と学校の関係性に課題があることによって生じていると見なしていることになります。

もちろん、家庭が学校に対してネガティブな思いを持っていれば、子どもが学校で適応的な行動ができなくなる場合はあり得ます。

しかし、本事例では子どもたちが学校というシステムに対して不穏を向けているのではなく「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」という子どもたち同士のコミュニケーションに問題があるとされていますね。

ですから、現時点ではシステム間の問題と見なさずに「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」という問題に直接介入できるような方法を考えることが求めらえると言えます。

メゾシステムとしては、他にも「家庭と地域」「学校と地域」なども考えられますが、やはり同じく「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」という問題の発生と直接関わっていると見なすのは無理があるでしょうね。

以上より、選択肢④は不適切と判断できます。

⑤ ソーシャル・スキルズ・トレーニング〈SST〉

SSTはアメリカの精神科医リバーマンによって考案され、当初は主に精神疾患のある人たちに適用されていたが、医療機関や療育施設などで、社会的コミュニケーションに課題を抱える発達障害の子どもや大人に対しても様々な形で適用されるようになりました。

SSTは、行動理論、社会的学習理論に基づく技法であり、①教示:目標とする行動を教える、②モデリング:その行動を実際に行って見せるなどして見本を示す、③リハーサル:目標とする行動を実際に行って練習する(ロールプレイ)、④フィードバック:目標の行動が適切にできているかどうかを伝え、できていれば賞賛し、できていなければ修正点を伝える、⑤般化:トレーニング場面で獲得したスキルを日常生活のどのような場面でも、誰に対しても活用できるよう促す、という5つのトレーニングが基本要素です。

なお、「ソーシャルスキル」の定義は研究者によって多様ですが、①仲間から受け入れられること、②人との関わりにおいて好ましい結果が得られ、好ましくない結果を回避できること、③社会的妥当性、の3つの観点から特徴づけられるとされています。

本事例では「学級の児童の多くが、自分の感情を直接、他の児童にぶつけてしまう」という明確な問題が設定されています。

そして、この問題がトラブルに繋がっているというストーリーがあるわけですから、ここにアプローチしていくことが重要になります。

SSTだと明確に目標とする行動を設定しますから、本事例だと「自分の感情を適切に伝えられるようにする」などが目標になるでしょう。

その上で、適切な行動の例示をし、リハーサルを行い、それをしてみてのフィードバックを体験する等、いくつかの手順を踏みながら行っていくことができます。

このレベルのものであれば、小学校での教育プログラムとしてSCが行うこともあり得る内容であると言えますね。

クラスの子どもたちも、内心は不適切な感情をぶつけられて良い気分ではないでしょうし、その不快さがまた不適切なコミュニケーションを生んでいるという悪循環を生じさせている可能性もあります。

この悪循環にストップをかける意味でも「適切な感情の伝え方」を子どもたちに入れているアプローチとしてSSTはあり得る選択肢であると考えられます。

よって、選択肢⑤が適切と判断できます。

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