公認心理師 2022-44

日本における思春期・青年期の自傷と自殺に関する問題です。

統計資料を示すだけではつまらないので、私なりの「なぜそうなるのか」に関する見解も示しておきました。

問44 我が国における思春期・青年期の自傷と自殺について、適切なものを1つ選べ。
① 10代の自殺者数は、男性よりも女性の方が多い。
② 10代の自傷行為は、女性よりも男性の方が多い。
③ 非致死性の自傷行為は、自殺のリスク要因ではない。
④ 繰り返させる自傷行為は、薬物依存・乱用との関連が強い。

関連する過去問

なし
※自傷行為に至る論理やリスクアセスメントに関する過去問は多数。

解答のポイント

自傷行為とは何か、その物語を臨床家として備えていること。

選択肢の解説

① 10代の自殺者数は、男性よりも女性の方が多い。
② 10代の自傷行為は、女性よりも男性の方が多い。

まず選択肢①の10代自殺者の性差については「令和2年中における自殺の状況」に記載されているので、こちらを参照にしましょう。

こちらによると令和2年度の少年(警察庁の資料なので、少年であっても男女両方のことを意味する)の自殺者のうち男性が13543人(66.9%)、女性が6707人(33.1%)となっております。

これに対して、選択肢②の10代の自傷行為に関しては、様々な研究結果が示されています。

海外の疫学調査では、従来言われてきたほどには自傷行為は女性に特異な現象ではなく、性差がないことが示されています。

日本の研究でも、中高生における自己切傷の生涯経験率は男子7.7~8.0%、女子9.3%~12.1%となっており(山口&松本,2005)、大きな性差は認められていません。

とは言え、やはり自傷行為で相談しに来る性別を見ると女性が多いというのが確かな体感なわけですが、その理由としては自傷行為をする男性の場合は反社会的な行動に及ぶ傾向が女性に比べて決定的に高く、それによって医療をはじめとした心理支援の場には男性が登場しにくいということが考えられます。

また、従来から女性の方が援助希求行動を取りやすいということも言われていますね。

いずれにせよ、10代の自傷行為については、従来から女性が多いとされてきましたが、こちらについてはあくまでも「相談に訪れる割合」という認識でよく、実態としては自傷行為に男女差は少ないと見ておいた方が良いでしょう。

ここからは思想の話に近くなりますが、上記のような男女差、特に男性の方が他害的行動が多くなる理由について述べていきましょう。

神田橋條治先生は「「現場からの治療論」という物語」という書籍の中で、以下のように述べております(こちらの書籍は有名なコツ三部作を連なる「団子の櫛」に該当する書籍とされていますね。私もここ数年でようやく「読める」ようになりました)。

  • 太古の海の中で「いのち」という構造物が発生しました。それは、ふたつの意思の誕生でした。存続の志向と自在性への志向、言い換えると保守の志向と革新の志向です。
  • 前者が主になったのは繁殖であり、後者が主となったのは進化でした。
  • ちなみに後年「愛」と呼ばれるものは保守の志向の発展形であり「攻撃性」と呼ばれるものは革新の志向の発展形です。

私はこの神田橋先生の「物語」に全面的に賛同しており、若年者の臨床実践をしていると「いのちのもつ志向」を意識するようになり、こうした捉え方をすることで様々な問題について別方向の視点を持つことが可能になります。

上記の「保守と革新」ですが、私の感覚では前者は女性に強く、後者は男性に強いという印象を持っています(これは神田橋先生が述べているわけではなく、あくまでも私の印象に過ぎません。ですが、こうした見解は例えば養老孟司さんの著作の中でも見ることができますね)。

そして、革新の志向は進化の志向とありますが、これをもう少し噛み砕いて述べていくと、進化の志向が強いということは「目の前にある環境への不快感が強い」ということを表します。

「目の前の環境への不快感が強い」からこそ、それを「壊す:攻撃性」ことを経て、自身にとって心地良い環境を作ろうとするわけですが、これが人類の発展という視点で見れば「進化」になるわけです。

つまり、目の前の環境を不快に感じ、それを壊して、自分にとって心地良いものにしようという欲求は男性に強く、だからこそノーベル賞を取るような科学者になるとどうしても男性に偏る傾向が出てしまうのだろうと考えています(彼らが攻撃性が強いというのではなく、そうした「いのちの志向」を社会的な形で表現しているという意味では非常に成熟しているわけです)。

しかし、こうした「環境に対する不快感と攻撃性」は、それを抱える主体の成熟度が乏しいほど社会的に不適切な形で表現されることがあります。

この発露は、私の経験で言えば2歳を過ぎたあたりから見え始め(この時点で既に性差が見られる)、「思い通りにならないと1日中泣き止まない」という訴えとして現れ始めますし、環境を操作しようとする様々な行動が見られることもあります。

精神分析で言う「操作」の原型はここにあるというのが私の意見であり、すなわち、「操作」の根っこには「外界を自身の心地良いものに変えようという進化の志向」があるというわけですね。

こうした「外界に対する不快」と「それを壊して心地良いものにしようとする欲求」は男性の方が強く、それが未熟な形で表現されると、どうしても外界に対する反社会的な行動という形になってしまうのではないかと考えているわけです。

こうした「物語」を「いのち」は持っており、それ故に、上記の挙げたような「男性は、自傷行為だけでなく反社会的な行動で表現することが多い」という事実に繋がっていくということですね。

こうしたお話に「根拠」や「エビデンス」はありませんから信じたくない人は別に構わないのですが、臨床実践をする際に「どうしてこういう男女差が生じるのか」「男性の方がなぜ外界に発する割合が高いのか」「女性の方がなぜ事態に「耐える」傾向が高いのか」などについての臨床家としての見解を持っておくことが重要になりますし(こういう見解を持っている方が、発する言葉や雰囲気に確かさが生じる)、そういう見解っていうのはどうしても「思想」のお話になってしまいます。

こちらは私が持っている「物語」になりますが、それぞれの臨床家が自身の経験からこしらえていけばいいだろうと思っています。

以上より、10代の自殺者は男性の方が多く、10代の自傷行為は性差が無かったり女性の方が多くてもわずかであると見るのが適切です。

よって、選択肢①および選択肢②は不適切と判断できます。

③ 非致死性の自傷行為は、自殺のリスク要因ではない。
④ 繰り返させる自傷行為は、薬物依存・乱用との関連が強い。

自傷行為の歴史を遡ってみると、Menningerは間接的手段による緩徐な自殺行為である慢性的自殺(物質乱用・依存など)と並ぶ自殺の亜型として、故意に自分の身体の一部を損傷する行為である局所的自殺という概念を提唱しました。

これは自傷行為と自殺とが関連のあるものと見なす考え方ですが、その後の研究や実践の積み重ねの中で、この2つが直接的に結びつくわけではないという見解が示されるようになりました。

Walsh&Rosen(1988)はShneidman(1993)の自殺理論を援用し、自殺との相違点を明らかにしながら、自傷の再定義を試みています。

  1. 行為の意図:自殺において意図されているのは意識活動の終焉であるが、自傷において意図されているのは、感情的苦痛の緩和や解離状態からの回復といった、意識状態の変化である。
  2. 身体損傷の程度・致死性:自らを切ることによって自殺した者は、成人の自殺既遂者の1.4%、若年者では0.4%と少なく、しかもその大半が頚部を切っており、上肢・下肢を切った者はほとんどいない。つまり自傷の身体損傷は、自殺のそれとは異なる。
  3. 方法の多様性:自傷を繰り返す者の大半が複数の方法で自傷しているが、自殺におよぶ際にはこのような多様な方法による身体損傷はまれである。
  4. 心理的苦痛:自殺者が抱える心理的苦痛は、精神痛と呼ばれるような深刻で持続的な性質を持っている。一方、自傷者が抱える心理的苦痛は怒りや不安、緊張であり、これらの苦痛は間欠的に消長する、出没する性質を持っている。
  5. 状況のコントロール:自殺を試みる者は絶望し、もはや自分には状況をコントロールできないと感じている。一方、自傷する者は、自傷によって気分や対人関係を変化させ、状況をコントロールすることができると考えている。
  6. 行為による心理的影響:自殺を企図した者は、それに失敗した後、死ぬことができなかったことを自責し、気分が悪化している。一方、自傷には行為後に不快気分が軽減している。
  7. 中核的問題:自殺行動の中核には、二分法的思考と心理的視野狭窄があるのに対して、自傷では、自己の身体に対する否定的な態度が特徴的に認められる。

以上のように、自傷はいくつかの点において自殺と明確に区別されています。

すなわち、自傷行為はそれ自体が完結した行為であり、その意味では、自傷は決して失敗した自殺企図ではありません。

しかし、同時に、自殺と密接に関係する行為であり、長期的には自殺の危険因子であることが示されています(過去1回の自傷挿話が、将来の自殺のリスクを数百倍高めるという報告がある)。

Walsh&Rosen(1988)は、自傷者は死ぬために自傷することは少ないが、自傷していないときには死の観念にとらわれていることがまれではなく、あるとき、いつもとは別の方法・手段で自殺を試みることがあると指摘しています。

つまり、自傷行為それ自体は直接的に自殺と結びついているわけではないというのが短期的な見解ではありますが、長期的な観点から言えば、自傷行為エピソードの存在は自殺の可能性をかなり高めるものであると言えるわけですね。

だから、数年前までよく聞いた(もしかしたら、まだ日本のどこかで言っている人がいるかもしれない)「自傷行為をしてても死なないから大丈夫」という表現ですが、これは長期的に見ればかなりリスキーな状態であることを踏まえると、そういった表現はやはり見識が浅いと言わざるを得ないですね(そして、リストカットであっても、やはり「すぐには死なない」とは言い切れない)。

自傷行為は「死への迂回路である」という認識を持っておくことが大切ですね。

また、自傷行為の存在は自殺だけでなく、様々な問題のリスク要因になり得ます。

このことを理解するためには、そもそも自傷行為とは何なのかを理解しておくことが重要になります。

多くの子どもたちの自傷行為を見ていく中で、ある程度共通するのは、自傷行為を行う当人たちはかなりの期間に渡って「不穏な感情」を体験し続けており(私が見ているクライエントの場合、その年齢もあるだろうが親子関係や家庭の問題であることが多い)、そうした感情が断続的に存在するために「解離」が生じているということです。

解離というのは「心理的負担になる事柄から外的・内的に遠ざかることで対処しようとする防衛パターン」「心理的負担になる事柄を他人事として扱うことで対処している」というものであり、長期間にわたって不穏感情に曝されると、そうした防衛機能が発動するようになるわけです。

あくまでも子どもたちを見ていての(つまりは、初めて自傷行為を行った子どもたちの)印象ですが、自傷行為には、解離という防衛機能によって「切り離されてきた苦しさ」あるいは「切り離しきれない苦しさ」の顕在化という意味があるように感じます。

こうした顕在化は「形のない苦しさを形にすることによる扱いやすさ」「今まで抑え込んできた苦しさを目に見えるようにする確かさ」「切り離してきた苦しさを表現できる解放感」「自分の苦しかった歴史を周りに見せる」などの効果があり(これはどれか一つに絞れないものであり、混在している印象)、その瞬間には多少の自己治療的な効果が期待できるものです。

つまり、全体としては自傷行為をすることによって、自らの苦しさに対して統制力を働かせることができる、コントロール感を得ることができるというプラスの効果があるわけですが、当然ながら、根本的な解決に至らない「その場しのぎの対処法」という色彩を帯びた方法であることは否めず、自傷行為による自己治療的効果は繰り返すうちに薄れていくのが自然です。

また、自傷行為という「その場しのぎの対処法」を続けていくことによって、本来ならば直面・対応していく中で精神的成長を遂げるはずだった種々のストレス因を避け続けるという生き方になっているため、ストレス耐性が低くなっているというマイナスが顕在化してきます。

こうした「自傷行為という対処法の効果低減」と「ストレス耐性の低下」というダブルパンチによって、選ばれる選択の一つが「薬物依存・乱用」による不穏感情のリセットという手法です(他にも、リストカットの頻度や傷を深くする、周囲にリストカットを明らかにして反応・操作する、といった手法もあり得ます)。

酒や薬物には「意識を酩酊させる」という効果があり、これが彼女らの上記のような「どうにもならない状況」で採用されるわけですね。

マンチェスター大学の研究チームによると、自傷行為の経験がある10代男女の死因は、同様の経験がない同世代の若者たちと比べ、「自殺」が17倍、「薬物の過剰摂取・アルコール中毒症」が34倍、「事故死」が6倍高くなっていたとされています。

なお、一つの議論として「薬物依存・乱用も自傷行為の範疇ではないか」という意見があろうかと思いますが、私はその意見にはあまり賛成ではありません。

これは構造上別であるということを言いたいというよりも、実践上分けて見ておいた方が良いのではないかという捉え方なのですが、その理由としては薬物依存・乱用はリストカット等のよく見られる自傷(いわゆる自己切傷)よりも「死にたい」という思いが強いように感じるのです。

ですから、致死に至る可能性を見立てづらく、薬物依存・乱用を自傷行為の一部と見なしてしまうと実践上大きなミスをしてしまう恐れがあるので、これは分けて考えておいた方が安全だろうというのが私の考えです。

上記の通り、やや駆け足で大雑把な説明ではありますが、自傷行為が薬物依存・乱用に繋がる流れを説明しました。

自傷行為はそれ自体が完結した行為ではあるものの、それをケアしないことは「その傷と背景に関わるつもりはないよ」という及び腰の対応であり、それ自体が本人を傷つけるものになります。

そうした周囲の対応は本人の孤立感を増し、それによって更に自傷行為を加速させ、その先には薬物依存・乱用のリスク、更には将来の自殺リスクを高めるということにつながるので、支援者はクライエントの自傷行為と向き合う覚悟をもって関わってくことが大切になります。

以上より、選択肢③は不適切と判断でき、選択肢④は適切と判断できます。

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