公認心理師 2022-114

Kübler-Rossが提唱した死に対する心理的反応段階に関する問題です。

死ぬ瞬間」から引用しつつ解説していくことにしましょう。

問114 E. Kübler-Ross が提唱した死に対する心理的反応段階に含まれないものを1つ選べ。
① 怒り〈anger〉
② 否認〈denial〉
③ 受容〈acceptance〉
④ 離脱〈detachment〉
⑤ 取り引き〈bargaining〉

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解答のポイント

Kübler-Rossが提唱した死に対する心理的反応段階を把握している。

選択肢の解説

② 否認〈denial〉

世界で初めて死への過程を臨床的研究の成果として公にしたのがKübler-Ross(キューブラー=ロス)の「死への5段階」になります。

この段階は上記の書籍の中で示されています。

  • 第1段階:否認と孤立;自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階
  • 第2段階:怒り;なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階
  • 第3段階:取引;なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階
  • 第4段階:抑うつ;なにもできなくなる段階
  • 第5段階:受容;最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階

こちらは西洋の宗教観、死生観が関連してきます。

例えば、怒りは特定の誰かというよりも神様に対して怒っているようなイメージかもしれませんし、取引でも神様がもし私を治してくださったら今までと違った良い生き方をします、みたいな感じかなと思います。

以下では、各段階について述べていくことにしますが、まずは第一段階の「否認と孤立」について述べていきましょう。

患者は診断を知らされると不安になってそれを否認します。

否認が特に顕著に見られるのは、その患者のことをあまりよく知らない人や、受け入れの準備が患者にできているのかどうか考えもせず早く「片付けよう」と思っている人から、告げられるべき時が来ていないのに突然知らされた患者です。

ただし、少なくとも部分的な否認はほとんどすべての患者に見られ、病気の初期や告知の後だけでなくその後も時折見られます。

「我々は、太陽をずっと見続けていることができないのと同じように、ずっと死を直視していることもできない」ものであり、患者はしばらくは自分自身の死の可能性について考えるが、その後は生き続けていくために、そういった考えを捨て去ります(無意識では人は不死なので、死という現実を直面し続けるのは苦しい)。

こうした否認は、患者が自分の生命に関係したことを話していたり、死や死後の生(これは死そのものの否認ではあるが)について何か重要な空想を語っていたのに、数分後にその話題を変えようとし、自分の言ったことをほとんど否定するようなことを言い出すなどの反応から読み取ることができます。

こういう時には、軽い病気の人の話を聞いているようで深刻さを感じさせないので注意が必要です。

こういう時にキューブラー・ロスは「患者はもっと明るい、もっと楽しいことをみつめていたいのだ。それがどんなに非現実的なことであっても、患者にもっと幸せなことを夢見させてあげるべきだ」とし、否認はいつでもどんな患者にも必要なものであり、重い病気の末期よりむしろ初期に必要だとしています。

すなわち、患者に自分の矛盾を気づかせることなく、自己防衛の状態に入らせてあげることが求められるということです。

患者は徐々に否認を捨て、もっと穏やかな防衛メカニズムを使うようになるが、その過程は、患者がどのように告知されたか、この避けられない出来事を徐々に認識していくのにどのくらい時間が必要だったか、そしてこれまでの人生においてこの危機的状況に対処する準備ができていたか、によって大きく左右されます。

以上のように、Kübler-Ross が提唱した死に対する心理的反応段階として「否認」が含まれていることがわかりますね。

よって、選択肢②はKübler-Rossの死に対する心理的反応段階に含まれるので、除外することになります。

① 怒り〈anger〉

絶望的な知らせを聞かされた時の最初の反応は「否認」であることは述べましたが、この反応は状況を理解し始めると新しい反応に取って代われます。

幸か不幸か、自分は健康で元気だという偽りの世界を死ぬまで持ち続けられる患者はほとんどいないということです。

第一段階の否認を維持することができなくなると、怒り・激情・妬み・憤慨といった感情がそれに取って代わり、必然的に「どうして私なのか」という疑問が頭をもたげます。

この怒りの段階では、見当違いにあらゆる方向に向けられ、あたり構わず周囲に投射されるため、家族やスタッフからすると対応が非常に難しいとされています。

怒りを抱えている患者はどこを見ても不満を感じ、不平を言い、注目を引こうとする言動が見られますが、その本質は「私は生きている、そのことを忘れないでくれ。私の声が聞こえるはずだ。まだ死んでいないのだ」という叫びであるとロスは述べています。

大切にされ、理解され、気にかけてもらい、わずかな時間でも割いてもらえる患者は、じきに声をやわらげ、怒って何かを要求することも少なくなります。

そうした患者は、自分のある人間であり、愛されていて、できるだけ長い間、可能な限り自分の身体を動かすことが許されているのだということを知ることになります。

癇癪を起さずとも自分の言うことを聞いてもらえるし、頻繁にナースコールを鳴らさなくても訪ねてきてもらえる、という感覚を得てもらうには、患者のもとに立ち寄るのが義務ではなく喜びであることが重要です。

悲劇なのは、私たちには患者の怒る理由が思い当たらず、本来、患者の怒りとその対象となる人とはまったく、もしくはほとんど関係がないのに、それを自分個人に向けられたものとして私たちが捉えてしまうことです。

スタッフや家族が、患者の怒りが自分に向けられたかのように反応すると、患者の側もますます怒りをもって応酬し、患者の敵対行動はますます激しくなります。

家族やスタッフは患者を避けるために面会や見回りの時間を短くしたり、論点がまるで見当違いであることに気づかず、自分の立場を守ろうとして不毛な議論をするはめになります。

以上のように、Kübler-Ross が提唱した死に対する心理的反応段階として「怒り」が含まれていることがわかりますね。

よって、選択肢①はKübler-Rossの死に対する心理的反応段階に含まれるので、除外することになります。

⑤ 取り引き〈bargaining〉

第三の段階は「取引」であり、これは「否認」「怒り」に比べるとそれほど顕著ではないが、短い期間とは言え、患者にとって助けになることに変わりはありません。

患者はまず第一段階で悲しい事実に直視することができず、第二段階では自分以外の人間や神に対して怒りを覚えます。

そしてその後、その「避けられない結果」を先に延ばすべく何とか交渉しようとする段階に入っていきます。

「神は私をこの世から連れ去ろうと決められた。そして私の怒りに満ちた命乞いに応えて下さらない。ならば、うまくお願いしてみたら少しは便宜を図ってくださるのではないか」という感覚ということですが(この辺が西洋の文化という感じがしますね)、こういった態度は普段生活していてわかるように、子どもに顕著に見られるものです(〇〇したら、△△してもらえる?という文体はよく見ますし、実際にこれが叶えられることもありますね)。

終末期の患者も、過去の経験から、善行が報われて特別に願いを叶えてもらえるという可能性がわずかながらあることを知っているということです(すなわち、これは退行現象の一種と見ることも、過去の成功体験の学習の結果であると見なすこともできるでしょう。いずれにせよ、本人を支えるものとして機能している)。

「取引」とは、突き詰めれば何とか命を長らえようとすることであり、それは善行へのご褒美も兼ねていて、自分で「期限」を設定することにもなります。

ですから、「もしそのための延命が叶ったら、それ以上は望まない」という暗黙の約束を含むことになるわけですが、ロスの患者で約束を守ったものは「一人もいない」ということです。

この「取引」の相手はほとんどが神であり、たいていは秘密にするが、言外にほのめかしたり、牧師にだけは話したりすることもあります。

心理学的に見ると、約束は秘密の罪悪感と関連していることがあり、患者がそのようなことを口にしたときには、医療スタッフは軽く聞き流すべきではありません。

そういうことがあった場合、深い無意識的な敵意に満ちた願望があって、それが罪悪感を駆り立てているかもしれない、と察する必要があります。

だからこそ専門分野を超えた視点から患者をケアしていくことが求められるわけです。

患者が何度も「取引」をしたり、期限が過ぎても約束事を守らなかったりすると、ますます罪悪感が強くなります。

そうすると患者は、そのために罰を受けたいと思う気持ちや不合理な不安感を抱きかねません。

そうしたものから患者が解放されるまで、ロスはとことん話し合いを続けたと言います。

以上のように、Kübler-Ross が提唱した死に対する心理的反応段階として「取引」が含まれていることがわかりますね。

よって、選択肢⑤はKübler-Rossの死に対する心理的反応段階に含まれるので、除外することになります。

③ 受容〈acceptance〉

Kübler-Ross が提唱した死に対する心理的反応段階には、これまで述べてきた否認・怒り・取引に次いで「抑うつ」が生じるとされています。

本問では「抑うつ」の選択肢は設けられておりませんが、この段階を経て本選択肢の「受容」に至るとされています。

ロスは「抑うつ」には、①死の現実が迫ったことによる「反応的な抑うつ」、②この世との永遠の別れのために心の準備をしなくてはならない苦悩という「準備的な抑うつ」があると述べており、対応が異なるとしています。

「反応的な抑うつ」に関しては、思いやりのある人なら難なく抑うつの原因を聞きだして、しばしば抑うつに伴う非現実的な罪悪感や羞恥心をいくぶん軽減することが可能だとしています。

「準備的な抑うつ」については、過去に失ったことが原因となるのではなく、これから失うことが気がかりなために起こるとされています。

この愛する者たちと別れなくてはならないことへの準備段階における抑うつは、励ましたり元気づけたりしてもさほど意味はなく、物事の良い面を見るようにと患者を励ますことはしてはいけません。

こうした対応は、患者の死の準備を妨げることになるとされています。

さて、本選択肢は「受容」についてなので、「抑うつ」については上記程度に留めておきましょう。

患者に十分な時間があり、これまで述べてきたいくつかの段階を通過するにあたって何らかの助力が得られれば、やがて患者は自分の「運命」に気が滅入ったり、憤りを覚えることもなくなります。

この段階に至るまでに、患者はかつて持っていた様々な感情、すなわち生きている者や健康な者への嫉妬、まだ死を直視する必要のない者たちへの怒りなどを表明したり、多くの大切な人々や場所から切り離される喪失感を嘆いてきました。

そうして患者はある程度の期待をもって、最期の時が近づくのを静観するようになります。

患者は疲れ切り、たいていは衰弱がひどくなっていて、まどろんだり、頻繁に短い眠りを取りたくなります。

だがそれは抑うつのときに欲する眠りとは違って、回避のための眠りでもなければ、痛み・不快感・かゆみを忘れるための休息でもありません。

次第に長い時間ねむっていたいと思うようになり、これは最期の時へと近づく眠りとされています。

「どうにもならない」「もう闘う力がない」といった意味の言葉を耳にすることもありますが、これは決して諦念的・絶望的な「放棄」を表しているのではありません。

受容を幸福な状態と誤認してはなりません(これは死の受容に限らないでしょう)。

受容とは感情がほとんど欠落した状態であり、この時期には患者自身よりもその家族に多くの助けと理解と支えが必要になるとされています。

患者とのコミュニケーションは言葉を使わないものになっていき(しばらく座っていてくれと伝える、ただ手を握って黙って傍にいてほしい等)、そばにいるだけで患者は最後まで近くにいてくれるのだと確信します。

ここでは、何も言わなくても構わないということを患者に知らせるだけで良いとロスは述べています(それだけで、患者は何も話さなくても独りぼっちではないのだという確信を取り戻す)。

以上のように、Kübler-Ross が提唱した死に対する心理的反応段階として「受容」が含まれていることがわかりますね。

よって、選択肢③はKübler-Rossの死に対する心理的反応段階に含まれるので、除外することになります。

④ 離脱〈detachment〉

上記の通り、Kübler-Rossの死に対する心理的反応段階には「離脱」は含まれておりません。

「離脱」に関しては、Bowlbyの悲嘆過程(愛する人が亡くなったときに示す段階)で示されていますね。

  • 第1段階:情緒危機
    死を事実として受け止められず、死を知らされた直後の急性ストレス反応としての無感情状態。死後1週間程度続く無感覚の段階。一種の急性のストレス反応。激しい衝撃に茫然としてしまい、死を現実として受け止めることができない。
  • 第2段階:否認
    喪失を受け止め始めながら、受け止めきれず、深い悲嘆が始まる。喪失を事実として受け止め始め、強い思慕の情に悩まされ深い悲嘆が始まる。他方、喪失を充分には認めることができず、強い愛着が続いている段階。この時期には喪失に対する責任を巡り、怒りや抗議も見られる。
  • 第3段階:断念
    喪失の現実が受け入れられ、絶望を感じ、抑うつ状態に陥る。喪失の現実が受け入れられ、愛着は断念される。それまで故人との関係を前提に成立していた心の在り方・生活が意味を失い、絶望、失意、抑うつ状態が大きくなる。
  • 第4段階:離脱・再建
    それまで愛着が向けられてきた故人から離脱し、再建していく段階。故人の思い出が穏やかで肯定的なものとなり、新しい人間関係や環境の中で、死別者の心と社会的役割の再建の努力が始まる。

こうした悲嘆過程において最終的に重要なのは、喪失対象との絆の持続的維持になりますね。

つまり、新たな形で喪失対象が「生き続ける」という世界を構築するということです。

こうした悲嘆過程の経過が悪い場合の因子としては、予期せぬ突然の死である、悲嘆の遅延が生じている、悲しみや悲嘆の抑圧、生前の死者との感情的葛藤・愛憎のアンビバレンス、死者への強い依存・愛着、などが指摘されています。

以上のように、Kübler-Ross が提唱した死に対する心理的反応段階として「離脱」は含まれていないことがわかりますね。

よって、選択肢④がKübler-Rossの死に対する心理的反応段階に含まれていないので、こちらを選択することになります。

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