公認心理師 2021-72

事例の状態を読んで、該当する(しない)概念を選択する問題です。

事例の記述が何に該当するかアタリを付けながら読めると良いですね。

問72 53歳の女性A。もともと軽度の弱視がある。大学卒業後、管理栄養士として働いていたが、結婚後、出産を機に退職し、その後、職には就いていない。2年前に一人娘が就職し一人暮らしを始めた頃から、抑うつ的になることが増え、身体のほてりを感じることがしばしばあり、頭痛や倦怠感がひどくなった。また、これから何をしてよいのか展望が持てなくなり、不安な状態が続いていた。しかし、最近、かつて仕事でも趣味でもあった料理を、ボランティアで20歳から30歳代の女性らに教える機会を得て、彼女らとの会話を楽しみにするようになっている。
 Aのここ数年来の心身の状態として、該当しないものを1つ選べ。
① 更年期障害
② 空の巣症候群
③ アイデンティティ危機
④ 生成継承性〈generativity〉
⑤ セルフ・ハンディキャッピング

解答のポイント

各選択肢の概念について説明することができ、それを事例内容と合致させることができる。

選択肢の解説

① 更年期障害

日本産婦人科学会は「閉経の前後5年間を更年期と言い、この期間に現われる多種多様な症状の中で、器質的変化に起因しない症状を更年期症状と呼び、これらの症状の中で日常生活に支障をきたす病態を更年期障害とする」と定義しています。

更に「更年期症状、更年期障害の主たる原因は卵巣機能の低下であり、これに加齢に伴う身体的変化、精神・心理的な要因、社会文化的な環境因子などが複合的に影響することにより症状が発現すると考えられている」と続けています。

更年期障害の診断には、

  1. 不規則ないしは消失した月経
  2. 症状を整理し、エストロゲンの低下と特に関連の深い血管運動神経症状を認める
  3. 他の器質的疾患が除外できる
  4. 血液検査で卵巣機能の低下を認める

などが重要になるが、原則的には似た症状を呈する他疾患の除外診断に基づき決定されます。

更年期障害の症状は、大きく分類すると自律神経失調症状、精神的症状、その他の3種類に分けられます。

  1. 自律神経失調症状
    ・血管運動神経症状:のぼせ、発汗、寒気、冷え、動悸
    ・胸部症状:胸痛、息苦しさ
    ・全身的症状:疲労感、頭痛、肩こり、めまい
  2. 精神的症状
    ・情緒不安定、イライラ、怒りっぽい
    ・抑うつ気分、涙もろくなる、意欲低下
    ・不安感
  3. その他の症状
    ・運動器症状:腰痛、関節・筋肉痛、手のこわばり、むくみ、しびれ
    ・消化器症状:吐気、食欲不振、腹痛、便秘・下痢
    ・皮膚粘膜症状:乾燥感、湿疹、かゆみ・蟻走感
    ・泌尿生殖器症状:排尿障害、頻尿、性交障害、外陰部違和感

これらは加齢に伴う退行性変化(女性ホルモンの低下に伴う内分泌学的変化)と個人を取り巻く家庭や社会での環境の変化(心理社会的変化)などが、複雑に関与して表現されると考えられております。

よって、例えば、閉経後5~10年経過し女性ホルモンの低い状態に適応した後に、ほてり、発汗などの更年期様症状の増悪を訴える場合には、ホルモン低下というよりもストレスを含む社会環境などの患者バックグラウンドを考慮するなど、個別に対応する必要があるわけですね。

事例は「53歳の女性A」「2年前に一人娘が就職し一人暮らしを始めた頃から、抑うつ的になることが増え、身体のほてりを感じることがしばしばあり、頭痛や倦怠感がひどくなった。また、これから何をしてよいのか展望が持てなくなり、不安な状態が続いていた」などの情報がありますね。

年齢的にも更年期に入っていると見て矛盾はありませんし、「身体のほてり」という更年期障害の代表的な症状があったり、「頭痛」「倦怠感」という身体症状、「抑うつ的」「不安な状態」といった精神症状など、更年期障害と思しき症状が見受けられます。

これらより、選択肢①はAのここ数年来の心身の状態に該当すると判断でき、除外することになります。

② 空の巣症候群

空の巣症候群は、子どもが自立して親の手を離れる時期に、親が経験する心身の不適応状態を指します。

特に子育てに専念してきた母親に生じやすく、生きがい感の喪失や人生に対する後悔、孤独感、抑うつ感、無力感、頭痛、めまいなど、心身に不安定な状態が起こります。

しかしながら、夫婦関係が良好な場合や、仕事や趣味などが充実している場合には不適応は生じにくく、多くの母親は子育ての責任から解放されたことを肯定的に受けとめているとされています。

逆に、夫婦関係にすれ違いが多い(例えば、夫の仕事が多忙で関わりが少ない)などの状況にあると、夫の退職を機に離婚といった方に展開していくこともあるとされています(よくドラマや小説などで、夫は退職後に妻に感謝していろいろしてあげたいと思っているのに、いきなり離婚話になる、などがありますね)。

年齢的に更年期障害と重なることが多く、そうなると深刻な状態になる可能性もあります。

この時期はあらかじめ予測できるうえ、本来は病気ではない状態ですから、そうした事態に備えて、趣味を開拓したり、サポートを期待できる友人関係を築いたり、配偶者との新たな関係を構築したりすることが大切になります。

事例の「結婚後、出産を機に退職し、その後、職には就いていない。2年前に一人娘が就職し一人暮らしを始めた頃から、抑うつ的になることが増え、身体のほてりを感じることがしばしばあり、頭痛や倦怠感がひどくなった。また、これから何をしてよいのか展望が持てなくなり、不安な状態が続いていた」からは、この空の巣症候群の可能性を読み取ることができますね。

子育てに専念してきた女性であり、一人娘が就職して家を出た頃から心身の不調を訴えています。

ただ、上記のうち「身体のほてり」に関しては選択肢①の更年期障害のニュアンスの方が強いですね。

いずれにせよ、選択肢②はAのここ数年来の心身の状態に該当すると判断でき、除外することになります。

③ アイデンティティ危機

アイデンティティという用語は、エリック・エリクソンが第二次世界大戦後の退役軍人の精神生活を「エゴ・アイデンティティ(自我同一性)」という語を用いて説明したことを始まりとします。

人生における「危機論」は様々あり、エリクソンの先生であったアンナ・フロイトの自我防衛論的見地から問題にした危機論や、思春期危機という表現で青年期危機を記述したクレッチマー、その他、古典的青年期危機論のホールにはじまり、ゲープザッテル、ヴィンクラー、クーレンカンプ、シュプランガーなど多くの人々が危機論的テーマで青年期を問題にしています。

エリクソンも青年期を自我同一性の達成の危機として捉えているので、これらの危機論と同列に見なされがちですが、危機論についての考えは著しく異なっています。

エリクソンにあっては、ライフサイクルという視点から危機が問題とされています。

他の理論が「人生の中で青年期は危機的である」という主張に要約されるならば、エリクソンの危機論は「人生には大きくいって8つの危機がある。青年期の危機もそのうちの一つであり、特別なものではない」というものになります。

これら8つの危機に関しては以下のようになります。

  1. 乳児期(0歳~1歳6ヶ月頃):基本的信頼感 vs 不信感;希望
  2. 幼児前期(単に幼児期とも)(1歳6ヶ月頃~4歳):自律性 vs 恥・疑惑;意思
  3. 幼児後期(遊戯期とも)(4歳~6歳):積極性(自発性) vs 罪悪感;目的
  4. 児童期・学齢期・学童期(6歳~12歳):勤勉性vs劣等感;有能感
  5. 青年期(12歳~22歳):同一性(アイデンティティ) vs 同一性の拡散;忠誠性
  6. 成人期前期(前成人期)(就職して結婚するまでの時期):親密性 vs 孤立;愛
  7. 成人期後期(成人期)(子供を産み育てる時期):生成継承性(単に世代性とも呼ぶ) vs 停滞性;世話
  8. 老年期(子育てを終え、退職する時期~):自己統合(統合性) vs 絶望;英知

事例は成人期後期の段階であり「生成継承性(単に世代性とも呼ぶ) vs 停滞性」が危機として訪れる時期と言えます。

生成継承性に関しては選択肢③でも述べますので割愛しますが、要は、子どもを産み育てること、創造的な世界に入って創造的な仕事を生み、アイディアを生み、そして育てることがこの時期の危機的状態と言えます。

この危機的状態において必要なのは「若い世代に求められること」であり、求められることによって与え、与えることによって求められ、その関係の中で心理社会的な停滞から脱出していくという流れが重要になっていきます。

事例では「2年前に一人娘が就職し一人暮らしを始めた頃から、抑うつ的になることが増え、身体のほてりを感じることがしばしばあり、頭痛や倦怠感がひどくなった。また、これから何をしてよいのか展望が持てなくなり、不安な状態が続いていた」「最近、かつて仕事でも趣味でもあった料理を、ボランティアで20歳から30歳代の女性らに教える機会を得て、彼女らとの会話を楽しみにするようになっている」とあります。

仕事を結婚・出産を機に退職し、家族のために生活してきたと推察されるAですが、娘の出立によって「これから何をしてよいのか展望が持てなくなり」となったと考えられます。

これは上記で言う「停滞性」を指し示していますが、その後の展開(ボランティアでの関わり)は「生成継承性」を示しており、ここに事例Aのアイデンティティ危機が生じていたと考えることができます。

このように、選択肢③はAのここ数年来の心身の状態に該当すると判断でき、除外することになります。

④ 生成継承性〈generativity〉

生成継承性はエリック・エリクソンのライフサイクル論に含まれる概念です。

エリクソンは人が生まれてから死ぬまでの一生を乳幼児期から老年期まで8発達段階に区分しました。

エリクソンによれば、一生は「乳児期」「幼児期」「児童期」「学童期」「青年期」「成人期」「壮年期」「高齢期」という8つの段階に分類されます。

時期(大まかな年齢)、心理・社会的危機、危機を通して獲得されるものは以下の通りです。

  1. 乳児期(0歳~1歳6ヶ月頃):基本的信頼感 vs 不信感;希望
  2. 幼児前期(単に幼児期とも)(1歳6ヶ月頃~4歳):自律性 vs 恥・疑惑;意思
  3. 幼児後期(遊戯期とも)(4歳~6歳):積極性(自発性) vs 罪悪感;目的
  4. 児童期・学齢期・学童期(6歳~12歳):勤勉性vs劣等感;有能感
  5. 青年期(12歳~22歳):同一性(アイデンティティ) vs 同一性の拡散;忠誠性
  6. 成人期前期(前成人期)(就職して結婚するまでの時期):親密性 vs 孤立;愛
  7. 成人期後期(成人期)(子供を産み育てる時期):生成継承性(単に世代性とも呼ぶ) vs 停滞性;世話
  8. 老年期(子育てを終え、退職する時期~):自己統合(統合性) vs 絶望;英知

エリクソンは上記の通り、各段階で達成されなければならない発達課題を定め、これを心理・社会的危機と呼ぶ葛藤を示しました(各段階ごとに「肯定的側面 対 否定的側面」と対になって設定されています)。

エリクソンは、それぞれの発達段階には成長や健康に向かうプラスの力(発達課題:肯定的側面)と、衰退や病理に向かうネガティブな力(危機:否定的側面)がせめぎ合っており、その両方の関係性が人の発達に大きく影響すると仮定しています。

こうしたせめぎ合いの末、さまざまなものが獲得されるとしています(上記の一番左に記載してあるものがそれに当たります)。

上記の通り、本選択肢の生成継承性は成人期後期の発達課題を指しています。

成人期後期には、自身の子どもあるいは自身よりも年下の世代をいかに育み得るか、そこでの生成継承性(世代性)が課題となります。

広い意味で、次世代に残す仕事や作品や事業を生み出し、育み、世代から世代へと継承していく働きを指します。

この概念が重要なのは、その前までは「自分自身」に関する課題だったのに対し、次世代を育てるという「他者」を育成する方向になってきているということです。

この生成継承性が発達していかないと、いつまでも子どものままで自分にしか関心がなく、停滞し、人間関係が貧困になっていきます。

本事例において「かつて仕事でも趣味でもあった料理を、ボランティアで20歳から30歳代の女性らに教える機会を得て、彼女らとの会話を楽しみにするようになっている」という箇所は、まさに生成継承性を示すものであると言えるでしょう。

一方で、こうしたプロセスはそう単純ではありません。

前の世代が伝統を伝えようとしても、次の世代はそれに反発し、前の世代が作ったものを壊しながら新たなものを創造するという、世代間のせめぎ合いが起こります。

事例ではそういった記述がなく、すんなりと生成継承性が達成できているようで何よりですね。

以上より、選択肢④はAのここ数年来の心身の状態に該当すると判断でき、除外することになります。

⑤ セルフ・ハンディキャッピング

課題に取り組むとき、自己のイメージが脅かされる結果が予期される場合に、あらかじめ課題遂行を妨げる障害を自分に与えるような行動を取ったり、ハンディキャップがあることを主張する行為を「セルフ・ハンディキャッピング」と呼びます。

仮に課題遂行の結果が失敗に終わったとしても、失敗の原因を、自らの能力ではなくハンディキャップに帰属させるため、自らの評価を曖昧にすることができます。

一方で、仮に成功した場合には、障害があったにも関わらず望ましい結果が得られたと見なされ、自らの能力が割り増しされて帰属されます。

自らハンディキャップを作り出す「獲得的セルフ・ハンディキャッピング」(努力を抑制する等)と、自らにハンディキャップがあることを主張する「主張的セルフ・ハンディキャッピング」(準備不足を友人に嘆く)とに大別されます。

臨床実践でセルフ・ハンディキャッピングを感じる場面は、実は数多くあります。

私の経験としては、万能感を持っている人に多い印象です。

万能感を持っていると、仰ぎ見るような理想の姿を持ち、それを自分と同一視して過ごす精神生活を送っています。

ざっくりと言えば、「生身の自分」ではなく「すごい自分」を「現実の自分」と認識して過ごしているわけです(この辺をラカンは、理想自我とか自我理想とか想像的同一視とか、いろんな用語で説明していますが、その辺は置いといて)。

そして「生身の自分」がさらけ出されるような状況や刺激に関しては、「本人も無自覚のうちに」避けるなどの反応をしてしまっています。

上記の「本人も無自覚のうちに」ということがミソで、セルフ・ハンディキャッピングの概念にはこの辺の機微が含まれておらず、自覚的な行動も含めて概念化している節がありますが、臨床実践で真に問題になるのは「無自覚のうちに生身の自分がさらけ出される状況を、なりふり構わず避けようとする」という在り様です。

具体的には以下のような言動を指します。

  • テストでわからない問題があると「白紙」で提出する。
  • マークシートで「マークを付けない」。
  • 中間考査の後、期末考査で「前回のテストよりも点数が予見される教科」は体調不良や欠席。
  • プールの授業でうまくできない可能性がある場面では、水着を忘れることで逃れようとする。

他にも例は枚挙に暇がありませんが、いずれの場合でも「生身の自分」が傷つくことが避けられるというのが特徴です。

テストを白紙で出したり、マークシートにマークしなければ、例外なく点数が下がるわけですが、それでも「自分はちゃんと書いていればできたんだ」という言い訳の余地を残します(いわゆる、俺はまだ本気を出してないだけ、というやつ)。

体調不良での欠席は、現在の小学校や中学校で頻繁に見られるものですが、その傾向が顕著な事例には特徴があり、それは「とてもわざとらしい」ということです。

特定の刺激があるときに決まって体調不良が出現し、特徴的な例では、自身の体調不良に対する周囲の反応を窺うような様子を見せます。

ですが、彼らは共通して「生身の自分」がさらけ出されるから避けた、という意識は持っていませんし、仮に持っていたとしても決してそれを表現することもありません。

私はこういう万能感に基づいた反応を理解したとき、結構な衝撃を受けました。

なぜなら、上記のマークシートの例でもわかる通り、「適当にでも塗っておけば、明らかに得をする場面」であっても、自身の万能感を保持することを優先する、つまりは、合理的な判断よりも優先される形で「生身の自分の傷つき」を避けるということがわかったからです。

逆を言えば、これに気が付くまでの私は、人間はもっと合理的な生き物だと考えていたということでしょう。

上記で挙げた一つひとつの行動を「セルフ・ハンディキャッピング」と称して説明することは可能だろうと思いますが、それは単なるラベリングに過ぎません。

実践上で真に問題なのは、こうした「生身の自分」が傷つかないための合理性を欠いた反応のため、その人には多くの不利益が生じるということです。

児童生徒の場合では、不登校状態になることも少なくありませんし、自分のできなさを他者に帰属することで対人関係上の問題を招くこともあります。

また、「できる自分」を「現実の自分」と認識し続けることで、周囲の反応に恨みを持つという場合まであり得ます(周囲は「できる人」ではなく「生身のその人」として接し、評価するから)。

つまり、実践で「セルフ・ハンディキャッピング」を用いている事例を見るときには、「セルフ・ハンディキャッピング」それ自体よりも、その背景にある万能感といった特徴の方が問題として見なすことになるわけですね。

さて、長々とセルフ・ハンディキャッピングに関する私見を述べましたが、問題に戻りましょう。

本事例においては、セルフ・ハンディキャッピングを窺わせる言動は見られません。

もしや「軽度の弱視」というところが、セルフ・ハンディキャッピングとかけてあるのかもしれませんが、これに対して自己のイメージが脅かされるという説明は無理がありますね。

よって、選択肢⑤はAのここ数年来の心身の状態に該当すると判断できませんから、こちらを選択することになります。

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