J.Piagetの発達理論について、正しいものを1つ選ぶ問題です。
ピアジェの理論は、発達に伴って精神活動の質が変化することを証明するという明確な目的意識をもって、子どもの心の在り様を事実観察からやり直して作り上げたものです。
問89 J. Piagetの発達理論について、正しいものを1つ選べ。
① 外界に合わせてシェマを改変する過程を「異化」という。
② 「具体的操作期」になると、速度、距離、時間など変数間の数量的な関係が理解できるようになる。
③ 「自己中心性」とは、何事も自分中心に考える幼児期の利己的な心性を表し、愛他心の弱さを特徴とする。
④ 積木をサンドイッチに見立てて食べるまねをするような「ふり遊び」は、表象の能力が発達する幼児期の後半から出現する。
⑤ 水を元のコップよりも細長いコップに入れ替えると液面が高くなるが、幼児期の子どもは水の量自体も変化したと考えてしまう。
ピアジェの理論で有名なのが、知性の発達の4段階ですね。
うちの大学院では、以下のような語呂合わせで覚えていました。
「ピアジェが来日した時にお寿司屋さんに連れて行ったら「ツナがイイ」と言った」
(ピアジェは1970年に来日してます。その時のエピソードだ、と思い込んで)
「ツナ(2・7)がイイ(11)」ですね。
ここから、以下のように覚えます。
- 0歳~2歳:感覚運動期
- 2歳~7歳:前操作期
- 7歳~11歳:具体的操作期
- 11歳~:形式的操作期
※○○期の部分は自力で覚えましょう…。
ちなみに「ツナは保存がききません」と考えて、「2~7歳の前操作期までは保存の法則が成立していない」と覚えます。
本問は、こういった年齢による水準の違いの把握を前提に作られていたと思います。
解答のポイント
ピアジェの発達理論について理解していること。
ピアジェの発達4段階を動的なプロセスと捉え、そこで生じることがどういった知的発達によって推移するのかを把握していること。
選択肢の解説
①外界に合わせてシェマを改変する過程を「異化」という。
ピアジェは、人間の知能は生物が環境に適応するやり方の一つであると捉えました。
この点は、ピアジェ自身が10歳で論文を寄稿するなど、知性的に早熟であったことと無関係ではなかったかもしれません。
発達理論は、その提唱者の発達過程と関連しながら形成される面が少なからず見受けられますから。
ピアジェは若いころから従事していた生物の生態研究から、環境適応の過程を説明する「同化」「調節」「均衡」という概念を作り、これらの概念をもって人間の精神活動を説明しようとしました。
ピアジェによると同化とは「外的現実を自己の活動の形態に取り込み、それを構造化すること」としています。
人間の知性も、外界から与えられた体験を取り入れて、それによって外界や体験への自分なりの「捉え方」を作ります(すなわち、「同化」するわけです)。
これによって人間は自身を変化させ、変化以前ならば利用できなかった外界の事物を利用可能にします。
同化によって成長する一方で、生物は環境からよりうまく取り込みができるように、より安定した生存が可能な方向へ自身の身体や活動の在り方を変化させようとします。
水や二酸化炭素を取り込むこと(=同化)で成長した樹木が、より取り込みがしやすいように枝葉や根を広げるように。
こうした変化のことをピアジェは「調節」と呼びます。
ピアジェは、生物が同化と調節を繰り返しながら、環境によりよく適応していくとし、これが発達のプロセスであると考えました。
そして、これを継続的に行っていくには、環境の在り方と自身の在り方との間に調和的・安定的なバランスを保たせようとする力が必要になります。
この力のことをピアジェは「均衡」と呼びました。
先述したように、人間の知性は外界の取り入れることで、自分なりの「捉え方」(同化)を形成していきます。
ピアジェはこの自分なりの「捉え方」を指して「シェマ」と名付けました。
養育者が空に飛んでいるものを指して「鳥だよ」と教えることで、空を飛んでいるもの、空から降りている鳥と呼ばれるものの形状、その前後の動きなどとセットにして「鳥」という感覚的な捉え方になり、これを全部ひっくるめて「シェマ」とされます。
このままだと「鳥」は飛べるものというシェマだが、飛ばない鳥(ダチョウ)を前にした時に、そのシェマの改変が求められます。
「飛ばないから鳥じゃないね」「飛ばない鳥もいるんだよ」などがわかりやすいやり取りですね。
上記は言語的に書きましたが、実際はもっと感覚的なレベルも含めたシェマの改変、作り直しが「調節」となります。
以上より、シェマの改変は「調節」が適切といえます。
よって、選択肢①の内容は誤りと判断できます。
②「具体的操作期」になると、速度、距離、時間など変数間の数量的な関係が理解できるようになる。
具体的操作期とは、ほぼ学童期に該当する時期で、100円のお菓子を8個買ったらいくらになる、みたいな具体的・実際的な事柄に関する論理的な捉え方が可能になる知性段階とされています。
この年齢の子どもは理屈っぽいところもありますが、結局は自分の具体的・実際的な生活体験から離れていない論理のため、独りよがりで一般性への般化が難しい場合が多いです。
一方で、形式的操作期になると、具体的・実際的なことから離れ、抽象的操作によって論理的思考ができるようになってきます。
自分の具体的経験を挟まず、理屈を理屈として組み立てていくことが可能になります。
言語によって内容をあらわした命題について、内容が現実かどうかに係わらず、論理的・形式的に考えることができる段階です。
数を文字式にしつつ考えていくためには、こうした抽象的な思考操作が求められます。
「リンゴが3個」は具体的ですが、「リンゴ3個でも、馬3頭でも、人が3人でも、3は3」というのが抽象的思考ですね。
具体的操作期では「算数」が、形式的操作期では「数学」が可能になるという印象です。
以上より、選択肢②の内容は形式的操作期の知的能力と考えることができます。
よって、選択肢②は誤りと判断できます。
③「自己中心性」とは、何事も自分中心に考える幼児期の利己的な心性を表し、愛他心の弱さを特徴とする。
前操作期では、物事を相手側の視点に立って捉えるという認識の仕方が育っていません。
すなわち、物事を自分とは別の位置から見ている人にも、自分が見ているのと同じように見えていると考えてしまいます。
これを示す実験が「三つ山課題」ですね。
このように視点の移行ができず、自分の側からしかとらえられない現象をピアジェは「自己中心性」と名付けました。
これは、一般的に理解されるような利己主義という意味ではなく、幼児が自分自身を他者の立場に置いたり、他者の視点に立つことができないという、認知上の限界を示す用語です。
前操作期の自己中心性は関係が発達していく過程で必然的に通過する現象です。
この「同じ」というとらえがまず根付くことによって、それが土台となって自身と他は「違う」という捉え方が可能になります。
この発達には養育者が大きく関わることになります。
こうした自分だけの捉え方から離れ、他者と共有できるような法則性・論理性(世界のルールなど)による認識ができるようになることを、ピアジェは「脱中心化」と呼んで幼児期から児童期への重要な発達課題としました。
以上より、選択肢③の内容は自己中心性を利己的な心性と捉えており、間違っています。
よって、選択肢③は誤りと判断できます。
④積木をサンドイッチに見立てて食べるまねをするような「ふり遊び」は、表象の能力が発達する幼児期の後半から出現する。
実物が目の前に無くても、それがあるかのように振る舞えるためには内的表象の発達が必要で、ピアジェはこれを「記号機能」と称し、前操作期の重要な発達であるとしました。
前操作期の初期には、子どもたちはこうした表象の機能を多用します。
葉っぱが船になったり、飛行機になったり、布切れが布団だったり枕だったり、などです。
基本的には何かしらの類似点があることが多いとされています。
発達が進み前操作期の後期くらいから、こうした個人的な表象の利用は減り、慣用的・社会的な記号が多用されるようになってきます。
この移行は発達において非常に重要であり、上記の「自己中心性」が「脱中心化」することとも関連して語られます。
以上より、選択肢④の内容はこうした表象による遊びが幼児期の後半から生じるとしていますが、実際は幼児期の前半から生じてくると考えられます。
よって、選択肢④は誤りと言えます。
⑤水を元のコップよりも細長いコップに入れ替えると液面が高くなるが、幼児期の子どもは水の量自体も変化したと考えてしまう。
こちらは保存の法則について示したものです。
「幼児期の子ども」とあるので、前操作期の発達を見ていくことが求められています。
前操作期では、対象が知覚できなくなっても存在が消えるわけではないという「永続性」の理解はできても、知覚上の形式が変わっても量が変わらないという「保存」の理解は育っていません。
「永続性」は、いないいないばぁ、などの日常的な体験・遊びから理解可能です。
一方で「保存」を理解するには、量とは加減しない限りは同じである、という論理形成が必要です。
しかし前操作期では、論理的な概念操作が不十分であり、まだ感覚運動期的な認知(パッと見たときに多いか少ないか、など)に左右されてしまいます(なので、「前操作期」と呼ぶわけですね)。
粘土のように形を変えても同じ、という頭の使い方をピアジェは「可逆操作」と呼んで重視しました。
前操作期では、この「可逆操作」が育っていないと言えます。
以上より、選択肢⑤の内容は正しいと判断できます。