公認心理師 2021-123

倫理的ジレンマがより強まる状況を選択する問題です。

倫理的ジレンマがどういう意味か知っていれば(その語感で大体は察しが付くはずですが)、簡単に解ける問題だろうと思います。

問123 倫理的ジレンマがより強まるものとして、最も適切なものを1つ選べ。
① 輸血が必要な患者が、宗教上の理由で輸血を拒否している場合
② 疼痛緩和が必要な患者に、医療チームが疼痛コントロールを行う場合
③ 医療チームが、新規の治療技術について臨床倫理委員会に申請している場合
④ 多職種でコミュニケーションの必要性を認識し、意思疎通を図っている場合

解答のポイント

倫理的ジレンマの意味を把握している。

選択肢の解説

① 輸血が必要な患者が、宗教上の理由で輸血を拒否している場合

倫理的ジレンマとは、相反する複数の倫理的根拠が存在し、そのどれもが重要だが、それぞれの倫理的根拠によって全く異なる結論が出てしまうことを指し、それによって支援者は大きな迷いを抱えることになります。

医療現場で話題になることが多いテーマであり、ある医療行為の倫理的妥当性あるいは倫理的根拠を論じる際、より所とする倫理原則によって全く異なる結論が導かれてしまう状態を指し、代表的な事例としては「終末期の患者に対して積極的治療を行うか否か」というのがありますね。

要するに「あちらを立てれば、こちらが立たず」という状態になることを指すわけです。

私のイメージとしては、相撲取りががっぷりよつで組み合って、そこから全く動かないという感じです(互いに力いっぱい押し出そうとしているので、力が拮抗しているために動けない)。

このことを踏まえて本選択肢の内容を見ていきましょう。

「輸血が必要な患者」については、医療的に輸血をせねば命にかかわるという状態であると考えられますね。

ですが、「宗教上の理由で輸血を拒否している」人に対して輸血を行うということは、その人にとっての「重要な何か」を侵害することになる可能性があるわけです。

このように、輸血を行わないこと、あるいは輸血を必要とする可能性があるために手術自体を行わないことが患者の生命や健康に多大な不利益を及ぼすような場合には、医療従事者はどのように対応すべきか、頭を悩ませることになります。

倫理的観点からは、医療従事者は、患者の生命を優先するべきか、患者の意思や自己決定を優先するべきかという、相反する2つの考え方の狭間で難しい選択を迫られることとなります。

医療従事者は通常、患者の命も心も救いたいと思って治療に当たっている一方で、宗教上の理由による輸血拒否の問題に対応する時、患者の命を救うために患者の心を傷つけなくてはいけないのか、患者の心を救うために患者の命を失くしてもいいのか、という非常に難しい問題に突き当たることになります。

具体的には「患者の生命を救うことが何より大事で、救命は患者の自己決定より優先されるべきだ」という考えの医療従事者もいれば、「患者にとっての幸福を考えれば、救命より患者の自己決定を尊重するべきだ」と考える医療従事者もいるはずですね。

いずれの医療従事者にも、正しいと信じるそれぞれの価値観があり、何が最善かの判断は「できるはずがない」と考えるのが自然です。

こうした状態は、まさに「倫理的ジレンマ」であると言えますね。

また本選択肢のような状況の場合、法的な問題も生じえます。

すなわち、救命を優先して輸血しても、患者の自己決定を尊重しても、患者・家族から医療訴訟を起こされたり、刑事訴追を受ける恐れがあるということです。

こうした事態を想定し、各医療機関では「宗教上の理由から輸血を拒否する患者への対応」について、大枠が定められていると思います。

なお「東京都立病院倫理委員会報告 宗教上の理由による輸血拒否への対応について」が非常にわかりやすいですので、一読しておくと良いでしょう。

ちなみに、輸血拒否をする宗教についてはよく耳にしますので、把握しておいても良いかもしれませんね。

以上のように、本選択肢の状況は倫理的ジレンマが強まる状況であると言えますね。

よって、選択肢①が適切と判断できます。

② 疼痛緩和が必要な患者に、医療チームが疼痛コントロールを行う場合
③ 医療チームが、新規の治療技術について臨床倫理委員会に申請している場合
④ 多職種でコミュニケーションの必要性を認識し、意思疎通を図っている場合

倫理的ジレンマは上記で説明した通りですから、ここではそれを踏まえた上で各選択肢の内容を見ていきましょう。

選択肢②の「疼痛緩和が必要な患者に、医療チームが疼痛コントロールを行う場合」ですが、「疼痛緩和が必要な患者」に対して、必要とされている「疼痛コントロール」を行うわけですから、何もジレンマが生じることは無いはずですね。

もちろん、医療者の中に「痛みはその人にとって大切なものだ」という考え方があると、倫理的ジレンマが生じないとは言えませんが、一般的にはジレンマが生じるような状況ではないと考えるのが妥当ですね。

選択肢③の「医療チームが、新規の治療技術について臨床倫理委員会に申請している場合」ですが、これは新規の治療技術が倫理的に問題ないかを諮っている状況と言えます。

一般に臨床倫理委員会は、患者等の人権及び生命の擁護に寄与することを目的として、その病院の行う医療及び医療介入等であって研究に関するものを除く行為が、倫理的配慮のもとに行なわれているか審査を行っています。

新規の治療技術ですから、臨床倫理委員会を通すことが求められるのは一般的な手続きであり、この手続きの流れ自体には倫理的ジレンマを引き起こす要因は無いはずです。

もちろん、その治療技術に倫理的な問題があれば話は別ですが、「新規の治療技術について臨床倫理委員会に申請している」という状況自体は倫理的ジレンマは生じえませんよね。

選択肢④の「多職種でコミュニケーションの必要性を認識し、意思疎通を図っている場合」ですが、「必要性を認識」した上でそれを行っているわけですから、倫理的ジレンマが生じるはずがないとわかるはずです。

このチームの中に「コミュニケーションが多すぎると良くない」と考えている人がいたらあり得なくもないですが、「必要性を認識」しているのですから問題ないでしょう。

「この状況では倫理的ジレンマは生じません」としか言えないくらい、当たり前な帰結だと思います。

以上のように、ここで挙げた選択肢に関しては倫理的ジレンマが強まる状況ではないと考えられます。

よって、選択肢②、選択肢③および選択肢④は不適切と判断できます。

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