公認心理師 2018-107

心理職の行動として、不適切なものを選ぶ問題です。
主に倫理について問われているように思えます。

特に成田善弘先生の「精神療法の第一歩」に、非常に詳しく載っています。
成田先生は「青年期境界例」が特に素晴らしいです。
私は境界例への支援は、いつもこの本を片手に行っています。

それ以外にも鑪幹八郎先生の「心理臨床家の手引」なども役立ちます。
これらはかなり前に出たものではありますが、今でも色褪せないというのがすごいと思います。

解答のポイント

対人援助職の倫理を理解していることに加え、心理職という枠組みによって生じる倫理的制約について、その意味も含めて理解していること。

選択肢の解説

『①クライエントからの贈り物を断る』

基本的にカウンセリングでは料金を支払ってもらいます。
この点についてよくなされる説明としては「クライエントがセラピストへの陰性感情が抑制されないようにするため」というものです。
すなわち、クライエントが「せっかく聴いてもらっているのだから」と自由な表現ができなくなることを避けるという意味が一つあります。

また、贈り物には一般的な感謝を超えてさまざまな意味が込められています。
陽性感情、見捨てられ不安によるもの、セラピストの懐柔、敵意に対する反動形成、品物を介しての交流しか困難…、いずれにせよ治療関係が真の意味で安定していないことを示しています

更に、贈り物の授受という現実的関係を持ち込むことで、普通の人間関係とは異なる水準を維持しながら心の真実を探求していく、という面接の目的を果たすことが困難になる恐れがあります(心理臨床家の手引き、p263-264)。

ただし、クライエントが贈り物を持ってきたときに受け取る・受け取らないの押し問答になるのは意味がありません。
日本の文化的慣習も効力に入れつつ、ささやかな手土産なら礼を言って受け取り、以後は不必要であることを明確に伝えることが重要です。

クライエントは贈り物に多くの思いを込めています。
その思いを因数分解していくと、もちろん面接の妨げになっていくような感情も存在するでしょう。
一方で、セラピストへの感謝の気持ちなども含まれていることもまた事実であり(自分の感情や行為を示すことが極めて困難な人もおられますし)、贈り物を断るという行為によって、これらの思い全てを突き返すということになりかねません。

近年はクライエント側からすれば無料で行っていると認識されやすい場も増えてきており(福祉領域や教育領域はそんな感じですね)、ささやかな贈り物までも突き返すというのは原理主義的過ぎなように思えます。
もちろん、以降は不要であると伝えることは当然としても。

それにも関らず贈り物を持ってくる場合は、その意味を探ることがカウンセリングにおけるセオリーと思います。
初めてのささやかな贈り物を、しかもその多くが感謝によるものだろうと判断できる場合(つまり、カウンセリングの展開を損なうものでなさそうならば)、あまり意味の探求をしない方が良いように思えます。
言わぬが花、という言葉もありますし。

危機管理的な言い方をすれば「贈り物はすべて断る」としておいた方が安全でしょう。
しかし、先述したような様々な意味があるので、端的に断ることだけを考えるのではなく、現場の状況やクライエントの性質、贈り物の程度(程度が低ければ受け取って良いというものではないですが、あまりにも高価な物の場合はそこに込められている意味が複雑・厄介であることが相対的に多いような気がします)などを踏まえつつ対応していきます。

以上より、選択肢①の「贈り物を断る」という記述自体は問題ないと言えます。
よって、選択肢①は適切と言えますので、除外できます。

『③クライエントに対して人間的な魅力を感じる』

こちらについては、まず遠回りしてセラピスト側の問題を列挙していきましょう。
「魅力を感じる」というのも、色んな背景があり得ます。

セラピストが自身の能力に不安があると、その不安の解消を特定のクライエントに求める場合があります。
セラピストが他者から得るべき体験を、クライエントから得ようとする場合なども。

特定の年齢・性別への対応も重要です。
過度に可愛く感じてしまうなど、ですね。
例えば、クライエントが若年者だからといって、愛称や「ちゃん」付けで呼ぶのは原則避けた方が良いでしょう。
クライエントを一個の人格としてみることを妨げ、退行を促進することもあり得ます。

他にもたくさんの状況が考えられますが、こうしたセラピストに起因する事項を精査した上でも、やはり感じるクライエントへの魅力というものもあるでしょう。
そういった場合は「なぜ自分はこの人に対して、こういった魅力を覚えるのか」をきちんと理解しておくことが重要です。
その理解があって初めて、その人間的な魅力を感じているという事態を、心理療法の場で活用できる感情体験になると思われます。
好意であれ敵意であれ、それが無造作に扱われるのであれば結果が破滅的になる危険性が潜むことになると思われます。

選択肢にあるクライエントへの人間的な魅力は、セラピストが人間である限り生じ得るものです。
重要なのは、セラピスト自身がその背景を理解していることであり、自身に生じた体験を心理療法の中で展開的に活用していこうとする姿勢だと思います。

以上より、選択肢③は適切と判断でき、除外することができます。

『④クライエントからデートの誘いを受けた際に断る』

まず、こういった事態が生じたときには、セラピストの今までの態度が知らず知らずのうちにクライエントの性愛的感情を促進することになっていなかったを検証することです。
セラピストの枠組みを超えた関わりをしてはいないか、例えば過度の熱心になったり、時間枠を融通したり、セラピスト自身が面接を楽しみにしていなかったか、などです。

クライエントが性愛感情を抱くのは、必ずしもセラピストが自分だからではありません。
心理療法過程の中で起こり得ることと捉え、余裕をもって接することが重要です。

こういった欲求を持つクライエントの中には、幼いころの身体的接触への欲求や依存心が賦活化され、恋愛感情的になっている場合もあります。
セラピストには、こういった恋愛感情に見えるものの背景にあるクライエントの真の欲求への感受性が求められます

上記のような内的な作業を踏まえつつ「外で会いたい」などのような、面接の枠を飛び出すような要求全般への対応について理解しておくことが重要です。
たとえクライエントに誘惑的な意図ないしは対人操作的な動機がない場合でも、特別な場合を除いて面接構造を崩すことは避けるべきです。

一度枠を外すことによって、なし崩し的になりやすく、援助関係を維持することが困難になりがちです。
ある種のクライエントは、さまざまな事情から「支援」「援助」に対するイメージが歪んでいたり、過度に幻想的になることも少なくありません。
枠を外すという行為は、こうした事態を助長させやすいと言えます。

特別な場合は、やはり自傷他害などのような、のっぴきならない状況と考えてよいでしょう(この辺は守秘義務の問題でも述べました)。
危機状態は通常の理法が通用しない状況ということですから、通常状態からのパラダイムシフトが必要です。
この選択肢の場合の多くは当てはまらないでしょうね。

選択肢のような誘いについては、陽性転移と見做す場合も多いかもしれないです。
特に性的な誘いについては、クライエントの背景に何があるのか、さまざまな知見が提出されております。
ただ、私個人の印象としては、どこか相手の性(クライエントが女性なら男性)に対して侮蔑的な感情がある場合に多いような気がしています。
中井久夫先生(2000初出)は「性を権力の道具として女性を支配するのは性加害者の特徴である」として、その被害者が男性に対して幻想的復讐が生じ得ることなどを述べておられます(こういった行為はむしろ「化膿」をひどくする、とも)。

いずれにせよ、こういった誘いについては断ることが基本であると言えます。
よって、選択肢④は適切であり、除外することができます。

『⑤自身の生徒のカウンセリングを断り、他の専門家を紹介する』

選択肢⑤と選択肢②については、いわゆる「二重関係」「多重関係」という現象の理解が重要です。
多重関係とは「専門家としての役割と別の役割を、意図的かつ明確に同時にあるいは継続的に持ち続けること」を指します。
例えば、クライエントと恋愛関係になること、利益相反(外部との経済的な利益関係等によって、公正・適正な判断が失われること:研究領域や自分の経営する相談室への紹介)、性的多重関係などです。
家族間、友人間のカウンセリングも好ましいとされていません。

ある関係と別の関係が同時に存在することで、カウンセリングに阻害的に働きやすいとされています。
カウンセリングの中立性が確保されない、客観性を欠いてしまう、言いたいことが言えなくなる(大学教員と教え子など)、クライエントがセラピストに「サービスする」ことが生じやすいなどとされています。

A-Tスプリッティングという方法論がありますが、こちらは管理者と治療者を分けようというアプローチです(学校などで生徒指導の先生が厳しいことを、教育相談の先生がサポーティブな関わりを、という感じで柔らかに行われていることも多いです)。
こちらは、いわば「多重関係」をなくそうというアプローチですね。

ただし、現実世界に複数の役割が混ざっていない関係など基本的に存在しないです。
神田橋先生はA-Tスプリッティングにおいては、役割を兼ねないことで何が失われるのかを考えながら運用することの重要性を指摘しておられます。

上記の例で挙げたような、あからさまでセラピストの関わりで避けることができる多重関係については避けることが大切になります。
一方で、普通のカウンセリング場面であっても、実はセラピスト-クライエント以外の関係性が含まれていることを自覚しつつ関わることが重要と思われます。

選択肢⑤では、「自身の生徒」という元々の関係に「カウンセリング」というセラピスト-クライエント関係が重なることを避けるために「他の専門家を紹介する」という方法を採っているわけで、適切な対応と考えることができます。
よって、選択肢⑤は適切と言えるので、除外することができます。

『②部下の家族をカウンセリングする』

こちらは先に挙げた「多重関係」に該当してしまいます。
「上司-部下の家族」という関係に、「セラピスト-クライエント」という関係が加わってしまうわけですね。

上司という立場では、部下の具体的・現実的な状況に関わることも考えられます。
現実的な側面に関わりつつ心理的なところにアプローチすることが避けられない状況はもちろん存在しますが、本選択肢の状況はリファーするなどの対応を取ることが可能・適切と考えられます。

よって、選択肢②が不適切と言え、こちらを選択することが求められます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です