公認心理師 2020-33

 心理療法の枠組みや手続きに関する問題になっています。

法律も多少絡んでは来ますが、重要なのはそれよりも心理療法で定められているさまざまな事柄に関する根本的な理解です。

現時点で言えそうなことをまとめて解説してみました。

問33 公認心理師の業務について、不適切なものを1つ選べ。

① 必要に応じて、他の保健医療の専門家と協力する。

② 心理療法の料金については、心理療法を始める段階で合意しておく必要がある。

③ 心理療法の効果に焦点を当て、限界については説明を行わず、心理療法を開始する。

④ 心理的アセスメントには、心理検査の結果だけではなく、関与しながらの観察で得た情報も加味する。

⑤ クライエントが、被虐待の可能性が高い高齢者の場合は、被害者保護のために関係者との情報共有を行う。

解答のポイント

心理療法の基本的な枠組み、手続きについて理解していること。

選択肢の解説

① 必要に応じて、他の保健医療の専門家と協力する。

他職種との協働に関しては、公認心理師の義務一つとして定められております。

公認心理師法の第四章 義務等の中に、連携等に関する条文である第42条が以下のように規定されております。

公認心理師は、その業務を行うに当たっては、その担当する者に対し、保健医療、福祉、教育等が密接な連携の下で総合的かつ適切に提供されるよう、これらを提供する者その他の関係者等との連携を保たなければならない。

このように、他の専門家と連携を取ることは公認心理師が行うべきことの一つと言えますね。

本選択肢の表現には様々なパターンが考えられます。

  • 医療機関の中でカウンセリングをしている公認心理師が、同じ医療機関内の他の専門家と協力する。
  • ある医療機関に勤めている公認心理師が、他の医療機関に支援の一部を委託するなどの必要性があって連携する。
  • 教育や福祉で会っているクライエントが、医療機関を受診している、またはすることになったので、その医療機関の専門家と連携を取る。

どのような状況であっても、クライエントの支援に資すると判断されれば(つまり、必要性があれば)他の保健医療の専門家と協力することは自然なことでしょう。

もちろん、この際には公認心理師法第41条の秘密保持義務(公認心理師は、正当な理由がなく、その業務に関して知り得た人の秘密を漏らしてはならない)に抵触しないように気をつけておくことが大切です。

たいていの場合、他の保健医療の専門家と協力することについてクライエント自身が納得していれば、秘密保持義務に関して問題になるようなことは少ないだろうと思います。

以上より、選択肢①は適切と判断でき、除外することになります。

② 心理療法の料金については、心理療法を始める段階で合意しておく必要がある。

料金は、古くは治療構造の一つとして挙げられており、心理療法にさまざまな影響を与えうるものです。

料金が明確に提示されることで、カウンセラーの責任と義務が明確になり、クライエントの権利と責任も明確になります。

加えて、料金を支払うことによって、クライエントとカウンセラーの関係が「平等」に保たれやすく、心理療法で必要なやり取りが生じやすくなるとされています。

例えば、カウンセラーに対する陰性感情をもっているクライエントがおり、主訴によってはその陰性感情をどうやり取りするかが改善に関わってくることもありますが、無料で心理療法を「してもらっている」という状況だと、そうした感情を伝えることもしづらくなってしまいますね。

料金に関して曖昧なまま導入した心理療法では、クライエントとカウンセラーとの互いの権利と義務関係が曖昧になったり、権力関係になってしまったり、クライエントが必要以上に罪悪感を覚えてしまう等、治療関係そのものに影響を与えることにもなりかねません。

ただし、心理療法を行っている機関は数多くありますが無料のところも少なくありませんし、有料のところであっても医療機関などになると保険診療になって「その場で直接自分が料金を支払う」という感覚が薄くなりがちです。

また、そもそも他者を支援するということ自体が「惻隠の情」「利他の本能」を端を発した行為であるのが前提であり、この恩恵を受ける側もそれに対して定まった料金を支払うというよりも、何か別の形でお礼をするということが、支援の歴史を振り返ってみれば普通と言えるかもしれません。

貧しい人からはお金を取らずに医療を施す「医は仁術」的な考えもありますし、医学で使われる「杏林」という言葉は、謝礼を受け取らなかった医師に対して患者が杏の実を送り、その種から杏の林ができたことに由来しています。

もちろん、他者への支援行為というのは慈善行為でない限りは、何らかの見返りを求めるのは当然ですが、こうした文化の中で料金とお礼が未分化な状況では、表だって見返りを求めることがしづらくなるというのも自然だろうと思います。

このように、料金に関する戸惑いはクライエントだけでなく、カウンセラーの内にも生じ得る心理ですから「でも契約だから」と単純に割り切らず、この機微を理解しつつ料金について話し合うことが大切になってきます。

料金は、こうした心理療法上の価値が大きい要因と言えますので、そのことについてきちんと話し合っておくことが大切です。

もちろんですが、料金に関する合意は「心理療法が実施される前」に行われることが重要です。

これを単に「心理療法は一面としては契約関係だから」という考えだけで捉えるのは、ちょっと物足りない気がします(もちろん、そういう面もありますが)。

ここで、クライエントが「心理療法が実施される前に料金を支払うことの難しさと必要性」について考えておきましょう。

現在、お金を払うことで「望むものを手にできる権利」を手にすることができるという感覚をもっている人が少なくありませんし、これは一般的な消費者心理としては適切な面もあるのですが、支援という場では馴染まない考え方です。

例えば、コンビニでお茶を買う時には、消費者はその価値を事前に知っていますから、納得して料金を支払いますし、その結果として望むものを手にすることが可能です。

しかし、そのマインドでいくと、心理療法を行う前に心理療法によってもたらされる価値をクライエントは適切に理解してお金を支払うということになりますが、そんなことは可能でしょうか?

万が一、「自分はカウンセリングを受けることによってもたらされるもの、カウンセリングを受けた後の自分の姿をきちんと事前に理解できている」という人がいたならば、その人はそもそもカウンセリングを受ける必要自体がないと思います(そもそもこういう人は、カウンセリングという手段自体が思慮の外にある)。

実際にカウンセリングを実施して、終結まで至ったクライエントが「当初、考えていた結果がきちんともたらされました」と述べることは皆無です。

カウンセリングの結果生じるのは「問題が起こる前の状態になる」のではありません。

それだと「問題の種」が存在した精神生活に戻るということですから、ほとんどの事例におけるカウンセリングの改善は「問題が起こる前とは異なる状態になる」ということです。

そして、クライエントが事前に「問題が起こる前とは異なる状態」を予測することは困難です。

つまり、心理療法によってもたらされるものの価値は、クライエントは「事前にその価値を測定することができない」というのが前提であり、これは人を育てるという面が含まれる営み全般に言えることです。

教育でも心理療法でも、他者が成長することに与する営みとは、常に「化ける」ことが前提であり、当人にとっても「こんなことが起こるとは予測がつかなかった」というのが当たり前なのです。

言い換えれば、クライエントが自らを「変わり得る存在」と見なせていないと、何かしらの改善や成長という多少なりとも現在からの「変化」を指向する心理療法自体の効果も薄くなってしまうということが言えます。

ここで話を戻しましょう。

例えば、心理療法を行った後に料金の提示を行うことで「今回のカウンセリングはこの料金では高すぎる」などのような、クライエントの「その時点での評価」が入ってしまいます(そういうクライエントがいるということではなく、そういう構造だと誰もがそのように思ってしまうということです)。

そして、「その時点の評価」を行ってしまったクライエントには、暗黙のうちに「自分は心理療法の価値を評価できる」という感覚になり、「自分が変わり得る存在だ」という認識から遠ざかってしまいます(つまり、クライエントを「今の自分」に縫い止めてしまう)。

繰り返しますが、心理療法によってもたらされることの価値は、決して心理療法を実施する前に把握できるものではなく、あくまでも「事後的に」判断されることになるのです。

ですから、クライエントは「自分にはまだ価値がよくわからないもの」に料金を支払うという仕組みになりますし、それはとても困難なことです。

一般感覚で言えば「何が起こるかわからないもの」に対して、料金を支払うというのはなかなかしづらいことであるのは理解できると思いますが、それを可能にするのはカウンセラーとの信頼関係になります。

カウンセラーに対して「まだ見ぬ何かをもたらしてくれる」という言葉にならない信頼感、その信頼感を高めるにはどういう振る舞いをすればよいのか、こういうことをカウンセラーは考えていくことが大切になります。

さて長くなりましたが、最後に一つ。

無料の心理療法機関では、よくクライエントからの贈り物があります(もちろん、有料の機関でもあります)。

この贈り物に対して、「ルールだから」と一律に拒否をするのは考えものです。

もちろん、贈り物がクライエントの不安(ちゃんと支援してもらえないかも、切り捨てられそうな不安がある等)に基づいてなされたなら、それ自体を話し合うことが重要です。

ですが、贈り物にはカウンセラーの尽力に対する謝意や、更には贈り物を通して自分の気持ち(感謝等)を伝えたいと願う気持ちが含まれています。

これを断るということは、そういうクライエントの思いを受け取らない、自分が行っていることは単なる業務であり商品の提供だと告げることにもなりかねません。

もちろん、贈り物を受け取れないというルールに関してはよく理解できますので、こうした贈り物に含まれるクライエントの気持ちを汲み取った対応をその状況でしていくことになるでしょう(もちろん、自分の責任で)。

このように、料金にはさまざまな心理療法上の価値が含まれていると言えますから、きちんと事前にやり取りすることが大切です。

以上より、選択肢②は適切と判断でき、除外することになります。

③ 心理療法の効果に焦点を当て、限界については説明を行わず、心理療法を開始する。

クライエントに心理療法について伝える状況はさまざまです。

例えば、インテークも何も行っていない段階で心理療法について問われるという状況も考えられますし、インテーク後の治療的面接を開始する前に話し合うという状況もあり得ます。

このいずれの場合であっても、どういうことを伝えることが大切かについては一定の考え方があります。

一つは心理療法によってもたらされることに関する見解です。

インテークも何も行っていない段階だと、心理療法の効果を伝えるとしても一般的なレベルを超えないものになりますし、それを超えて伝えることは倫理にもとる行為であると言えますね(話も聞いていないのに、心理療法の具体的な効果を伝えることはできないはず)。

一方で、インテーク後であれば支援のたたき台となる見立て(仮説)を伝えていくことになります。

そして、見立てを伝える際の定石は「明確な点」「推測の点」「わからない点」の3つに区分けして告げることです。

見立ては仮説に過ぎませんから、見立てを伝えるときに自信満々というのは未熟なカウンセラーの自他へのこけおどしであることが多いですね。

力があるカウンセラーほど自信があるので、見立てを伝えるときには正直に振る舞うことができるのです(わからない所はわからない、自信がないところは自信がないことを隠さずにいられる)。

こうした支援の方向性を示し、心理療法によって何が生じるのか現段階の仮説を伝えるという行為は、心理療法の導入においてとても大切です。

また、このこと以上に重要なのが、心理療法での限界を伝えるになります。

心理療法は人の営みですから、当然ながら限界があります。

また、カウンセラーが所属している機関によっても、限界の幅はさまざまでしょう(例えば、学校であれば所属している教育委員会の方針によって、家庭訪問が可能か否かが変わってきます)。

クライエントの支援を行いながら、さまざまな限界を設けることは矛盾しているようですが、こうした限界があるからこそクライエントの成長を促すということ、安定した人間関係を保つことが可能になります。

例えば、心理療法の中でクライエントの辛さがとても伝わってきたので、カウンセラーはクライエントに電話をかけようと考えたが思い止まったとします(心理療法で会っているクライエントに予定の変更などの理由以外で連絡することは控えるのが一般的ですね)。

次回の面接で、クライエントが「前回の面接からとても苦しかった。だけど、昔からの友人が連絡してくれて、自分のことを話したら理解してくれて嬉しかった」と話したということが起こると、やはり「電話をかけなくて良かった」と思うのではないでしょうか。

もしもクライエントに電話をしていたとしても、もちろんクライエントの支えになった可能性は十分にありますが、同時にクライエントに依存的な感情を喚起させる可能性もあり、その場合は、そこから離れるためにクライエントに無用な苦しみを与えることになってしまいます。

上の例で言えば、クライエントが友人とつながることができるような心の準備状態(カウンセラーに話してわかってもらったという経緯があるから、友人にも話せたのかもしれない)を作っておくことがカウンセラーの仕事であり、クライエントと心理療法の枠組みを超えて尽力することが仕事ではないのです。

このように、あらかじめ限界が設定されていることで、クライエントは他の人間関係では得ることができない関係を体験することができるのです。

もちろん、事例によっては限界を超えた関わりをすることもあり得るでしょうし、それによって自身の限界を拡げることも可能です。

その場合であっても、限界を破りつつ、それを元に戻そうと努めたり、破るときもずいぶんと迷ったり抵抗しながら、ケースのもつ必然性に押されて破らざるを得ないというのが大切なことです。

決して、カウンセラーが好かれることや感謝されることを目的に尽力してはいけないのです。

さて、こうした限界について、クライエント自身も少なくとも知的には理解していることが大切です。

カウンセラーに対して「もっとこうしてほしい」「なぜしてくれないのか」といった心理療法の限界に関する不満がクライエントから表出する場合、そこにはクライエントの心理的課題が反映されており、多くの場合はそれがクライエントの実生活での不調とつながっています。

つまり、このこと自体が心理療法における重要なテーマとなるのですが、これが起こるためには「そもそもそこに限界があることをクライエントが理解している」ことが大切になりますね。

クライエントが限界を理解しているからこそ、その不満を心理療法の枠組みでやり取りすることが可能になるのであって、説明不足からの無理解だと「知らなかっただけ」という理由づけがバリアとなって心の内面を探っていく作業を阻害します(説明してくれなかったカウンセラーへの不満に転化してしまう)。

このように、クライエントに心理療法の(その時点で言える範囲の)効果や限界について伝えることは必要な手続きの一つと言えます。

よって、選択肢③は不適切であり、本選択肢を選択することが求められます。

④ 心理的アセスメントには、心理検査の結果だけではなく、関与しながらの観察で得た情報も加味する。

まず「関与しながらの観察」はサリヴァンの言葉であり、その著書「精神医学的面接」には以下のような記述があります。

「精神科医は面接の中で起こる事態のすべてに深く巻き込まれ、そこから逃れられない。精神科医が面接への自らの関与に気づかずそれを意識しない程度がひどいほど、目の前で起こっていることに無知である度合いも大きくなる」(p41)

「“客観的”観察のようなものは存在しない。あるのは「関与的観察」だけであり、その場合はきみも関与の重要因子ではないか」(p141)

このように、関与しながらの観察では、カウンセラーが自らも面接の重要な因子として見なし、その影響を考慮しながら得られる情報と言えるかと思います。

そして、クライエントのアセスメントは、心理検査で示される「数字」だけで済ませるべきものではなく、上記のような「関与しながらの観察」の中で得られる情報は非常に有用です。

例えば、ADHDの疑いがあって受診したクライエントに発達検査を実施するときに、落ち着いて座っていられたか否か、座っていられたとしても外からの物音に対する反応はどうか、反応したとしてもその反応が「刺激への反応」なのか「不安を背景とした反応」なのかというニュアンスの違い…、こうした情報は「数字」に置き換えられませんが、とても大切なものですよね。

そして、こういうクライエントの状態に対し、カウンセラーという因子がどのように影響しているかも含めて検討していくことが大切です(具体的には、カウンセラーの性別、年齢、検査室でカウンセラーが待っている部屋にクライエントが入るか、それとも一緒に入るかによってもクライエントにもたらされる状態に変化があります)。

更に言えば、心理検査が示す「数字」から導かれる解釈があると思いますが、その解釈を追認するような様子が観察されたか、それとも心理検査の結果を否定するような様子が見られたかという情報は、そのクライエントの状態像を正しく認識するために欠かせないものです。

心理検査の結果は「その時点での状態」を把握するのに優れていますが、その状態の背景にどういう流れがあるかは個々人によって全く異なります。

それに対して一定の仮説をもつためには、検査結果だけでなく、それを実施しているときに得られる「カウンセラーという要因も含めた」細やかな観察による情報が欠かせないのです。

以上より、選択肢④は適切と判断でき、除外することになります。

⑤ クライエントが、被虐待の可能性が高い高齢者の場合は、被害者保護のために関係者との情報共有を行う。

本選択肢の解説の前提として、高齢者虐待防止法第7条について確認しておきましょう。

第1項 養護者による高齢者虐待を受けたと思われる高齢者を発見した者は、当該高齢者の生命又は身体に重大な危険が生じている場合は、速やかに、これを市町村に通報しなければならない。

第2項 前項に定める場合のほか、養護者による高齢者虐待を受けたと思われる高齢者を発見した者は、速やかに、これを市町村に通報するよう努めなければならない。

このように、高齢者の虐待を発見した場合、通報するなどの対応を取ることが求められます。

なお、虐待の通報は国民の義務であり、公認心理師に課せられている秘密保持義務を超えて行うべき事柄となっております。

公認心理師がどこまでコミットするかはクライエントとの関係性や立場によって変わってきますが、心理療法を行っているクライエントが虐待を受けている可能性があるならば、当然通報や福祉機関等との情報共有などを行っていくことになります。

これはクライエントの意向を超えて行うことができる事柄ですが、心理療法で培った関係性によってどこまでクライエントに意向を聞くかは変わってくるだろうと思います。

以上より、選択肢⑤は適切と判断でき、除外することになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です